第13話「邂逅、広報官と王女」

王都を発って数日。


王女エレナは、一介の旅の少女として街道を歩いていた。


豪奢なドレスは粗末な旅装束に、頭上のティアラは顔を深く隠すフードに変わっている。供は、信頼の置ける護衛騎士ただ一人だ。


(本当に、魔族は…わたくしたち人間と同じように、笑うのでしょうか)


『井戸端ラジオ』の報告書に記されていた、あまりに人間的な会話の数々。

それが、彼女がこれまで信じてきた「正義」を、根底から揺さぶっていた。


プロパガンダによって作られた虚像ではない、真実の姿を、自らの目で見届けねばならない。その一心で、彼女はここまでやってきたのだ。


その頃、コーダ村の魔王軍駐屯地は、平和そのものだった。


「カミヤ様ー!見てください、ピカピカになりました!」


リリィが、誇らしげに掲げてみせたのは、ルシア様から賜った『魔王軍統帥直属・広報課』の看板だった。


俺たちの新しい執務室は、

埃っぽい物置とは比べ物にならない、日当たりの良い小部屋だ。


「おう、ご苦労さん。しかし、いざ予算が出ると、何から使うか迷うな」


俺が腕を組んで言うと、リリィは目を輝かせた。


「新しいお茶の葉を買いましょう!それから、インクも!」


「どっちも消耗品だな…。まあ、それも必要経費か」


そんな他愛ない会話を交わす、穏やかな昼下がり。

この平和が、広告マンとしての俺のささやかな戦果だ。


村に到着したエレナは、フードを目深にかぶり、

息を殺して広場の様子を窺っていた。


そして、彼女が目にした光景は――彼女の常識を、いとも容易く破壊するものだった。


緑色の肌をした強面のオーク兵が、人間の子供を肩車して、広場を練り歩いている。


子供の甲高い笑い声と、兵士の野太いが優しい声が、青空に溶けていく。


井戸の周りでは、村の女性たちが、別の兵士に

「あんた、この前のラジオで話してた、妹さんへの土産は見つかったのかい?」と気さくに話しかけていた。


信じられない。これが、わたくしが「絶対悪」と断じていた魔族の姿…?

報告書にあった通り…いいえ、それ以上に、彼らは人間と、あまりに自然に共存している。


エレナは混乱のあまり、ふらつきながら広場のベンチに腰掛けた。


その時だった。


一人の男が、彼女の目の前を通りかかった。

黒髪、黒いスーツ姿。何か考え事をしているのか、少し俯き加減に歩いている。


神谷悠斗、その人だった。


(…あの男が、…)


エレナが、無意識のうちに強い視線を向けてしまったのだろう。

悠斗はふと足を止め、怪訝な顔でこちらを振り返った。

フードで顔の半分は隠れている。だが、視線は、確かに交錯した。


悠斗はその旅の少女の正体に気づくはずもない。

だが、フードの奥から向けられる、射抜くような瞳。

その奥に宿る、強い意志と、深い葛藤の色に、彼はただ者ではない何かを感じ取っていた。


(なんだ、今の…?)


互いの思考が、一瞬だけ停止する。

先に視線をそらしたのは、エレナだった。彼女は弾かれたように立ち上がると、護衛の騎士に目配せし、足早に村を立ち去っていく。


悠斗は、遠ざかっていく少女の後ろ姿を、

しばらくの間、ただ見送ることしかできなかった。


王都への帰路。

エレナの胸には、これまでに感じたことのない、大きな嵐が吹き荒れていた。


(…わかりません。わたくしが今まで信じてきた『正義』とは、一体なんだったのでしょう…)


そして悠斗もまた、あの少女のことが妙に気にかかっていた。

(…何か、新しい波が来ている)


二人の運命が、コーダ村の片隅で、静かに交差した。

広報戦争が、新たな局面を迎えようとしていた。

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異世界転生したら魔王軍の広報担当でした ― ブラック企業からの逆転人生 ― tabibito @lf_studio

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