5
一応客人とサシで話すとなれば、応接室でというのが適切だろう。
そうして選択された部屋で、これから何が話されるのかと緊張しながら対面で向き合う。
……それから、すぐに話が始まったかと言われればそうでは無い。
「……」
「……」
地獄の様な沈黙が、応接室を包んでいる。
そしてやっと口を開いたかと思えば。
「ロイ君……ひとまずガムでもどうだ?」
そんな事を言い出す始末だ。
此処まで来て。この状況を作っておいて。踏ん切りが付いていないような、そんな感じ。
だけどその躊躇いこそが、これからの話の核を示し出していて、それ故の緊張が走る。
正直、それに耐えられなくなった部分もあったから。
「結構です……それより、本題に行きませんか?」
こちらから話を切り出した。というよりも促した。
「……そうだな。キミには時間を取らせてしまっているし、場合によってはかなりストレスが溜まる環境に晒してしまってる訳だ。本当にすまないと思う……入るか、本題に」
……場合によっては。その言葉に引っ掛かりを覚えているロイに対して彼は言う。
「ロイ君。まずキミには一つ質問に答えてもらう」
「質問?」
「ああ。簡単な問いでは無いかもしれないけど……っと、その前に」
そう言ったコリクソン特等は、軽く手を振るう。
「何したんですか?」
「この部屋に防音効果のある結界を張った」
「なんでそんな物を」
「それだけ内密にしたい話だという訳だ。此処がアイザックさんの城だとすれば、当然のようにその扉の向こうには人が控えると思う。多くの場合善意でな……そういう人達に聞かれる訳にはいかない」
そう前置きした上で、ようやく本題に入る。
「ロイ君。キミ達兄妹は妹さんの写身を駆除する事が滅魂師になる動機だったな。果たしてそこに進展は合っただろうか」
「……」
果たしてなんと答えるのが正解なのだろうか。
態々この状況を作り出して置いてこの問いだ。その答えは十中八九知られている。
だが馬鹿正直に頷くのが正解なのだろうか。もしコリクソン特等を味方に付ける事を考えるなら、早めに認めてしまった方が得策なのだろうか。
そんな風に思考を巡らせた時間は、ほんの僅かだった筈だ。
その僅かな時間で何かを感じ取ったように彼は言う。
「いや、答えなくてもいい。今ので確信した。俺はかなり酷な問いをキミにしている」
「今ので……」
「……キミは最初に俺と顔を合わせた時、強い警戒心を向けたな。そして今もそうだ。この話をぶつけた途端に露骨に空気が変わったのを感じた。何の脈絡もなく突然俺が現れて驚くことはあっても。事がうまく進んでいなくて項垂れる事はあっても。警戒されるのはおかしい」
そして把握されている事をこちらも察している事実を突き付けてくる。
「キミはあの場でリタ君を守ろうとしたな……写身を、守ろうとしたんだ」
「……俺がリタの正体を知っているか否か。それを聞く為に態々この場を用意したんですか?」
認めた。此処まで踏み込まれている以上、シラを切る方向は無しだ。
予め察していた事も有り、事実を突き付けられた事に対する衝撃は弱い。
どこまで役に立つかは分からないが、思考回路はある程度正常に動いている。
……探すんだ、穏便に事を済ませる為の活路を。
そしてこちらの問いにコリクソン特等はこちらの問いに答える。
「その為だけじゃない。いや、もしキミが知らなければ、それだけで終わったんだがな」
「それで終わらない場合どうするんですか。写身を匿っている滅魂師を処分でもします?」
「まさか……そんな酷な事ができると思うか」
コリクソン特等は顔を俯かせながら、覇気の無い声音で言う。
「キミが訓練校を卒業する直前か。俺はキミをスカウトしに行ったな」
「ええ」
「その時のキミの強い意思の籠った視線はよく覚えている。本気で妹の写身を倒そうとする強い意思がそこにはあった。そして既視感があったな。リタ君も同じ目をしていた」
