一切合切

白川津 中々

◾️

 瑛雲和尚は破戒僧だった。

 肉食飲酒は当たり前で女も買う、欲望に忠実な人物であった。


 ある時、若者が和尚に聞いた。「どうして教えを守らないのですか」と。和尚は間を置かず答えた。


「俺は釈迦にものを教えてもらった記憶がない」


 瑛雲和尚は教義や経典など偽りだとのたまっていた。曰く、現代仏教は本来持つべき意味が限りなく薄まり歪曲されていて、かつ形骸化しているのだという。


「自分は貪ってはいるが執着はしていない。金がなくなれば金がないなりに生きる。肉も魚もどうでもいい。女は……うん。大丈夫だ。いなくても生きていける。なにもなければないでいいんだ。しかし周りの坊主どもを見ろ。綺麗事ばかりを並べて、肝心の芯の部分は偽りだらけじゃないか。誰が説いたか知らん教えを崇拝し、金子を得て豪華な暮らしを満喫しながら生き汚く徳を下げている。奴らにとって、宗教はビジネス。就職先だ。仏像やら曼荼羅やら馬鹿馬鹿しいとは思わんかね。あんな偶像に何を感じるものがある。あんなものは、いわば権威付だよ。ブランドと変わらん。それを崇拝するような輩と比べて俺はどうだ。何も持っちゃいないし何も崇めてもいない。隠し事も後ろめたさもない。本来無一物とはこの事さ」


 瑛雲和尚のその言葉は理屈なのか自己弁護なのか判断がつかなかった。しかし、和尚が言っていたように「なければないでいい」というのは本当だった。山中で見つかった和尚の遺体の胃には、何も入っていなかったのだ。


 和尚はなぜ入山したのか。それは本人にしか分からないが、死人に口なしである。もはや知る由もない。しかし、執着なく涅槃に入ったのは確かであろう。その死に顔は、彼が偶像と切って捨てた仏像のように、穏やかだったのだから。

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一切合切 白川津 中々 @taka1212384

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