第9話:不当契約にご注意を(中編)

そのまま俺たちは屋敷に戻り、楓が手際よく用意してくれた夕飯を囲んだ。


「ごちそうさまでしたー!」


夕食を終え、食器を片付けると、希望が何やらそわそわし始めた。


「さてさて、では! 今日の本題に入りましょうか~」

「え、本題? あー、アレのこと!」

「そうですとも!」


希望はごそごそと楓の持ってきた木箱を取り出し、その蓋をぱかっと開いた。

中に納められていたのは、漆黒に光る一振りの太刀。刃には、細かな紋様が刻まれている。


「おお……かっこいい……。持っていい?」

「もちろん」


手に取る。柄の大きさは俺の手にピッタリだが、ずしりと重たい。


「重っ! これ振れんのかな」

「大丈夫。先輩、もう戦術起動式使えるんでしょ」

「やってみるわ。論理演算、識域拡張っと」


先程までずっしりと重かったそれが途端に軽く感じるようになる。

少し離れたところで軽く振ってみると、驚くほどにしっくり来た。


「すげぇ」


これなら明日、バッチリ行けるぜ。


「ありがとな、希望」

「どういたしまして」


希実がひらひらと手を振る。

そこで俺ははたと思い浮かんだことを希望に聞いた。


「希望、この刀ってなんて名前なんだ?」

「名前? そんなんないけど……。えっ!? 先輩って持ち物に名前とかつけるタイプなんです? 意外」


もっともな希望の発言に少し気恥ずかしさを覚えたが、少し考えた結果、やはり名前をつけることにした。

“名づけは、世界に居場所を与える”