「……」
「あの日あの時、キミ達は本気で妹を救うために戦おうとしていたんだ。あの時俺に向けた決意を、俺は誰にも否定させない。否定なんてさせてたまるか」
そしてコリクソン特等はロイの目を見て言う。
「故に少なくともあの時点ではキミ達は事の真相を知らなかった。そして妹の為にあれだけの強さを見せた男だ。もう一人の妹に向ける感情も同等だろう……それは仮にその妹が人間では無かったからといって消えてしまうものか。消える訳が無い。消えないでくれ」
そして一拍空けて、コリクソン特等は言う。
「そんな兄が妹を守ろうとする行為が咎められてたまるか。それを行おうとする者がいるなら、職権を乱用してでも俺が止めるさ」
その視線はとても鋭く、そしてその言葉はあまりにも心強く感じ有れた。
(……これは、最初からうまく行く流れだったんじゃないか)
アイザックがそうだったように。
ミーティアを始めとする62支部の皆がそうだった様に。
トウマ・コリクソンという人間も、写身であるリタの味方であってくれる人間だった。
つまり今回、リタは彼に見付かったのではなく見付けて貰えた。
あまりにも強力な味方が見付けてくれたんじゃないかと、そう思えた。
そう思うと少し心が軽くなり、やや前のめり気味に問いかける。
「それで俺が知っていた今、これから何をするつもりなんですか」
「……そうだな」
だがそう返すコリクソン特等の声音は、ロイの意思を肯定していた時から逆戻りして、話始めに戻ったようにも思えた。
そんな声音のまま彼は言う。
「何をするつもり、か……ひとまずはこの事実を誰が知っているのかを確認したい」
「誰が……ですか?」
「ああ。まず大前提として俺達が守らなければならない物は二つだ」
そして彼は人差し指を立てて言う。
「まず一つ目はキミの妹、ミカ・ヴェルメリアの命だ」
「……ええ」
流れが急速に悪い方向に傾いているような直感があった。
言っている事はあまりにも真っ当なのに、それでも。
「キミも以前言っていたな。年々症状が重くなっていく。だから一刻も早く写身を倒さなくてはならないと」
「……言いましたね」
「先程俺も一目だけだが視界に入れた。あの状態が毎日だとは思わないが、申し訳ないが俺にはまさしくもう先がない末期の病を患った病人に見えたよ。打てる手は打たなければならない」
「……ッ」
そしてその打てる手の内訳を口にする前に、人差し指に続いて中指を立てる。
「そして二つ目……それはリタ君。リタ・ヴェルメリアの尊厳だ」
「尊厳……」
「リタ君は自他共に人間だと思い生きてきた。そんな彼女が歩んで来た人生は否定されるべきものではない。誰からも否定されるべきではない。知っていて受け入れていた人間以外は……皆、知らないままで居るに越した事は無いんだ。だからこそ俺は知る必要がある」
そして彼は言うのだ。
「これから先に行う事に巻き込んで良い人間を。知られても良い人間を選定する為に……拾えるものを拾えるだけ拾った上で、リタ君を人間として終わらせる為に」
「……」
それを聞いて、彼が何をしようとして居るのかを察せられない程鈍感で居るつもりはない。
そして此処で説得を試みたとして、彼が優秀だからこそ、こちらの事情を知れば知る程より明確に八方塞がりになってしまう事は分かっているから。
……この人は止まらないと思った。
故にもうリタの前に。自分の家族の前に立たせてはいけないと思った。
そう思った時……気が付けば手が出ていたのだ。
次の瞬間、右拳に伝わる衝撃。僅かに遅れて耳に届く激しい物音。
咄嗟に腕を構え拳の直撃を防いだコリクソンの体が、応接室の扉を突き破った。
「……」
術式構築から初めて全力で人間を殴るまでの動作を半ば無意識で終わらせたロイの思考は、徐々に理性を取り戻していく。
取り戻し、切り替えながら、理性的に。
(此処で確実に潰す……ッ!)
目の前の敵を殺害する為に動き出した。
コリクソンはもう止まらない。
止まってくれない。
滲み出る善性で最大限の配慮に配慮を重ねて、憎まれ役を担う覚悟がそこにはあった。
だから此処で強制的に止める。
息の根を止めなければならない。それしかない。
彼が秘密を知った上で確実に敵対する事が分かった以上、生きて返す訳にはいかないから。
(此処で! 俺が!)
心中でそう叫びながら、自らも応接室を飛び出す。
目の前には窓を突き破り外へ飛び出したコリクソン。
そして周囲には、動揺した様子の皆が居る。
その中に何人か、帯刀している先輩方が居た。
「借ります」
「わ、ちょ! ロイ君!」
進行上最も手を伸ばしやすい位置に居た先輩の刀を鞘から拝借する。
「し、真剣持ち出すんすか!?」
「止まれロイ!」
ミーティアの静止する声も聞こえるが、申し訳ないが止まるつもりは無い。
此処から先は自分が無力だからなんて理由で誰かに頼る訳には行かないから。
この刀は勝手に拝借して、自分は勝手に飛び出した。そうでなければならない。
そしてコリクソンを追うようにロイも窓から外へと飛び出す。
その先では、体勢を立て直し徒手空拳で構えを取るコリクソンが立っていた。
「……ここに来て正解だった。可能な限り穏便に進めたかったからな」
「だったら! アンタが最初から引いてくれれば良かったんだ!」
叫びながら拝借した刀を振るう。
並みの写身相手なら致命傷を与えられる確信がある一撃。
それを腕に籠手の様に生やした結界で受け止めながら彼は言う。
「それでは進めていない! 緩やかな後退だ!」
彼は声を張り上げ腕を振り払い、バックステップで距離を取る。
カウンターが打てるタイミングでもあえてそれはしない。
まだ向こうはこちらを武力で抑え込む気はないようだ。もしかすると説得する気なのかもしれない。
これから妹を殺す事に目を瞑ってくれという風な、そんなふざけた事を。
そして距離を取りつつコリクソンは腕を振るった。
次の瞬間、自分達を余裕を持って包むように半透明の結界が出現する。
(……何の結界だ?)
一瞬そう考えを巡らせた所で答えにはすぐに辿り着く。
(防音用の結界か)
彼がまだこちらを説得しようとしているのなら。
彼なりの配慮を諦めないでくれるなら。
この場に居る全員がリタの正体に気付いている事実を知らないコリクソンは、人間としてのリタの尊厳を守る為の徹底的な配慮をするだろう。
そして構えを取りながら言う。
「一年前彼女をスカウトした時はあんな反応は感じなかった! それが今感じるという事はどういう事か! どういう影響を与えるのか! キミには分かるだろう!」
「分かりますよ! 紛れもなく状況は悪化している! アンタの見立て通りだ!」
そう返答した結界を刀で叩き割りながら距離を詰め、同様の結界を再び張る事に僅かながらに意識のリソースを割くコリクソンに、配慮に付け込む形で再び切りかかる。
「……ッ! だったら分かる筈だ! この先に有るのは共倒れの未来だ! それは避けなくてはいけないだろう!」
「……ッ!」
「これはどちらを救うかみたいな哲学的な問いじゃない! 一人を救うか誰も助けないかの二択! イチかゼロなんだ! トリアージという言葉はキミも訓練校で習っただろう!」
「分かっていますよそんな事は!」
そう言って、振るった剣を再び受け止められながら思わず自分でも驚いた。
思考のリソースの殆どは、どうやってコリクソンを打破するかに回していた。
此処からの戦闘の組み立て。
まだ手を抜いている最強が手を抜いている内にどう殺害するかを必死に考える。
故に精査する事も無く、湧き出た言葉を口にしていたのだ。
だからこそ驚いた。認めたくなかった本音がそこにあった。
自分は。
ロイ・ヴェルメリアは。
妹達が歩むこの先の未来の事を諦めている。
救うか救わないかの二択。
イチかゼロ。
トリアージ。
