第8話:識域の答え、そして忠義の誓い(後編)

――対抗戦2日前の朝。訓練場。

すっかりこの世界の空気にも慣れてきた。けれど、今日ばかりは妙に緊張していた。

よし……今日は“あえてヘタクソに振る舞う”作戦でいく。

渚との特訓を初めて早2週間。

今日は対抗戦前の調整日ということで、休日だが訓練場が開放されている。

集まったクラスメートたちの視線は、自然と“伸びしろがある奴”を探していた。

そこで、あえて「まだまだダメそうな俺」を演出することで油断を誘おうと考えていた。

来るタイマン戦で、少しでも心理的アドバンテージを取るために。

俺は芝居がかったモーションで演算にミスを混ぜ、タイミングを外し、わざとぎこちない動きを繰り返した。


「……あれ、桐原って今もこんなにヘタだったっけ?」

「ちょっと前に渚さんと特訓してたって聞いたけど、あんまり……」

「うわ、なんか可哀想になってきた……」


――よし、狙い通り。

渚は、無言でこちらを見つめていた。

いつも通りの真剣な目――けれど、その奥に、ほんの一瞬、視線を逸らすような仕草があった。

……あ、気づいてるな。全部。

演技だってことも、それを俺なりに考えてやってることも。

でも、何も言わずにいてくれる。

黙って見守っていてくれる。

ちょっとだけ、目がやさしかった気がした。

そして楓は、訓練場の隅で控えるように立ち、わずかに眉をひそめていた。

彼女も気づいている――けれど黙して見守るその姿勢に信義が感じられた。

主の判断を尊重する。

そう決めているからこそ、静かに見てくれている。

でも、その表情のほんの端に、「心配」の影が見えた気がした。

ありがとう、ふたりとも。

――しかしその二人とどうしてこうも対照的なのか、問題児が一名。


「いけいけゆーゆー! ゆーゆーのダサムーブ、今日も絶好調~!」


魔導ツールを改造したらしいペンライト片手に、テンションMAXの鈴音が俺の方へ走り寄ってくる。


「その転び方、芸術点高いよ!? あえての右足→左手→顎の順とか、転倒界の革命起きてる!」

「……うざい」

「えっ!? 今の褒めてたんだけど!? っていうかゆーゆー、今日のぎこちなさ加減ほんと絶妙だね!

“頑張ってるけどヘタな人”の演技って、地味に難しいのに!」

「いやもうバレてるじゃん!!」

「え、バレてたの!? えー、じゃあボクが褒めてたのって何? 努力? 芸術性? それとも魂?」

「全部やめろ! つーかお前なんなんだよ、今日……!」

「ボクは応援団長です☆ ほら、声出していこー! 演算は乱れても心は晴れやか! 桐原悠真、渾身のこけ芸炸裂ーっ!」

「こいつほんと腹立つなぁ」

「あー、まだまだ精神の修行が足りないなぁ。渚ちゃんにもっと整えてもらったほうがいんでない?」

「やだ、これ以上は命に関わる」

「ていうかさー、もしこれが全部演技だったとしたら――」


ひょいっと身を寄せ、鈴音は俺の胸元を指でコツンとつつく。

その顔には、悪戯っぽい笑みと、少しだけ鋭い光。


「君って、意外と策士なんだね? ギャップ、好きかも」

「お前またそういうことを……。冗談ってわかってても心臓に悪いからやめろってば」

「えー、本気かもしれないよ?」


くすくすと笑いながら、鈴音はペンライトをふっと消した。

明らかに冗談であろうそのセリフに、俺は一瞬ドキリとしてしまった。

そんなふうに思ってしまったのは、鈴音の目が、まるで本音を言っているように思えたからだ。

俺は平静を装って、鈴音に質問した。


「ところで確認なんだが、もし俺が鈴音と当たる前に負けたら、賭けはどうなるんだ?」

「そりゃあボクの勝ちに決まってるでしょ」

「やっぱりそうなるか……」

「ま、ボクが負けたらその逆で君の勝ちになるけどね」


だよな、誰かが俺の代わりにやってくれるかもしれん! そうなったら拍子抜けだけどトーナメントなんてそんなもんだったりするし。


「でも、ボクも今回は頑張るつもりだから。

欲しかったんだよね、こき使っても心の痛まない便利なパシリくん。それじゃ、当日楽しみにしてるよ」


そう言って、くるりと回ってひらひら手を振りながら、軽やかに離れていった。

くそっ、あいつ既に勝った気でいやがる……。

その背中は、気まぐれな風のようで――

けれど、どこか全部を見透かしている気もした。

俺は大きく息を吐いた。

さて、芝居の続きに戻ろう。

その後、全員で講堂に移動させられた。

前方に設置された巨大な魔導スクリーンが、淡く輝きながら展開される。




『クラス内対抗戦・トーナメント発表』

文字が浮かび上がると、教室にざわめきが広がった。

参加者は16名、全試合は明後日の一日で開催。形式は1対1。

目的は「実技と演算応用力の確認」――いわば、論理魔法を使った体力テストの上位互換だ。

高校生の姿をしていても、中身は大学相当。

この世界は、とにかく実践主義らしい。

そして、俺の対戦表はこうだった。


1回戦:理論型男子(演算精度は高いが反応速度が遅い)

