第6話:ナゴモくんとみそぎちゃん(前編)

朝。――いや、正確には『めちゃくちゃ早朝』。

俺は、まだ空気に夜の気配が残る訓練場に立っていた。


「なんでこんな時間に集合なんだよ……。朝飯も食ってねぇのに……」


自分の声が、冷えた空に虚しく響いた。

そんな俺の前に、静かに立つ少女が一人。

黒髪ロングに清楚な制服姿――だけど、その上から羽織ってる白い布はどう見ても巫女服っぽい。

そしてその腕。白い袖の下から、細い手首に巻かれた銀の鈴が、かすかに揺れていた。

しかも両手には、見慣れない“何か”を携えている。

……それにしても、なんかシルエットがやたら整ってるというか、スラッとしてるのに、胸だけやけに主張が強いというか。

見ないようにしてるのに気がつくと目がそちらに向いてしまう。

自然の摂理だから仕方ないよね、これ。


「おはよう、悠真くん」


柔らかい笑み。

その声に応じるように、手首の鈴がもう一度――カラララ……と鳴った。

その言葉のあとに続いた一言で、背中に冷たい汗が流れた。


「空腹は霊の通り道を開いてくれるから……朝食抜きで正解だね」

「そんな理由なの!? それなら朝飯くらい食わせてよ!」


ツッコんだ瞬間、俺の視線が自然と彼女の手元に向かう。

それは――どう見ても鉄製の鈍器だった。

棍棒みたいな形で、先端に金属の鈴、柄には何やら呪文めいた模様。


「……おい、それ、まさか武器か?」


あれはあの、歴史マンガとかで出てくる、兜ごと頭叩き潰したりする、蒙武とかが使ってたりするあのメイスってやつでは……。

渚はふわりと笑い、長い黒髪を揺らしながら――その手に握られた“それ”を優しく撫でた。


「武器じゃないよ。これは“お祓い棒”。魂のリズムを整える儀式具だよ」


お祓い棒ってあの中庭で初めてちゃんと話したときに唐突に出てきたあの謎ワード?

ああいうのってもっと細いやつじゃないの!?


「みそぎちゃんって名前なんだよ」

「いやいやいやいや!! 名前ついてんの!? しかも“ちゃん”付け!?」

「だって、大事な儀式具だから……丁寧に接しないと可哀想でしょ?」

「いやもう完全に友達感覚で語ってるじゃん……。それどう見ても撲殺用武器なのに……」


声を荒げた俺をよそに、渚は小首をかしげた。


「そんな物騒な言い方……これは清めの道具なんだよ?」

「清めるために殴るのならそれは物騒でしょ?」

「……ただ、理に反する存在に、ちょっと“重く”当たるだけ」

「“だけ”の範囲超えてるんですけど……」


何を言ってるんだ、この子は。

彼女は一歩だけ俺に近づいた。


「信じてください。わたしは正気です。“今のところは”」


笑みはそのまま、でもその瞳だけが、不思議なくらい澄んでいる。


「そのうち正気じゃなくなる予定で喋らないでくれ」


それのいったい何を信じろというのか。


「悠真くん、論理魔法はね、魂の同調から始まるの。

魂が乱れていたら、まずは物理的な“揺らぎ”でリズムを整えてあげないと」

「物理で魂をどうこうすんのやめてくれません!? もうちょっとスマートに頼むよ!」

「演算って、“存在の理”を整える行為でしょう?

乱れたままじゃダメ。だから、ちゃんと叩いて直す。……それだけだよ?」

「フリーズしたパソコンを強制再起動してるのと一緒だって! それで叩かれたら壊れるって! 俺、壊れるって!!」


渚が“みそぎちゃん”をひょいっと振った。鈴の音が、カラララ……と涼やかに響く。


「じゃあ、始めよっか?」


渚は静かに構えた。さっきまでの柔和な表情のまま、棒を両手で握り直す。


「第一演算、魂振りの儀――清め、開始」


え、ちょっ、なんで演算始まってんの!?

――構えが完全にバトルモードなんだけど!?

なんで儀式でフルスイングなんだよ!!

しかもあの棒なんか光り出してない!? 


「悠真くんも防御演算フル稼働してね。加減はするけど、頑張らないと折れちゃうかも」

「待て待て待て!! 折れるって何!? 俺防御のための魔法なんて昨日聞いたばかり――」


……言い切る前に、渚の足元がふっと消えた。

いや、違う。跳んだんだ。俺の目の前に、ふわりと影が落ちる。


「祓え給え、清め給え――理、一閃」


ド ゴ ン 。

次の瞬間、世界がひっくり返った。



1時間目――論理魔法基礎史。

普段なら眠気との戦いに突入するところだけど、早朝から“みそぎちゃん”で魂のリズムを叩き直されたせいか、今日は妙に目が冴えている。

いや、脳が覚醒したっていうより、完全に警戒態勢に入ったままって感じだ。

後ろからまた誰かに棍棒で殴られんじゃという危機感に囚われたままだ。


「論理魔法の戦術応用が始まったのは、紀元前200年ごろ――初期の魔導武器は、意外にも“刃物”ではなく、“鈍器”が中心でした」


先生の声が、淡々と教室に響く。


「当時は現在ほどの演算技術がなかったため、魔法発動までの詠唱語数が今よりも長かったため、詠唱阻害を目的とした抑制型武器が主流でした。また、宗教的な戒律により“刃による裁き”が禁じられていたという背景もあります」


あれ……?

渚の“みそぎちゃん”って、まさかその流れを汲んでるのか……?

思い返すと、彼女は“これは鈍器じゃない、清めの具だ”とか言ってたっけ。

……いや、いくら理屈があっても、棍棒をフルスイングしてくる女子はまともではないだろ。


「現代戦においては演算速度の向上に伴い、手数が求められるようになったため、剣型武器の使用率が最も高くなっています。詠唱数が少ない術者ほど、相手の詠唱を潰しやすい軽量武器を好む傾向にありますね」


なるほど、今の主流は“スピード×手数”ってわけか。

……うん、わかる。めっちゃわかる。

“魂のリズム”で殴られた今なら、なおさらその気持ちがわかる。

そして最後に、先生がさらっと補足した。


「とはいえ今なお現代でも教理会の術者の多くは、儀式的意義を重視し、鈍器を主たる武具とする傾向が強く、理導騎士団はその類の武器を主兵装として採用しています」


教理会? 宗教団体かな。渚、ガチでそれ系の信奉者だったりして……。

脳裏に浮かぶ渚の笑顔と、みそぎちゃんの鈴の音――

ついでに俺のうめき声までがフラッシュバックしてきて、思わず机に突っ伏した。

――あれ、俺、PTSD患ってない?

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