第5話:天羽鈴音は黙ってられない(後編)
午後の実技授業は、属性詠唱の実演だった。
俺は、午前の講義での学びを思い出しながら、意を決して前に出る。
……やるしかねぇ!
深く息を吸って、手を前に構えた。
「演算起動、空間把握、対象認識、座標確認、電荷観測、熱量収束、放電準備、導線確保、干渉開始――微雷閃(びらいせん)!」
――ぱしゅっ!
空中に、小さな閃光が生まれ、淡く弾けた。
雷でも火花でもない、その中間のような微細な発光だった。
出力は……微弱。でも、ちゃんと……発動できた!
「っしゃ! 成功した!」
言葉が思わず口を突いて出た。
自分でも驚くほど、詠唱に“意味”が通っていた。
午前の講義で叩き込まれた演算の流れが、確かに俺の中に残ってる――そんな手応えがあった。
だが――
「ねえ、それで喜んじゃうの?」
不意に背後から声がした。
振り向くと、鈴音がにこにこと笑顔を浮かべていた。
彼女は澄んだ湖のように深い翡翠色の瞳をこちらに向けて、一言。
「君、才能ないから、もう諦めたら?」
「……え?」
恐ろしいほど無神経かつ無慈悲なこといってくんな。
「だって ボク、10語詠唱なんて5歳のときにできたんだよ。君は16歳か17歳でしょ」
ご、5歳だと!?
「ちょっと見てて」
鈴音はにっこりと微笑むと、俺に向かって練習用の杖を突きつけた。
そして、軽やかにステップを踏み始める。
「ふわっと、くるっと、回してぇ――はい、飛んだ!」
次の瞬間、俺の身体が宙に浮き始めた。
「えっえっ!?」
「はい、強制終了っ☆」
「うわっ」
その途端、浮力を失って床に落ちる。
あぶね、頭から落ちるところだった。人生強制終了するところだったぞ。
立ち上がって周囲を見渡すと、クラスメートがざわめきを飲み込むように黙り込んで鈴音を見ていた。
やり過ぎだろ……って沈黙が、教室全体を包んでいた。
けど鈴音は周囲の視線に気付いていないかのようにニコニコしていた。
「こんな感じで、人間向き不向きがあるからさ。向いてないことするより諦めてもっと他の道探したほうがいいよ」
正論かもしれない。かもしれないけど…… 。
「そんなこと言われても。だめでも向いてなくても今はこれやるしかないんだよ」
論理魔法を学ばないと帰れないんだ。
「うーん、そういう頭固いのよくないなあ。そうだ! 今度クラス対抗戦があるの知ってる?」
「あー、なんか先生が行事予定で行ってたやつ?」
「そーそー。そこでボクが君に勝ったら、君は現実を受け入れて学校を辞める、ってのはどう?」
「無茶いうな!」
「うーん、これは君のためなんだけどなぁ。どうしてもって言うなら……そうだ! パシリでいっか! そっちのほうが楽しそう☆ ボクが勝ったら卒業までボクの専属パシリ決定ねっ!」
くっそー、好き勝手言いやがって。
さすがの俺もここまで言われたら黙った引き下がれない。
「わかった! じゃあ俺が勝ったら『申し訳ございませんでした、悠真様』って謝ってもらうからな!」
「いいよー。どうせそんなことあるわけないし。
お兄ちゃんでもご主人様でも好きに呼んであげるー」
「別にそういう性癖があるから言わせようとしているわけでは……」
本当にないかといわれると、ちょこっと嘘ついてるかもしれない。
「あれ? でも、よく考えてみるとこれ…」
鈴音が『んん?』と小首を傾げた。
くそっ、あざといなこいつ。
「なんだよ」
「負けても君別に損しなくない? 学校やめる。無理しなくていいから幸せになる。学校やめずにボクのパシリになる。ボクみたいな超絶かわいい子のパシリになれてもっと幸せになる。違わない?」
「違わ――なくない! そんなに良くない!」
あっぶね。思わず同意しちゃいそうになった。
しかしこれが……噂に聞く“美少女との奴隷契約”ってやつか……!
普通はもっとこう、心トキメクやつだろ!? なんでよりによって“ガチ労働”なの!?
こうして俺はプライドと衣食住の確保のため、勝てるはずのないクラス対抗戦に本気で取り組む羽目になるのだった。
放課後。
空がゆっくり茜色に染まっていく。
俺は昇降口のベンチに座って、死んだ魚みたいな目で靴を見つめていた。
……やっちまった。
あの約束。 いや、約束ってレベルじゃない。
”契約”だ。
勝ったら謝罪、学校は立場的に辞められるはずないから、負けたらパシリになる……。
卒業まで……。
俺そんなマゾくないんだよね、ほんとに!
頭を抱える俺の横に、足音がコツコツと近づいてきた。
「ねえ、元気ないね」
顔を上げると、そこには白川渚が立っていた。
「あー、見てた?」
「うん、同じクラスだからね。天羽さんとのやり取り、全部」
「は、はず……。うぅ、俺、もう引きこもっていい?」
「だめ。ほら、負けるにしても、もうちょっと抵抗しなきゃ」
そう言って、渚はカバンの中から一冊のノートを取り出した。
カバーは使い込まれてて、ページの端も少しめくれてる。
「これ、私の論理式ノート。必要でしょ?」
「え……いいのか? こんな大事そうなの……」
「うん。別に応援してるわけじゃないけどさ――」
渚はちょっとだけ視線を逸らして、どこか懐かしそうな表情を浮かべた。
「あなたって、なんか……昔の私に似てるんだよね。
鈍くさくて、空回って、でも変なとこで諦め悪くて」
「うわ、褒めてないよね? 今」
「褒めてるつもりだったんだけどなぁ。……まあいいや」
渚は小さく息をついたあと、俺をまっすぐ見て言った。
「どうせ負けるなら、何もしないよりマシ。ほら、わたしが特訓、付き合ってあげるよ」
「……クラス対抗戦って、どういうルールなんだ?」
渚は少し考えてから答えた。
「細かいルールは置いといて、一番重要なのは一対一で戦うってことかな。だから、最低限の詠唱はできるようになっとかないと、話にならないよね」
「……よりによってタイマンか」
「しかも順位が成績にも関わるんだよね。
悠真くんの場合、最下位だったりしたら……。来年は後輩かも」
「もうやるしかないじゃん!」
俺はしばらく黙ってから、ぼそっと呟いた。
「あーもう、なんで俺の周り、まともなやついねぇんだよ」
すると渚が、くすっと笑って言った。
「それ、私も同じこと思ってたよ」
なんでその言い方、ちょっと嬉しそうなんだよ……。
こうして俺は、鈴音との勝負に向けて―― “渚との特訓”というさらなる地獄に足を踏み入れることになった。
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