最悪な程にその言葉が正論として染み渡る。
現実的に考えてどうしろというのだと、常に心が叫び続けているのだ。
そんな中で希望があるとすればミカの魔術。何も詳細を聞く前の段階から望みが薄い事を察していたその魔術位なもので。
縋りつけるのはその位の事で。
それすらも知れば知る程希望を啄まれる気分だ。
《兄さんは察しているかもしれないけど、長年費やして来た成果は芳しくないんだ》
昨日の夜。皆が寝静まった頃にふら付きながら一人で部屋を訪ねて来たミカにそう言われた。
《ボクから外に流れている生命力を遮断する。そういう術までは出来てるんだけどね。勿論テストなんてできてないけど。それをやったらきっとリタを殺す事になる》
ミカは現時点で世間に公表すれば世界中から賞賛されるような術をその手に収めていた。
自分以外の誰かに使う事は出来ない。
だけどもしこの術を習得できた人間の写身が現れた場合、その本人がその術を使えば全てが解決する。
もし誰もが習得できるような形に落とし込めれば、本当に多くの人の命を救う事が出来るであろう、そんな術をその手に。
だけど出来たのはそこまで。十分すぎる程の成果のその先へは進めない。
《だからあまり言いたくなかったんだ。今の僕には誰にもできない事が一つ出来たっていう実績しかないから。適当な事を言ってリタを言いくるめる事しかできないから》
灯された光は深い闇の中ではあまりに淡くか細い。
……そしてそんな現時点の成果を。
世界最高峰の技術を。
そこからまだ先に進まなければならない、事実上基礎でしかないその技術を、訓練校を主席合格した自分ですら文字通り何一つ理解すらできなかったのだ。
そんな自分では尚更二人の未来を照らしてはやれない。
そんな風に、昨日から明るい未来を一歩一歩踏み躙るようにして時を過ごして来たのだ。
コリクソンの今の言葉には、どうしようもない程の理解を示してしまう。
「酷な事を言っているのは百も承知だ! だが分かっているならキミは──」
「それでも!」
バックステップで距離を取りながら、再び刀を振るい結界を破壊しつつ術式を構築する。
「これは俺達家族の問題……いや、それ以前にあの二人の問題なんだ! 部外者に干渉なんてされてたまるか! この先の未来を選択するのはあの二人なんだ!」
そして再び結界が張られると同時に、離れた位置から刀を振るった。
放つのは飛ぶ斬撃。それを放てるだけの最高速で打ち込む。そして。
「何もしてやれねえ無能な兄かもしれねえけど……せめてその当たり前位は守ってやりたい!」
湧き上がってくる言葉をそのまま叫び散らした。
……あまりにも理想とかけ離れた情けない言葉だとは思う。
妹の写身を駆除して未来を照らす為に滅魂師になった自分にとって。
滅魂師になると宣言した、すぐに無茶をする妹を守る為に滅魂師になった自分にとって。
そのどちらも達成する事ができず、何一つ二人にしてやれない自分への悪態は尽きない。
だけど……せめて。せめてその位は。
その位はやってやりたい。
その思いを、今の斬撃に乗せたつもりだった。
だけど感情や意気込みで魔術の精度が上がるようならば、今頃全てが解決している筈で。
こんなどうしようもない戦いなど起きていない筈で。
コリクソンは斬撃を潜り抜け、一瞬でロイの前へと躍り出る。
「立派だよキミは」
そう耳に届いた瞬間。斬撃が新たな結界を破壊した瞬間。
「ガ……ッ!?」
コリクソンの拳が腹部に叩き込まれて、体が宙を舞った。
「背中を押してやれるような、頼れる立派な人間でなくて申し訳ない」
その一撃はあまりに重く、全身に走った衝撃はこれまで経験したことが無い程に重く貫くような物で。
そんな衝撃を全身で受け止めるロイの視界は、敷地内に侵入してくる見慣れた車両を捉えた所で、静かにブラックアウトしたのだった。
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