第5話:天羽鈴音は黙ってられない(中編)

ようやくチャイムが鳴ったころには、俺は既に限界を超えていた。

俺はその場に膝を抱えて座り込む。

ふと顔を上げると、俺を覗き込むように立っている少女がいた。


「ニャルか……。」

「あなたが楓に打ちのめされる姿、大変観測のしがいがありました。あの光景こそ論理収束の一つの形と言えるかもしれません」

「これが真理であってたまるか」

「ニャルの得た情報によると、格闘術に限れば楓はあなたの学年でナンバーワンです」

「な、ナンバーワン!?」


あの華奢な体のどこにそんな力が……。


「ですので、あなたが芋虫のようにころころ転がるのは自然の摂理です。落ち込む権利はありません」


既に体力の限界だというのに、精神力まで削ってくるのかこの神様ごっこAIは……。


「さあ、早く戻らないと次の授業に遅れますよ。次は論理数学の時間です。遅れるわけにはいきません」

「なんでそんなにやる気出してんだよ。俺むしろ遅刻したいぐらいなんだけど……」


俺は、体を引きずるようにして、教室へ戻った。

次の授業、よりによって論理数学かあ。

気が重いったらありゃしない。




そして論理数学の授業が始まる。

今度はニャルも席について一緒に授業を聞いていた。

ニャルは平然と教壇の内容を記憶・理解し、時折教師に質問を投げる。


「その干渉項、論理的に非可換ですよね? 属性変換式の定義域が重複しています」

「えっ、ああ、そう……ですね。うん」


教師がタジタジになるレベル。

なんなのこの子。なんでそんなに詳しいの?

一方の俺はニャルの隣で、授業中に課題として出されたプリントと格闘していた。

俺以外のみんな終わって先に進んでいるのに、 一人だけ完全に取り残されている。

なんで俺、異世界来てまでこんな目に……。

ようやく論理数学の授業が終わると、次の講義テーマが掲げられた。


「論理魔法における防御演算の構造」


先生が黒板に図式を描きながら語り出す。


「さて、2週間後に予定されているクラス対抗戦に備え、本日は論理魔法の防御について話す。


まず結論からだ。防御魔法は“常時展開バリア”じゃない」


バリア……久々に意味がわかる単語が来た気がする。


「実際は、“詠唱によって起動される反応型防御”だ。


戦闘モード――つまり識域解放状態になると、脳の演算リソースの一部が、

身体強化と防御処理に割り当てられる」


ん? それなら結局、常時バリアってことじゃ?


「これは“常に最大防御を維持する”って意味じゃない。

正確には“攻撃が来たとき、すぐ動けるように構えてる”状態だ。

だから、攻撃を認識してから防御が実際に発動するまで、わずかなラグが発生する」


そう言って先生は、“反応ライン”という言葉を黒板に書き加えた。

なるほど……防御魔法って、“完全オート”じゃないんだ。攻撃されたって意識がいるんだな。


「戦闘中は、脳の演算リソースが防御にも常時割かれている。

攻撃を受けた際はさらに防御の出力が上がるため、リソース消費は増大する」


すると、戦闘モードは時間制限付きってことか。

それで毎回、起動の呪文が必要になるわけだな。


「特に致命傷になりうる斬撃や刺突は、演算が優先して処理する。

多少認識が遅れても、知覚した瞬間に無意識下で演算が走り始める。だが逆に言えば――」


「全ては防げないってことか」


ぼそっとつぶやいた俺に、すかさずニャルが反応する。


「ええ。“意識と認識”に依存するため、視界外や範囲攻撃には反応が遅れます。

特に爆風や衝撃は抜けやすいですね」


なんでそんなに詳しいんだコイツ……。

昨日1日のリサーチだけで、基本情報全部頭に入ってるってこと?

先生の説明も続いていた。


「“切られてないのに吹き飛ばされる”ってやつ、あるだろ。あれは演算が斬撃だけ処理して、

衝撃は通った状態。この現象を、“演算結果の分離”と呼ぶ」


切られはしないけど、痛みは感じるし、体は吹っ飛ぶんだな。


「身体強化による防御補助は、いわば魔法のフルプレート鎧だ。だが、これも演算リソースが切れたら終わりだ」


つまり、防御にはMP……じゃなくて“演算力”が必要ってことか。


「まとめよう。論理魔法の防御は、意識・認識・演算速度の三位一体。

知識も訓練もない者は、詠唱が間に合わずにやられる。心するように」


俺はそっとノートに書き込む。

《俺=防御反応:ラグ地獄。死亡率:常時点灯》

そのメモを見たニャルが、無言で「×」をつけた。


「表現が感傷的すぎます。正確には、“反応鈍重、適応力:低”です」

「……うるせえよ」


焼き切れそうな頭に、ニャルの容赦のない言葉の槍が突き刺さる。

昼休みまであと二十分……。



ようやくチャイムが鳴り、4限目――論理魔法学の授業が終了した。

教室全体がふっと和らいだ空気に包まれ、俺はノートに突っ伏したまま、ぐったりと呻いた。


「まだ因数分解までしか習ってないんだぞ。虚数とか勘弁してよ……」


数式で脳を焼かれたあとに、

“演算速度がどうこう”なんて話されても、理解できるわけがなかった。

……昼飯どうしよう。

自然と視線がノートの端に書いた「Fランク」の文字に落ちる。

楓、今日も用意してくれてるかな。

朝は聞ける雰囲気じゃなかったしな……。

あの空気。完全に“私語厳禁”って顔だった。

無表情とかじゃなく、ただただ無言。その沈黙が逆に怖い。

体育の授業の時はそれどころじゃなかったし……。

ああ、だからこそあんなに楽しそうだった!?

これというのもすべて隣の性悪ロリのせいだ。

ニャルは本人曰く「観察モード」に入ったとのことで、誰とも話すことなく座ったまま周囲を分析していた。

基本的に食べなくても問題ないらしいので、昼休み中はデータ収集に専念するとのこと。

石地蔵になったニャルは置いて行くこととして、

俺はゆっくりと立ち上がり、昼食のために中庭の片隅へと向かった。

昨日のことがあったからだ。

さすがに今日も渚と過ごすのは色んな意味で危険すぎる。

楓のことだ。人気のないところで待ってれば向こうから来てくれるだろ、多分、きっと。

仮に来なくて待ちぼうけになっても今日だけは止むなし。

覚悟を決めて誰もいない静かな木陰で待つこと数分。

カツ、カツと足音が近づき――


「お待たせしました。遅くなって申し訳ありません」


楓が、昼食の包みを持って現れた。


「いや、全然。うん、今日も弁当作ってくれてありがとう」


俺がそう言うと、楓は一瞬だけ驚いたような顔をして、少しだけ視線を逸らした。


「……仕事ですので」


楓が静かに持参した弁当を広げた。

鳥のさえずりと、木の葉のざわめきだけが心地よく響く。


「……」

「……」


なんか、落ち着く。と、思っていた矢先。


「――あっ、先輩! えっ、楓といっしょにこんなところでお昼!?――あれ、あれ? あれれれ?」


なんと、野生の希望が突然飛び出してきた。


「あ~~、やっば、めっちゃ邪魔しちゃった感じ!?


うわ、ごめんごめん、ほんとにごめん!! 」


「別にいいけど、なんでお前そんなテンパってるの?」


こっちは昼ご飯食べてるだけだぞ


「あ、じゃあ! また後でね、楓! 見なかったことにするからねー」


わたわたと雰囲気で楓そう告げると、希望はくるくるターンしてフェードアウトしていった。


「……ありえない誤解をされたかもしれませんね」

「ん、なんか言った?」

「いえ……」


風が一度だけ強く吹き、二人の間に揺れる沈黙だけを残した。

こうして昼休みは静かに過ぎ去り、再びの地獄の授業が始まった。

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