→ じっくり型の頭脳タイプ。詠唱も式も正確だけど、咄嗟の判断が苦手。

つまり、不意をつければワンチャンある……かもしれない。


2回戦(準々決勝):水属性の支援系女子(予定)

→ 一見、対応力が高くて長期戦向きの相手。

だが、情報から見るに、慎重派。リスクを避けるタイプ。

ならば逆に、速攻で仕掛けた方が刺さるかもしれない。


3回戦(準決勝):高確率で渚

→ 正確な実力は測れない。ていうか、俺にそのスキルがない。

ただ、6語詠唱が標準の中、彼女は5語で出力させられる。

特訓のときでも、本気の詠唱は見せてこなかった。

つまり――まだ何も見えてない。けど、底知れなさだけは感じてる。


そして決勝:おそらく楓 or 鈴音のどちらか

→ この二人は完全に別ベクトルの強敵。

楓は“硬さと安定”、鈴音は“速度と変則”。

楓がやる気を出している今、本当に勝負の行方はわからない。

どっちが来ても、まともにやり合ったら勝ち目は薄いのだけは確かだ。

周囲がざわつく中、俺は目の前のスクリーンを見つめながら、

一つひとつの試合を“突破のイメージ”で塗りつぶしていく。

初戦は奇襲。

二戦目は、慎重な思考の裏をかく。

そしてその先に――。


「よし、行ける……行ける気がする」


根拠はない。でも、やるしかない。

俺は小さく息を整えて、スクリーンから目を離す。

するとその瞬間、背後から静かな気配が近づいてきた。


「悠真くん、ちょっとだけ……時間、いい?」


振り返ると、そこには渚が立っていた。

柔らかな笑みを浮かべながら、真っすぐにこちらを見ている。


「……最後の特訓?」

「うん。演技の締めとしても、ね」


その表情に、余計な感情はない。ただまっすぐに、俺と向き合う覚悟だけがあった。

俺は黙って頷き、ふたりで訓練場へと向かった。

西陽が傾き、訓練場の空気が穏やかになる頃。

渚は訓練用ロッドを手に、俺と向かい合っていた。

みそぎちゃんは持ってきていない。

今日は整えられなくて済むらしい。


「今日は、制御の確認をするよ。悠真くん、今どこまでできる?」


少し迷ってから、俺は正直に言った。


「7語詠唱。安定して出せるようになった」


渚の目が見開かれ――やがて、喜びの色を宿す。


「……ほんとに? 7語って、中学で“卒業前評価A”相当だよ」

「うん。発動速度はまだだけど、崩れずに詠唱通せる。再詠唱もできる」


渚はふと、遠くを見るように語り始める。


「アカデミーに来る子って、だいたい中学で7語詠唱まではマスターしてるの。 8語が“社会的に必要十分な水準”――つまり、日常魔法の完成形」

「たとえば料理人なら、火を起こしたり、加熱できるだけで仕事するには十分ってことか」

「うん。詠唱が長くても安定して出せることが大事。“速さ”や“威力”はそれほど必要じゃないの。 でも、私たちは違う。魔法騎士科は“論理魔法戦”を前提にしてるから――」 


俺が続きを引き取る。


「威力・速度・応用性、全部求められるってことか」

「そう。だから、悠真くんの7語は“戦える7語”。 嬉しいよ、ほんとに。……私、少しだけ誇らしい」


その言葉に、俺は少しだけ照れくさくなる。


「もう“叩いて整える”のは卒業ってことでいいか?」

「うん。これからは、自分の詠唱で魂を整えてね」


渚は微笑みながら、ロッドを掲げる。


「じゃ、最後にその“7語”、見せてくれる?」

「……ああ」


構えをとり、意識を集中させる。

風が吹き抜ける音の中、言葉が――論理が、静かに空に溶けていった。



渚と別れ、夕焼けに染まった訓練場にひとり残った。

空気は静かで、風の音すら演算の余韻に聞こえる。

……なんか、今ならできそうな気がする。

もう1語、詰められる。

さっき渚と話していて、確かに“何かが噛み合った”感覚があった。

論理のリズム。意識の焦点。世界と、自分自身の座標が重なる感覚。


「論理演算、識域拡張――」


起動式を唱える。意識が変わる。世界のノイズが消え、演算の導線が手に取るように浮かぶ。


いける。いけるぞ――!


「空間把握、座標収束、電荷展開、熱量圧縮、導線貫流――」


掌の先で、青白い光が走った。


「雷閃(らいせん)!!」 


バシュッ――!!

閃光が空間を滑り、前方一帯に扇状の電撃網が広がる。

直線的な貫通ではない。範囲攻撃に近い、初動の“広がる雷”。

演算は崩れなかった。

術式は、最後まで――通った。


「っしゃああああああ!!」


誰もいない訓練場に、俺の叫びが響く。

できた! ついに、6語詠唱、通せた!

手のひらに残る熱と振動。雷光の余熱が空気中に揺れている。

ニャルの助けなしの、自力での成功だ。

小さく、でも何度もガッツポーズを繰り返した。

明日は、対抗戦本番。

でも今は――この“できた”の感触が、何よりの力だった。


「……二週間、毎朝フルスイングされてたからな。魂のリズムくらいは整うわけだよ」


夕焼けに照らされながら、俺はそっと息を吐いた。

空気が、ほんの少し甘く感じた。

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