第2話 ご遺体フィッシング

 現場にやってきた警察官は三人。

 それに、救急救命士が二人。

 救急車は警察が呼んだのだろう。


「あんたがクリオネさん?」

 年配の警察官が話しかけてきた。

「じゃあ、すんませんが、案内してもらえますか」


 二十代と思われる若手の警官二人は、胴長靴を履いている。

 年配の警官は、膝までの長靴。

 救命士たちは、普通のシューズ。

 浅瀬を渡って進んだほうが早いのだが、河原を歩くことにした。

 一行は、石ころの上をおぼつかない足取りで進んでいった。

 栗尾根は彼らに合わせてゆっくり歩いた。


「ここへはよく釣りに来るの?」

 年配の警官は親しげに尋ねてくる。

「何が釣れるの?」

「アメマスです」

「ほう。マスかい」

「マスというより、デカいイワナですね」

「イワナか。そりゃ、うまいっしょ」

「いや、食べませんけど」

「おや。じゃあ、釣ってどうするの?」

「写真を撮って逃がします」

「もったいない。食えばいいべさ」


 釣り歴二十五年、釣りをしない人間とこの手の会話を何度繰り返してきたことか。


「おい。そこ、気をつけろ」

「うわ、サケが死んでる」

 若手の警官たちが騒がしい。

「汚ねえから、踏むなよ」

「うわ、ウジ涌いてる」


 ようやく赤い鉄橋の下まで来た。

「ここです」

 栗尾根は、橋脚の下を指さして言った。

「おう?」

 年配の警官が川面に目をこらした。

「仏さんは、どこだ? 流されちゃったか」


 栗尾根が川へ入っていった。 

 橋脚に引っかかった流木の中で一本、大きく湾曲した柳の枝が流れに合わせて揺れ動いている。

 枝に結ばれていた釣糸を引くと、どっしりとした重みが伝わってきた。


「この下です」


 栗尾根は、水中にビーンと突き刺さった釣糸を持ち上げて言った。

 三十分ほど前、黒い淵から釣り上げたものが水死体だとわかり、釣糸を切って枝に結びつけておいたのだ。


 年配の警官以下五人は、川岸に一列に並んでこちらを見ている。

「本当に釣っちゃったんですな」

 年配の警官が言った。

「おい、木村。ほら、代わってあげなさい」

 年配の警官が若手の警官たちを促した。

 「中島も、見てないで、早く。二人とも、川へ入った入った」


 日焼けして屈強そうな木村巡査が、胴長靴をジャバジャバいわせて流れに踏み込んできた。

 制服を着ている以外これといって特徴のない中島巡査も、恐る恐る川へ入ってきた。

 栗尾根は釣糸の端が川へ逃げてしまわないよう、木村巡査のゴム手袋に巻きつけるようにしてバトンタッチした。


「これ、切れませんか? 引っ張っちゃって、大丈夫ですか?」

 木村巡査は釣糸の重い手応えに戸惑っている。

 中島巡査も不安そうだ。

「80センチ以上のアメマスでも対応できる釣糸です」と言ってもわからないだろうから、栗尾根は「大丈夫です」とだけ答えた。


 若手警官たちは危なっかしい手つきで釣糸をたぐり寄せ始めた。

 自分が手伝ったほうが早く終わりそうだが、警察の領分には入らないに越したことはない。


 栗尾根は岸へ引き返した。


「おい、わかってるな。テングスを離すなよ」

 年配の警官は腕組みをして作業を見守っている。

「テングスをしっかり掴んで、ゆっくりと、慎重にな」


 テングス……

 栗尾根は懐かしさで眩暈めまいがしそうになった。


 テングス。

 テグス。

 天蚕糸テグス


 手芸や工事現場ではまだ通用するのかもしれないが、釣りの世界では死語になっている。

 その昔、ガの一種「テグスサン」の幼虫の体内から絹糸腺けんしせんをとって釣糸にしていた時代の呼び名だ。


 現在の釣糸は、ライン(道糸)もリーダー(ハリス)もナイロンやポリエチレンなどの化学繊維で作られている。

 複数のポリエチレン糸で編まれたPEラインも大流行りだ。

 警官たちが引っ張っている糸も強度に定評のあるフロロカーボン製だった。


 川の中で木村巡査が何か言っている。

「あん? 何だって?」

 年配の警官が耳に手をあてて言った。


「い、糸が手に食い込んで、いたたたた……」

 木村巡査の情けない声が河原に響いた。

「ちょっと、痛いんですけど」


「痛いんですけど、じゃねえべさ」

 年配の警官は呆れたように言った。

「いいから、続けろ」


 木村巡査が顔をしかめながら釣糸を引っ張っている。

 中島巡査も糸を掴んで力を貸そうとするが足元がぐらつき、かえって邪魔になっているようだ。


 一瞬、水面が白くなった。


「お。今、何か見えたぞ」

 年配の警官が叫んだ。

「もうちょいだ。けっぱれ!(がんばれ!)」


 川に開いた黒い穴から白いものが浮かび上がり、水面に広がっていった。


「よーし。浮かんできた、浮かんできた」

 年配の警官が川へ身を乗り出した。

「けっぱれ! けっぱれ!」


 釣糸を木村巡査に任せ、中島巡査が直に白いものを捕まえようとした。


 突然、「うわっ」水しぶきが上がった。


 木村巡査が、滑って転んだのだ。

 体格がいいだけに、転び方も激しかった。


 白いものは、また黒い穴へ沈んでいった。

 木村巡査は尻もちをついたまま、腕に巻きつけた釣糸に引っ張られている。

 慌てて立ち上がろうとして、また滑って転んだ。


「おい、早く掴め!」

 中島巡査が腕を伸ばした。

 木村巡査も腕を伸ばすがわずかに届かない。

 そのまま、ずるっ、ずるっと、黒い穴のほうへ引き込まれていった。

 中島巡査の手が届いた。


 「痛い痛い痛い……」


 両腕を死者と同僚に伸ばされ、木村巡査が叫んでいる。

 中島巡査も流れの中で踏ん張っているだけで精一杯のようだ。

 水が膝の上を越えたら、重力の違う異世界へ来たと思ったほうがいい。

 その上、川底には茶色い水苔がびっしりと繁茂して、ぬるぬるとよく滑る。


「これ、大丈夫なのか……」

 救急救命士たちもそわそわし始めた。このままでは、警官の救急救命をするはめになる。

 年配の警官は目を閉じて溜息をついていた。

「ダメだこりゃ」と年配の警官。

「まったくもう、わやだな。はんかくさくて見てられんわ。いいから、テングスを一回離してしまえ」


 わやは、北海道弁で「めちゃくちゃ」。

 はんかくさいは、「馬鹿」「アホ」「間抜け」全般に使えた。


「そうだ。離せ、離せ」

 中島巡査も言った。

「重いんだよ。限界だ」

「いや、それが……手から離れない……離れません……」

 木村巡査が水をかぶりながら訴えた。


 栗尾根がゴム手袋にしっかりと巻きつけたのがまずかったようだ。

 警察の業務用胴長靴はゴム底で、滑り止めのフェルトもスパイクもついていないのだろう。


 二人の警官は、ゆっくりと確実に流れに引きずられていた。

 黒い穴の中から、死者に引っ張られているかのようだ。


「おまえら、本当に溺れるぞ」と年配の警官。

「今行くからちょっと待ってろ」

 年配の警官が膝までの長靴で川へ入っていこうとするのを、栗尾根は止めた。

「わたしが行きます」


 これ以上、溺死者を増やすわけにもいかない。

 栗尾根は歩き慣れた川へ入ると、木村巡査を助け起こした。

 釣糸も返してもらった。


「わたし一人でできますので」

 栗尾根は釣糸を自分のフィンガーレスの手袋に巻きつけた。

「いや、でも、かなり重いですよ。すごく滑るし……」と中島巡査。

「大丈夫です。慣れていますので、お任せください」


 川下へ行けたなら、死体を流れに乗せて楽に動かせそうだが、橋脚と流木が邪魔で回り込めない。

 このまま川上へ引き上げるしかなさそうだ。

 栗尾根は綱引きの要領で腰を落とし静かに下がっていった。


 流れに逆らって後退していると、川がまた白く輝き出した。


 死体は足から上がってきた。


 服装は、白のジャージ。


 その上に着たホットレッドのウインドブレーカーがまくれ上がって、顔を隠している。


 イクラの毛鉤は、脱げかけたジャージのパンツの裾に引っかかっていた。


「終わりました」

 死体を浅瀬まで引き上げると、栗尾根は警官たちに声をかけた。

「あとは、お任せします」


 警官たちが、ばつの悪そうな顔でうつむいている。


「まあ、何というか……ご協力、感謝します」

 年配の警官が、ぺこりと頭を下げた。


(つづく)


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2026年1月16日 08:00
2026年1月16日 13:00
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北海道ミステリー・誰がアメマスを殺したか・死体を釣ったの何回目!?・探偵釣師 栗尾根天士の事件簿 沼崎ヌマヲ @Numazaki-Numao

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