9

「兄さん、今外で話していた事は本当?」


 一体どういう風に今の話を二人に伝えるべきか。

 そう考えながら戻ったのにも関わらず、開口一番にミカにそう尋ねられてしまった。


「……聞こえていたのか?」


 聞こえない位のボリュームで話していた筈なのに、恐らく正確に内容を聞きとられている。

 結局伝えなければならない事だ。伝わっている事自体は良いが、どうして伝わっていたのか。

 ……なんとなくその理由は察する事が出来ていて。そしてまさにその通りの事をリタが言う。


「私が聞いたんだ」


 頷きながら、あまり当たってほしくなかった事を。


「……なんでかは分からないけど、いつもよりも良く聞こえるんだ。多分、その理由の話だよね。今の話って」


「……そういう事になるのかもしれねえな」


 リタから今まで感知できなかった反応を感知できるようになった。

 それ故に恐らくミカから吸い上げる生命力の総量が増える。

 今の話はそういう話。

 そして感知できる程に吸い上げた生命力はどこへ行くのか。何を目的に吸い上げられるのか。

 その辺りの問いがより通常の写身へと近づいた結果と解釈するとすれば、写身の分かりやすい特徴である高い身体能力へと生命力が変換されていると考えるのが自然で。

 だとすれば多少聴力が上がっていても不思議では無いだろう。


「という事は……本当なんだ。まあリタの事を疑ってた訳じゃないけどね」


 ミカはぐったりとした様子で苦笑いを浮かべてから、リタに言う。


「当たってたからって深刻に考えちゃ駄目だよ。ほら、ちょっとずつだけどボクも元気になってきてるし、つまり今までと大差ないって事だよ」


 ミカはそう言うがリタの治癒で衰弱した状態から殆ど回復していない今、それは明らかな虚言でしかない訳で、それは流石にリタも……いや、流石にというより余計に気付く訳で。


「ごめん……ごめん……ミカ……」


「まーた謝り出したね。困ったお姉ちゃんだよほんと……それで、兄さん」


「なんだ? 何でも言ってくれ!」


「前のめり過ぎだよ……兄さん的に、何が原因でリタの反応が強くなったんだと思う?」


「なんで……か」


「うん。原因が分かればそれは抑えられるかもしれない。そうなれば……ね」


 ミカはそう言ってリタに視線を落とす。

 そうなれば少しでもリタの気が楽になるという事だろう。

 言われて改めて考えてみる。

 今までの今。何が変わったのか。

 九か月前にも致命傷から復活していたが、その時はそれ以降特に変化が無かった。


(回数……いや、それは考えにくいな)


 一回目がセーフで二回目から突然とは考えにくい。

 全く無いとは言い切れないが薄い線だと思う。

 では、以前と今。何か条件が変わってはいないだろうか。


「……自覚か?」


「……自覚? どういう事、兄ちゃん」


 リタの力ない声に、自分なりの考えを返す。


「リタは誰かから今までの事を聞いたか?」


「うん……」


「だったら九か月前に起きた事も分かっていると思うけど……それは今日知った事だろ」


 それにリタは頷く。

 当然だ。以前から知っていれば事はきっと、自分だけが蚊帳の外で事が進んでしまっていた。

 リタはその時の事は知らず。今日まで自身が写身である事を知らずに生きて来た。

 だけど今日知った……考えられる変化はそれ位。


「リタは今日自分が写身である事を知った。その意識が変化を齎したんじゃないか」


 何の根拠も無い話だ。

 だけど変化と言えばそれ位。

 そんな程度の事で、事が悪い方向に進んでしまっているのかもしれない。

 ……そんな程度の事だからこそ、逆にどう対処したらいいのかが分からない。


「成程……一理あるね」


 ロイの推測に冷静にそう言うミカに対して、やや取り乱した様子でリタは言う。


「だったら、どうしよう……どうしよう兄ちゃん! ミカ! そ、そうだ記憶を……どこかに頭でもぶつけて記憶を!」


「何馬鹿な事言ってるのミカ。頭ぶつければ記憶無くなるみたいな簡単な作りしてないよ人間」


「で、でも私写身だし!」


「尚更人間と同じって事だよ……それにリタの記憶が無くなったら泣くよ私。多分本気で」


「……泣かないでよ、そんな事で」


「そんな事じゃないよそんな事じゃ……もっとポジティブな事考えようよ」


 そう言ってミカは弱弱しく柏手を打つ。


「そんなシンプルな事で変わっちゃうような事ならさ、逆に良い感じに事が運ぶかもしれないよ。ほら、元々リタは人間と変わらなかったのに、力も傷の治りも普通の状態でもボクはフラフラだった訳で……ある程度余分に私の生命力は移動している」


