遅刻の言い訳が世界の危機だったやつ。
温いソーダ
第1話
この暑さこそ世界の危機だ。
俺、
本当はこんなことしたくないのだが、仕方がないのだ。何せ俺と待ち合わせをしていた奴が遅刻したのだから。
『続いては天気予報です』
暇つぶしにスマホでニュースを見るとちょうど天気予報のコーナーに変わる。俺はこの後のご飯系の特集コーナーを楽しみにしているのだ。こういうのを見るだけでなんとなく楽しい。
『…また東京は39℃と全国で暑くなっています。こまめな水分補給を忘れずに、体調が悪くなったらすぐに涼しくしてください。それでは、良い一日をお過ごし下さい!』
『鈴木さん、ペーターくんありがとうございました!続いては…』
ようやく天気予報のコーナーが終わり悠々と窓ガラス越しに公園を見つめていると、好青年と呼ぶに相応しいほどのやつと目が合う。そいつは俺を見つけるなり急いで店の中に駆け込んだ。
「ごめん!マジでやっと終わったんだ!」
「二時間何やってたんだよ」
イヤホンを外しながら口を尖らせる。
「本当にごめん!早朝にフランスで魔女の霊が暴れちゃって、封じ込めてたんだ」
またいつもの言い訳だ。
こいつは別に悪いやつじゃない。むしろいい奴だ。しかし極々稀にこうして遅刻してきては言い訳がいつも小学生が考えたかのような言い訳。
「まあ、いいよ。今日俺は暇だったしな。暇すぎてお前に声をかけたんだし」
「でも遅れてしまったのは俺だしな。今日の昼飯くらい奢るよ」
「じゃあ、あそこのバーガー屋行こうぜ。なんか有名らしいじゃん」
「お!いいじゃん。俺も食いたいわ」
俺が指さしたのは最近SNSでよく見る“悪魔のハンバーガー”なんて呼ばれているハンバーガー屋だった。
ハンバーガーに歯のようなチーズと、舌のようなベーコン、そしてその中からはみ出ているレタス、上から乱雑にかけられたケチャップは血を見立てているらしい。
多分映えを意識しているんだろうが、味はまぁまぁ美味しいらしい。所詮映えにしか興味がないネットの情報なので信用してはいない。
「悪魔のハンバーガー?なんか嫌な名前だな」
「そうか?厨二病みたいにバカらしくて俺は好きだけど」
普段ネットを見ない優樹らしく受け入れ難いようだったが、もうそういうものにも慣れた俺にとっては何も感じなかった。
少し並んでいる列に加わってメニューを見ながら考える。優樹は普通のハンバーガー、俺は悪魔のハンバーガーに決めて優樹に注文させた。
「じゃあ俺机取っておくわ。お前はご飯とジュースよろしく」
「おお、任せろ!すぐ運ぶからな!」
混んでいる店内の中でやっと空きのテーブルを見つけてそこに座る。優樹を待っている間はメッセージやSNSを見ることに費やした。
最近は街中もやけに物騒になっている。牧場からヤギと羊が一頭ずつ盗む、なんて変わった事件も散見される。
確かに犯罪者の感情には同情できる部分もある。確かにこの世界は理不尽だが、そんな行動で変わる世界でもない、というのが俺の考えだ。
「よっ!運んできたぞ」
調子のいい、とても元気な声で優樹がやってくる。悪魔の名にそぐわないハンバーガーと普通のハンバーガーと共に。
「なんか、ショボいな」
思わず言ってしまった。食べてみたものの味も普通。バズっているものとはこういうものなんだと認識を改めた。
「んで、一応まだ時間あるしゲーセンとか行けそうだけどどうする?」
ハンバーガーを食べ切ってふやけた紙ストローを吸い、サイダーを飲んでいたところ、俺のスマホを追いやって優樹が話しかけてきた。
「なんでもいい。お前が行きたいところで」
適当に返して、優樹のあとに着いて行った。
それから午後はたくさん遊んだ。
ゲーセンで散財したものの、結局目当てのぬいぐるみは取れなかったし、プリクラでふざけすぎて加工が外れたり、カラオケで声が枯れるまで歌ったりなどなど。本当に色々やって、今年の夏の思い出を全てやり尽くした気分だ。
帰り道、コンビニでアイスを買って、人気のない公園のブランコで蝉の声を聞いていた。
「なんだかんだ青春したな!すごく楽しかった」
「これって青春っていうのか?」
