第一部2章「行く末」

ウッパーラを乗せた輿は都城の境界を抜けると間もなく砂漠に入った。これまで人生のうちのほとんどを城の内で過ごした彼女にとっては初めて見る、何もかもが新鮮な景色だった。

「お父様が、広い世界を見ろとおっしゃったのは、単なる建前ではなかったのかも知れないわね。」

城を出てから3日。夜に張る幕舎の中で眠ることにも慣れてきたが、代わり映えのしないはずの砂続きの景色を見たくて顔を出しては何度も従者に諌められてしまう。後ろを振り返ればたくさんの嫁入り道具を載せたラクダが長い列を作って付き従っている。

さみしくないといえば嘘になる。それでも、あの夜に、父と交わした会話が、自分と祖国の行く末を明るくしているように思えた。

「小紅、行く道道で駅に寄るでしょう?私も駅を見て歩くことはできるかしら。」

駅は砂漠の中にある中継地点として、人や、物の行き交う場でありながら、同時にそれ自体が都市と同様の役割を果たす。鄯善国や于闐をはじめとする都市国家はこの砂漠に点在する駅を複数管轄する形で国土を形成している。

「まあ、なぜですの?みだりに出歩くことはできませんわ。わかっておいででしょう?万が一姫様に何かあったら…」

眉をひそめる小紅をウッパーラは軽くにらんでみせる

「わたしがまた我儘を言い始めたと思っているんでしょう。」

「違いますの?」

狭い王城を出たせいか、この忠実な腰元の態度もいく分か大胆になってきたように思える。

「兄を捜そうと思うの。」

…あの夜の父の言葉がまだ耳の奥で響いている。ウッパーラ、最後にもう一つ言っておこう。お前の兄、スーリャが生きているという情報がある。スーリャが生きていれば、この国には、まだ望みがある。だからお前も生きて、于闐国との橋渡しをしてくれ。それがお前の務めだ。頼んだぞ…

父は、兄を探せとは言わなかった。

兄とは一回り以上離れていて、一緒に過ごした記憶はほとんどない。見つけられる確証すらない。でもささいな情報くらいなら集められないだろうか。

兄が見つかり、父の後継者として立ってくれればこの国を永らえさせる大きな糧となる。

「あなたも手伝ってほしいの。この国を救うことにもつながるんですもの。」

「…。」

「もちろん、危ないことはしないわ。護衛についてもらって、兄を知っている人がいないか、聞いて回るだけよ。」

「残念ながらあまり賢明なお考えとは言えないと思いますわ。」

「…どうして?」

「なぜって、姫様、兄君とは幼いころに分かれてしまったのでしょう?お顔も覚えていらっしゃらないとおっしゃっていたではありませんか。到底見つけられるとは…。」

「わかってるわ。でも…、私だって何かしたい。父上一人、国に残してきてしまったんだもの…。今だって、いつ何時、どこから敵が攻めてくるか…。父上は戦にも疲れ切ってしまっているわ。でも兄がいれば…。」

「お気持ちはわかります、姫様。でも私どもは女ですもの。女は女の務めを果たしましょう。姫様は于闐国に嫁がれる、そのことが一番わが国のためになりますし、一番の親孝行ですわ。」

「何よ、小紅の腰ぬけ。もういいわ。」

「姫様…。」

ウッパーラはそれっきり口を閉ざしてしまった。所詮この女は侍女なのだ、と思う。自分がどんなに祖国のことを思っても小紅にはわからない。恐らく、小紅の頭の中は、自分の世話をして、安泰に生きること、いつか適当な殿方を見つくろって幸せな家庭を築くこと、その程度なのだろう。責めるまい。幼少期から王城に使えるために教育を受け、そう躾けられてきたのだから。見る物、考える物が違うのだ。

馬車の心地よい揺れに眠気を誘われたウッパーラは、そんなことを考えながらもいつの間にやら前後不覚に眠りこんでしまう。時折遠くで人の大きな声が聞こえたような気がした。野営の準備が整ったのだろうか。うとうとしていると急にがくんと大きな衝撃を感じて目が覚めた。

「何?」

周りを見渡そうとすると、首も手足も、うまく動かせないことに気づく。

「こんなことになってもまだ眠りこけているんだから、お姫様は気楽だよな。」

聞き覚えのない声に戸惑ううち、朦朧としていた意識がはっきりし始める。ほほのあたりに冷たい物を感じて目を凝らすとまず目に入ったのは粒子の細かい砂だった。首を動かすと砂ぼこりが目に染みる。

「おい、起きろ。」

乱暴に引き起こされて、体の均衡を崩す。反射的に手を突こうとしたがそのままどさりと倒れて先刻と同じように砂の中に顔をうずめてしまう。ようやくそこで、ウッパーラは自分の手足が縛られていることに気づく。何が起こったのだろう。

「大事な人質だ、丁寧に扱え。」

「人質?」

「ようやく状況が呑み込めたみたいだな、お姫様よ。」

いつの間にかすっかり夜になっていた。暗がりの中でいくつかの人影が動いているのが目に入る。どの影も、慣れ親しんだ王城の衛兵の物ではないようだ。目の前にいる主人格の男に尋ねる。

「あなたはだれ?何故こんなことを?」

「王族ってのは何にもせずに人の稼いだ金で飯を食ってるくせに、そのくせそれだけで価値があるときやがる。皮肉なもんだ。」

「無礼な。どういう意味?小紅は?」

混乱した頭で矢継ぎ早に質問を投げかけると、男はにやりと笑って後ろを振り返り声をかける。

「おい、お姫様がお呼びだぜ」

見覚えのある女物の靴が静かに歩み寄ってきて、地に伏すウッパーラの顔を覗き込んで言った。

「おとなしくしていれば、痛い目には合わせないわ、姫様。」

「…小紅。」

聞き慣れているはずの小紅の声は、ひどく澄んで、そして冷たく響いた


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る