渚のその言葉が思い出されたからだ。


「やっぱり名前つけるわ。……雷切(らいきり)とか、どうだ?」

「――え、雷切?」

「どっかで聞いたことある気がしてさ。俺の世界の昔の武将が使ってた刀の名前だったと思う。雷を斬ったって話があるんだ。……かっこいいだろ?」

「かっこいいとは思うけど……ふふっ、でも先輩さ――」

「ん?」

「雷属性じゃん? それって、自分を斬るってことじゃないの? アハハハハ!」

「いいだろ! 別に」


言われてみると格好つけすぎた気がして恥ずかしくなってきたけど……。


「もう決めた! こいつの名前は雷切なの!」

「いいよいいよ! 自分に厳しい人って、嫌いじゃないよ?」

「自傷属性。論理的に破綻してます」


ここぞとばかりにニャルが口を挟む。

人が多い時は基本黙ってるくせに、少しでも隙を見せるとこれだ。


「うるせぇよお前ら……」

「よし、じゃあ名前も決まったところで、気分盛り上げるために、ちょっとだけ儀式、しちゃいましょうか!」

「儀式?」

「ええ。剣を捧げ、忠誠を誓う“形だけ”のやつですよ。昔の騎士団ごっこ的なやつ!ちょっと付き合ってくださいよ~」

「えー、なんか恥ずかしいんだけど……」


しかしこんな経験、現実でおそらく一生する機会はないだろう。

せっかくだしちょっと乗ってみてもいいかもしれない。


「わかった。試しにやってみるよ」


そう答えて顔を上げると、視界の端に楓の顔が映った。

一瞬眉がぴくりと動いた気がしたが、気の所為だろうか。


「ほら、じゃあまずひざまずいて太刀を掲げて! かっこいい構図になるから!」


乗せられるまま、俺は片膝をつき、太刀を両手で差し出す。

希望は笑顔でれを受け取り、両手で包むように握った。

そして――


「この剣、雷切をもって、桐原悠真の名のもとに捧ぐ。我が手により鍛えられ、我が意により名付けられしこの刃、以後いかなる時も、真を貫き、偽りを絶つことを誓う」


その口調は、ふざけているようでいて――妙に厳かだった。


「……おい、今の、なんか本格的じゃなかったか?」

「え? いやだなぁ。演出ですよ、演出!」

「そうか? 今ちょっと“契約完了”みたいな音しなかったか?」

「気のせいですって! さて、じゃあそろそろいい時間だし。あたしはそろそろ寮に――」

「主、必要だと思いますので先にご説明致します」


先ほどまで黙っていた楓が唐突に口を挟んだ。

一瞬だけ希望の方を振り向いた楓の視線は、心なしかじっとりしていた気がした。


「今のは“神儀式契約型誓約”と申します。形式とはいえ、供物――太刀と誓約者、今回は希望様がそれにあたります、を媒介に、一方的な従属関係が成立した状態です」

「従属関係!? 何それ!?」

「主が“自らの名において捧げた”という形式になっているため、原則解除不能です。特にこの誓約文は旧王家の形式に基づいたもので――」

「お、お前何やってんだよ希望!!」

「え、いや、だってわたしはともかくさ、先輩がそんなに本気だったなんて……」


希望はバツが悪いのか目を合わせようとしない。


「ちなみにもし誓いを破ったらどうなるんだ?」

「破ると命に関わると言われています」


黙ったままの希望に代わって楓が答えた。


「えっ!? つまり死ぬってこと!?」

「直接この目で見たことはございませんので断定はできませんが、伝承によればそうだといわれています」

「とはいえ構文からすると、“致命的な不実”が発生した場合に限るようですね」


ニャルが楓の言葉を引き取って続ける。


「たとえば、希望に対して明確な敵対行動を取る、裏切りの意志を明示する、あるいは命を狙うなど――そうした“信義の根幹を損なう行為”です。些細な口論や感情の揺れ、恋愛的な浮動では発動しませんのでご安心を」

「いやちっとも安心できねぇよ!?」


ニャルが今まで見たことのない邪悪で歓喜に満ちた笑顔を浮かべて俺を見ていた。


「よかったじゃありませんか。ええ、本当によかったと思いますよ」

「良いわけあるかー!! そうだ、クーリングオフだ! クーリングオフさせろ!!」

「残念ですが、この世界にそのような法律は存在しません」


ちっとも残念そうに見えない、底意地の悪い笑顔を浮かべたままニャルが言葉を返してきた。


「仮に“クーリング・オフ制度”が本世界に存在していたとしても、今回の件は個人間の儀式的誓約に基づく“非商取引”であり、消費者契約法の対象外です」

「なんだそれ超納得いかねぇ!!」

「また、あなたが“自発的にひざまずき、名を名乗り、剣を捧げた”という明確な行動ログが残っております。契約の無効主張は困難かと」

「俺そんなつもりじゃ――あの笑顔絶対罠だったろ!!」


逃げ道はないか必死に知恵を振り絞る。

思考の果てに細い一本の糸が垂れてきた。


「いや、待て、 俺、未成年だぞ? 未成年の契約って取り消せるって昔先生が言ったぞ!」

「はい、“意思表示に瑕疵がある場合、法定代理人による取消が可能”です」

「おっ、なんかそれっぽい条文きた! よし取り消し――」

「ですが、この世界にあなたの親権者・後見人は存在しません。取り消し権を行使できる主体がいませんので、実質的には契約の継続が確定します」

「誰か俺を保護してくれーッ!!」

「またそもそもアカデミー生は対抗戦等の内容から鑑みるに、“成人扱い”とされていると考えられます。成年擬制で取り消し権自体が認められない可能性が高いですね」

「こうなったら裁判だ! 裁判所どこ!? 裁判所呼んでくれニャル!!」

「無理です。王族発効の儀式誓約は、現時点で神聖な効力を持つ行為と解釈されていますので、覆る可能性は極めて低――」


その時、玄関の方から、ドアが閉まる音が聞こえた。


「くそっ、おい希望! 待ちやがれ!!」


俺は姿を消した希望を追いかけるために走り出した。

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