呆れながら答える。空が赤く顔は朧げにしか見えなかったが、満面の笑顔ということは認識できた。
「楽しかったら青春だろ。違うのか?」
「どうなんだろうな。俺にもよくわからない」
ブランコを揺らしながらサイダー味のアイスをかじる。アイスはなんだか特別な味がした。
「親友のお前だから言うんだけどな…」
急にいつもの明るい優樹の顔が神妙な面持ちになったので、俺も固唾を飲んで姿勢を正した。いつもツッコむ親友という言葉も今は触れられなかった。
「あのな、最近この地域で魔王を再臨させようとするグループがいるらしい。それがどのくらいの規模なのかはわかっていないんだ」
「はぁ…?」
何かもっと大事な話かと思ったら、空想話の続きを聞かされたので思わずため息と共に呆れた声が飛び出る。
いい奴なのに本当におかしなことを言う奴なのだ。いい奴でなければ、俺はコイツに関わることもしないだろう。
「それも、一週間以内に」
「ふーん。で?俺らに何か関係あんの?」
「あるに決まってるだろ!再臨してしまったらこの街どころか、この国が滅ぶかもしれないんだぞ!」
真剣で、とても迫力のある声に気押される。喉や手もなんとなく震える。
「じゃ、じゃあ、どうすればいいんだよ。俺たち一般市民にはどうにも出来ないっつーの」
「この一週間は外に出ない方がいいかもしれない。家も安全じゃないんだが、外よりはマシだ」
暗い中で顔が見えないこともあるが、それ以上にその声色が緊張感を孕んでいた。
「わかったよ。お前がそれだけ言うってことは余程のことだもんな」
「すまん。俺がしっかり調査して止めなきゃ行けないのに、まだ見つけられてないなんてヒーロー失格だ」
俯いてブランコを揺らす優樹にちょうど街灯が灯った。さながら主人公だ。
「こんなとこでうだうだやってても始まんねぇよ。早く帰ろうぜ。もう日も陰ってきてるし」
アイスの最後の一口を食べて立ち上がる。優樹の顔は思いつめた表情をしていた。
「…そうだな!帰ってから考えるわ。ありがとう」
「礼には及ばんよ。俺も帰ってやることあるし」
「何すんだ?宿題?」
「バーカ。あんなの最終日に急いで終わらせればいいんだよ」
俺が笑うと優樹もいつものように笑う。どうやら元気を取り戻したようだ。
適当に話しながら太陽の沈む方向に進む。駅の光もあって街は光で溢れていた。
「じゃあ、またな!」
「おう」
軽くて短い別れを告げて改札を通る。駅や電車には退勤している大人たちが群れをなしていた。
そっと誰にも気づかれないように息を吐く。
「ヒーローが気付かないのは流石にダメなんじゃないか?」
小さな小さな呟きは都会の喧騒の中で消えていった。
優樹と別れてから電車に十五分ほど揺られて自宅に戻る。自宅といっても何人かと住んでいるシェアハウス的なものなので、自宅というような気がしない。
もう既に仲間は祈りの儀式を始めているらしい。俺は急いで礼服に身を包み聖典と羊を裂くためのナイフを腰に備える。
『祈りの儀式は今日の日が水平線に半分浸かったとき、五つの拠点同時に祈りを開始せよ。昼に五つの拠点の中心で仔羊を殺して血で十字を書け。その十字に生きた山羊を一頭。その頭の上には数多の宝石が装飾された王冠を置け。そうすれば昼の空がすぐに夜のようになって地上に闇が落ちるだろう。古き息を吹き返し、主は降臨する。』
これこそ俺が授かった石板に書かれていた内容だった。
「直哉様、もう祈りは始まっています」
「わかってる。遅れてしまったな」
「いえ、我らが主からの声を聞こえるのは直哉様だけなのですから」
信者は大きな扉を開けて地下室の最奥、祈りを捧ぐ神殿へと俺を誘導する。口では尊敬の言葉を語るが、所詮子供だと侮っているように見えた。
魔法陣の中央で仔羊を屠り、血を垂らし、十字を描く。そこに何も知らない山羊を置き、王冠を被らせた。
「さぁ、我らが主を讃え崇めよう」
憎悪も苦悩も復讐心さえも含んだその声は人々をさらに熱狂の渦に誘い込んでいる。
ああ、ついに野望が叶うんだ。ついにこの世を終わらせられる。
内心で悲願を達成することを喜びながら、どこか虚しさを抱えていた。
