第9話:不当契約にご注意を(前編)
最後の特訓の次の日。休日の朝。
「では主、行ってまいります」
「いってらっしゃーい。ニャルも行くのか」
「データ収集。物流や商品販売の記録と実際の現場に差異がないか確認する」
たまにある“観察モード”というやつか。
「では行きましょう、ニャル」
そう言って、楓は買い物鞄を手に取り、ニャルと共に玄関を出て行った。
明日はついにクラス対抗戦。
今日はゆっくり休んで、明日に備えよう――そう思っていた、そのとき。
「おっはよー、せ・ん・ぱ・い!」
バンッ、と勢いよくドアが開く。
「希望!?」
「先輩、今日お暇ですよね? もちろんお暇ですよね。
そんな寂しい先輩のために、可愛い後輩が来てあげました! さあ、いいお天気ですし、出かけましょう!」
「いや今日は、家でゆっくり――」
ニャルの適応支援を受けなくても済む、貴重なオフタイムなんだぞ!
「そんなこと言わずに! 王国一の美姫といわれるあたしとお出かけできるチャンスを逃すなんて、もったいないどころじゃないですよ?」
「自分で“美姫”とか言っちゃうの!? ひくわー」
しかし抵抗虚しく、気がつけば俺は希望に連れられ街の外縁に来ていた。
アカデミーから歩いて15分ほど。露店と商店が立ち並ぶ、賑やかな通り。
休日ということもあって、学生や市民の姿であふれている。
「ほらほら、これ! 魔導式のペン! 試験中に使うと演算式がスラスラ書けるんだって」
「コンピューターペンシルみたいだな……!」
これがあれば、Fラン脱出もワンチャン……?
「まあ“誤作動の可能性あり”って注意書き付きだけどね!」
だめじゃん……がっくし。
希望はあちこちの店を覗いては、軽口を飛ばす。
その様子はいつも通り――だけど、どこか嬉しそうに見えた。
「お前、ほんとこっちの街慣れてるよな」
昔から住んでいるから、というだけではないだろう。
事実、俺は自分の街の駅前に何があるかなんて、ほとんど知らない。
いつも通り過ぎているはずなのに、記憶にない。
「うん、だってアカデミー入る前からちょこちょこ来てたし。このへん、好きなんだよ。適度にうるさくて、適度に人が自由で」
そう言って立ち止まり、ふと空を見上げる。
「あ、あそこの塔、ちょっとだけ登れるの知ってた?」
「へえ。観光スポット?」
「ううん、商人さんたちの監視塔だけどね。でもたまに好意で案内してくれるの。子供の頃、友達とこっそり登って怒られたっけ」
希望は、そんな昔話を楽しげに語る。
俺が言葉を返すよりも先に、彼女はまた別の露店に足を運び、
花の形をした飴細工を手に取った。
「かわいくない? これ。さすがに先輩にあげたら反応に困りそうだけど」
「え? かわいい! くれんの?」
「うわー……そう言われると、何もする気なくなりますわ?」
呆れたように肩をすくめた後、希望はくすくす笑った。
「そういえば先輩、ナゴモくんは元気にしてる?」
「え!?」
元気ってまるで生きてるみたいに言うな……。
いや、ぬいぐるみにも元気とか使うよな、うん。
「あー、多分、それなりに大丈夫なんじゃないかな?」
もらったあの日、帰ってすぐに机の一番下の引き出しに封印――じゃなく保管して以来見ていない。
「たまには握ってあげてね? そうしないと――溢れて来ちゃうから」
溢れる!? えっ!? 何が溢れるの!?
怖くて聞けない……。
露店の喧騒のなか、ふとした沈黙が生まれる。
そんなとき、俺の口からぽつりと疑問がこぼれた。
「なあ、希望。ちょっと聞いていいか?」
「ん? なになに? まさか、ついに愛の告白ですか? さすがにちょっと早すぎるんじゃ――まあ、どうしてもって言うなら少しぐらいは――」
急に早口になった希望の言葉をスルーして、本題を続ける。
「属性相性についてなんだけどさ。“火は水に弱い”とか、そういうのって、この世界にもあるのか?」
希望は一瞬、きょとんとした表情になる。
「……火が、水に弱い?」
数秒考え込み、やがて腑に落ちたように頷いた。
「あー……そっか。“元の世界”では、そういうのがあるんだね?」
「うん。こっちだと違うのか?」
「全然違うよ。こっちの魔法って、属性の上下関係ってそもそも存在しないの。“火が水に負ける”みたいな考え方自体がないの」
「じゃあ、どうやって相性って決まるんだ?」
希望はぽんっと手を打って、軽く笑う。
「“どう構成したか”と“どう当てたか”で決まるって感じかな。属性そのものじゃなくて、論理の組み立てと演算の精度次第。だから“水で火を消す”のも、“火で水を蒸発させる”のも、どっちもアリなの」
「……なるほど。属性は“手段”であって、“結果”を決めるのは別ってことか」
「そうそう! あとね、同じ属性同士なら干渉が鈍くなるって傾向はあるよ。でもそれくらいかな? そういうのはみんな常識として知ってるから、アカデミーじゃ逆に教えないの」
「……基本すぎて授業に出てこなかったのか」
「うん。でも、知らなかったの、悪いことじゃないよそういう視点持ってるの、逆に面白いと思うし!」
希望はにっと笑って、俺の肩を軽く叩いた。
「そういえば先輩。対抗戦の準備はだいじょぶそ? 武器、何にするか決めた?」
「それなりに。最低限の形にはなるんじゃないか。……それにしても武器かー。どうせ使うなら、やっぱり刀がいいな」
西洋世界で太刀で無双する剣士。
一度は憧れるよね。
……いや、待て。
「ぶ、武器。え? 待って、対抗戦って武器いるの?」
「そりゃだって模擬戦だよ? 楓みたいに素手で戦う子もいるけど、先輩みたいに経験ない人はなんか使わないと不利でしょ? ただでさえ分が悪いのに」
「まじかよ……」
思い返せば渚も何か言ってた気がする。
みそぎちゃんへの恐怖で頭いっぱいで、聞き流してたような――。
「なんにも用意してないんだけど! 希望、なんとかならないか!」
本気の試合をこの前みたいに木刀なんかでは挑めない。
さすがに懲りた。
「ええー、ほんとに!? いくらなんでも明日だよ? あー、先輩別世界の人だもんね。言っとけばよかった……どうしようかな?」
希望が腕を組んで、考え込み始める。
「美姫様、希望様、なんとかして! お願い!」
希望ならなんとかしてくれる――
そう信じて必死に頼み込むと、彼女はふっと顔を上げた。
「ふっふっふ。というのは、ちょっとした前振りで。先輩、素晴らしい後輩を持ったこと、心から感謝してくださいよ?」
「まさか……」
「とりあえず、先輩の家に戻って楓を――」
「主、希望様」
街角の曲がり角から、ふたつの影が現れる。
楓とニャルだ。
楓は買い物鞄を手に持ち、長くて細い――木製の箱を背負っていた。
「楓、その箱は?」
「それは帰ってからのお楽しみ! おなか空いたし、帰りましょ!」
そう言って、希望はみんなを先導するかのように屋敷に向かって歩き始めた。
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