「……つまり気の持ちよう次第で、今までよりも抑えられるかもしれない」


「そういう事だよ兄さん……だからさリタ。そういう意味でもポジティブに行こうよ」


 そう言ってリタに笑いかける。


「私の所為で私の所為でみたいなマイナスな感じじゃなくてさ、知らぬ存ぜぬ関係ないって感じでさ。難しく考えずに気楽に行こうよ。多分それが一番良いんだ」


「それはそれでどうかと思うけど……でもポジティブに、か」


「すぐにそうしろなんて言わないよ。それが無理なのは分かってる。だからそういう方向性でゆっくりやっていこうって感じだね」


「…………うん」


 リタが僅かながらもその提案に賛同する意思を見せてくれて、少しだけ安堵できた。

 少しでも事が好転するかもしれない可能性をリタに知ってもらう。

 そうする事で多少は気が楽になうかもしれない。

 ミカや自分がそうあって欲しいと思ったように事が進んでくれた。

 ……だけど今回の仮説を唱えた事で好転したのは、リタのメンタルだけなのだろうと思う。


 今まで話を聞いてきた上で自分でも推測して来て得た一先ずの結論として、リタは元々無意識に、本能的にミカを守ろうとして今に至っている。

 そしてそれはリタの事を知っていれば知っている程、最大限やれていた事なのだと思う。

 つまりきっと、今まで通りが最大値。限界値。

 そこまで抑えた上で発生する、これまでミカを苦しめていた分は多分最低限のコストなのだ。

 子供から大人に近づくにつれ増していくコスト。

 そしてせめて最低限にまで戻る事すらも、多分容易ではない。


 ミカはこの状況を利用してそれらしい物言いでリタのメンタルを引っ張り上げようとしているけれど、本当にそれらしい事を言っているだけで。

 おそらくミカが持って欲しいと思っている前向きさ。まず自分の事を大切に思って欲しいという自己愛は、今のリタが持つ事でリタの写身らしさを増長させる。

 だから今の良い感じに纏まっている会話は、そもそもが破綻しているのだ。


 多分それはミカも気付いている。

 だからだろうか。最低限リタのメンタルを安定させたと見込んだタイミングで、今これ以上この話が広がらないようにミカは話題を変える。


「あとポジティブに行こうって話をしていて思い出したんだけど……二人共、ボクが普段から何をしているかって話は聞いたりした?」


 半ば無理矢理に感じる話題転換。だけどすぐにそれが母の言葉と繋がる。


《リタを助けたいって、あの子は言っていた。今だってそう》


 助けたい。今だってそう。

 それは果たして、リタが写身である事に目を瞑って生き永らえさせるというだけの事なのだろうか。

 もっと自発的に行動に移しているような、そんな事なのではないだろうか?


「いや、聞いてねえ」


 そういう話になる前に父に背負われたミカが現れ此処に来たのだ。まだそれは知らない。


「リタはどうだ?」


「……私も知らない」


 どうやらリタも聞いていないようだ。


「そっか。聞いてないか」


 その事にどこか安堵するミカ。もし聞いていてこの状態だったら、とでも思ったのだろうか。

 逆に此処で安堵するという事は……それこそポジティブに。前向きに自分達が事を捉えられる何かをミカはやっているという事なのだろうか。


「じゃあ教えようかな。此処に来てずっと隠して来たボクの趣味を大公開だよ」


 趣味とは言ったが、絶対そういう類いじゃない事が分かる声音と表情でミカは言う。


「ボクとリタ。どっちもが助かる為の魔術を開発しているんだ」


「「……え?」」


 思わずリタと声が重なった。あまりに想定していない角度からの話だ。当然だと思う。


「魔術……?」


「そう。ほら、殺傷能力がある奴以外は合法だからね。ちょっとやってみようって思ったんだ」


「ちょっとやってみようって……できるのか、そんな事……」


「無理な話じゃないと思うよ」


 ミカは自身有り気に言う。


「リタは滅魂師の訓練校を飛び級で卒業するような魔術の天才だよ。だったらその才能はボクにだってあるんだ。だから一般的に出回っているような教本で基礎を掴めば、後は独自に理論を組んで発展させていけば良い」


 何かとんでもない事を言っている気がするが、おかしな話ではないのかもしれない。

 ミカの言う通り、リタが天才ならミカも天才だ。

 そして……ミカには良くも悪くも時間があった訳だから。無理な話ではないのだろう。

 だけど、魔術を独学で覚える事が出来たのだとしても。


「でも写身を助けるような魔術なんて……作れるのか?」


「まだ完成はしてないけど、糸口は掴んでるよ。だってほら、考えても見てよ」


 そう言ってミカは自分の胸に手を当てて言う。


「言い方は悪いけど、モルモットは此処に居る訳だからさ」


「「……ッ!」」


 本当に言い方は悪い。悪いが……それでも。そういう事なら。


(ミカは本当に……誰も手を伸ばせない領域に、現実的に手を伸ばせているのかもしれない)


 ミカは自力でリタが写身だと認識した。

 無意識化でリタとの繋がりを認識している。

 写身との繋がりを掴んでいるのだ。


 そんな状態の被害者が、長い年月を掛けて対写身の魔術を研究開発する。

 それが出来たのは。

 やろうとしたのは世界中でおそらくミカただ一人だ。

 ……本当にこの状況を変えられる可能性が世界で唯一ミカの手にはあるのかもしれない。


「……いや二人共呆気に取られるのは分かるけど、モルモットって所はツッコもうよ」


「ごめん……でも本当にびっくりして……」


 そう言うリタの表情は……ほんの少しだけ明るい。


「それよりミカ……それ、私に手伝わせて!」


 その声音には、強い意思が宿っている。

 ミカを助ける為に。自分自身も助かる為に。そんな強い意思。


「そう言うと思った。これで百人力だね。何せリタは独学じゃなくてちゃんと学んできている訳だから」


「それに……私は写身だから。モルモットに成れるから」


「自分の事モルモットとか言っちゃ駄目だよ」


「えぇ……完全にブーメランだよそれ」


「良いね。少しだけ声に覇気が戻った」


 狙い通りという風にミカは笑みを浮かべる。

 確かに打開策という薬程、今のリタに必要な物は無い。

 緩やかに終わりに近づいている。

 終わりに近付けさせている地獄。

 そこに自身で逆転の一手を打てる可能性が出てきたのならば、それは大きな活力になる。

 それだけ有効な手だからこそ……素直に笑えない。


「それで、兄さんはどうする? って聞くまでも無いよね」


「ああ。俺も乗る。お前らみたいな天才じゃねえかもしれねえけど、俺だって訓練校を首席で卒業してんだ。力になれる筈だし力になりてえ」


 ……そう答えはするものの、力になれる気がしない。


「よし、兄さんも居れば百四十五人力位だ」


「そこまで来たら俺も五十人でカウントしてほしかったなぁ」


 そんなやり取りを交わすミカは、察したような表情を浮かべている。

 自信の無さを感じ取られたか……否、多分違う。

 こちらが察したという事実を察したのだ。


 ……ミカの取り組んでいる事はきっと、現実的では無い。


 ミカがこういう事に取り組んでいる事が事実だとして、そこに明確な可能性を見通せるのなら、多分このあまりに強力なカードはもっと早い段階で切られていた。

 ミカならもっと早い段階でリタに伝えられた筈なのだ。

 それが今、半ば強引に切られたのだ。

 本当は話すつもりの無い事だったのではないだろうか。

 元々切るつもりの無いカードを、新しい事実に対し切らざるを得なくなった。

 きっとそういう事だ。


 そしてそれが分かっても。そんな事が分かっても。

 役に立たない拙い案ですら、自分では代わりに提案してやる事ができない。

 そんな無能にも程がある自分が、どうしようもなく悔しい。

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