「祈れ!祝え!待ち望んだ魔王は降臨するだろう!」
魔法陣から光が放たれ、祈りの声が空気を震わせる。
直哉は拳を握りしめ、憎しみを体外に逃すかのように叫んだ。
「俺から全てを奪った世界は俺の敵だ」
その瞬間、山羊が黒い霧になり、辺りに霧散して歓声が上がった。その霧は空間に広まってから俺に集中する。
俺がその霧に溺れる中、あの日の光景が脳裏によぎった。
あの日の俺は幼く、無力だった。
妹の由梨は冷たくなっていた。由梨の笑顔が見たくて買ったケーキも床に散らばっていた。
両親は笑っていた。「ようやく不出来な妹を殺せた」と。
その日、由梨の誕生日は由梨の命日になった。
昔から親の虐待は酷かった。俺も何回も殴られ、蹴られ、気を失っていた。しかし俺が成長するにつれ、親の標的は由梨に移った。
もしも、普通の家庭に育っていたなら、由梨はたくさんの人から愛されて、健全に育っていただろうに。
由梨の死因について医者は虐待を疑ったが、親は「事故」を主張した。結果的に警察も事故として処理した。
世界は沈黙し、俺たちを見捨てた。
家を出て彷徨い、盗み以外で生き延びていたある日に耳の奥で声がした。
「少年。世界を憎んでいるな?」
毎週聞こえていた声が毎日になり、やがてほとんどの時間でその声が聞こえた。
「…もちろん」
ついにその言葉に反応してしまった。
その声は魔王だと名乗り、俺を水面下で働いていた魔王信仰の団体に導いた。そして、俺はその団体の手を取った。
他にも道はあったかもしれない。けれどこれが俺の選択だった。
世界を破壊するために、俺は魔王を利用した。
意識が戻り、視界が揺れる。地下室にいたはずが、気づけば曇天のビル群の中に立っていた。
「こんなことになって、お前どうするんだ?」
「ん?嗚呼、直哉の友人か。どうもなにも世界を破壊するんだよ。直哉もそれを望んでいる」
体を動かそうと思っても動かせない。自分の制御下に自分がいない。
「勝手に自分で溜め込みやがって。俺にぐらい教えてくれよ!」
叫ぶ優樹を魔王が嘲笑う。手から浮き出るように魔法陣が出現した。
どうにか腕を動かそうとするが全く動く気配がない。視界や指先すら自分で動かせなかった。
体が宙に浮くのを感じる。コンクリートが丸く抉れている場所も散見された。
「失せろ」
その瞬間魔法陣から火の球が投げられ、優樹に直撃する。砂埃があたりを渦巻いた。
「小僧は無力で信頼されていなかった。それだけだろう?直哉ももっと賢い奴と友になれば良かったものを…嘆かわしい」
自分の口から出たはずの言葉はあまりに低く、冷徹さを感じた。
「黙れ、黙れよ!」
そのまま飛んで他の場所へと移ろうとした瞬間、砂埃から優樹の声が聞こえる。
「まだ立ち上がるか」
「ああ、何度でも。ヒーローは負けちゃいけないんだ」
どこからどう見ても満身創痍で、口には血が滴っている。それでも俺を捉えている姿はヒーローそのものだった。
「その使命感は素晴らしいが、それは無謀というものだ。勇敢と無謀を履き違えるな」
「愚かだっていい。俺は親友を見捨てたく無いんだ」
「友情は美しいな。その友情も仮初だったようだがな」
魔王が天に魔法陣を描く。明らかに先ほどよりも書き込まれていて、より強力なものだということが伝わってきた。
「死を選ぶ愚か者は大好物だよ。魂は手っ取り早く得られる方がいい」
魔王が腕を振り下ろす。火の球が天から優樹を襲う。
いくつかの火球と拳がぶつかり合い、曇天のビル群に似合わない衝撃音が響く。ビルは徐々に壊れていて、同時にガラスが降る。
それらを避け、跳ね返す姿はとても見ていられるものではなかった。
何度も地面に叩きつけられ、火球を浴び、およそ立ち上がれない状況の中でもなお立ち上がる。膝も腕も震えて、頭や唇から血が垂れているにも関わらず、拳だけは握り続けていた。
瞬間、優樹は輝く瞳で俺を見据える。
「直哉!俺はお前を絶対に見捨てない!」
その言葉で、俺の根本にあった何かが音を立てて崩れた。絶望が、希望に変わって新しい絶望に塗り替えられた。
俺は何をしているんだ。これが選んだ道なのか?
魔法を放ち続ける俺の中のナニカ。唯一俺を親友と呼ぶアイツ。自分の意思で動かない体。
これは俺の選択じゃない。
炎に照らされたナイフの銀光が、俺の目を引いた。腰に据えていた、仔羊を裂くための刃。
魔法が途絶え、空から落ちる。これが最後のチャンスと言わんばかりに身体は嫌に好調だった。
俺が動けるのはもうこの瞬間しかないことを、本能で理解した。
「直哉!」
「これは俺の人生だ。俺の人生は復讐でしかなくて、それすらも他者に決められていた」
腰にあったナイフを右手で撫でる。木製の柄がよく手に馴染んで、俺に握られるためにあるのだと語ってくる。
「復讐すら誰かの掌なら、一生利用されるくらいなら、最期くらい自分で決めさせろ」
「やめろ、やめてくれ」
さっきまで曇っていたくせに、空は皮肉なほど晴れていた。まるで嘲笑うように、太陽は地面を照らしていた。
「遅くなっちゃったね。由梨」
胸に刃を向け、一直線にナイフを自分に押し込む。
一瞬の間に熱さと寒さが往復する。走馬灯のように全ての記憶が流れていく。サイダーのあの味が口の中に広がる。
倒れる最中、優樹の声が遠くで聞こえる気がした。悲痛でぐちゃぐちゃな、無様で昔聞いたような声。
「お兄ちゃん」
少しだけ、世界の嘲笑に天使の微笑のような温かさを感じた。
この世界の平和の裏にはいつも危機とそれに相対するヒーローがいる。
昨日のアメリカにいたハリケーンの怪獣のときも、一昨日のイギリスにいた霧の魔人のときも、先週の日本にいた墓場の悪霊のときも。
去年の夏にあった魔王降臨のときも。
ヒーローの感情は関係なく、人々の平和を守るために日々どこかで戦っている。
そんなヒーローの一人、優樹は息を切らしながらどこかに走っている。道中の速さに耐えかねた花束からは花弁が散っていた。
とある墓の前で急ブレーキを踏んだ。その墓は一年前に建てられたばかりなのに、もうツタが這っていて古めかしく見えた。
息を整えて汗を拭う。急いでいたが、日付は既に変わっていた。
「すまん!アメリカでハリケーンの怪獣が暴れててさ」
いつも通りの弁明、いつも通りの口調で言いながら花束を添える。彼の顔は疲れからか歪んでいた。
「あれからまた色々あってさ。お前の組織は潰れたけど他にも怪獣とか魔女とかたくさんいて、大変なんだよ」
そんなことを言いながら直哉の好きだったサイダーの缶を置いた。
「俺の奢り。お前好きだっただろ」
優樹は墓に背を向けるように座り込む。空にはあの日と違って綺麗な星が輝いていた。
「また遅刻しちゃったな」
優樹の小さな小さな呟きに反応するかのように、墓に置かれた缶が音を立てた。
遅刻の言い訳が世界の危機だったやつ。 温いソーダ @nurui_soda0000
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます