8

 二人の会話を、一歩下がった所で見守っていた。


 掌を返すような話だが、結論今のリタはミカと合わせるべきだったのだと思う。

 お互いが考えている事をぶつけ合った。

 それで何かが変わったとは言いがたいけど、それが出来ただけでもお互いが内に抱え込んだままよりはきっと良い。


 微々たるものかもしれないがこれで二人は。

 自分達の家族は一歩前へと進めたのだと思う。


 ……その一歩がどれだけ大きな物でも、根本的な解決にはきっと一ミリたりとも近づけてはいないのだろうけれど。

 それどころか二人の裏で、より事態が悪い方向に進んでいる気がしてならないのだけれど。


(……覚悟決めろ。俺も立ち止まっている訳には行かねえんだ)


 母との会話の最中、これまでの事を聞いていく中でどこか違和感を感じた瞬間が有った。

 それが改めてリタを見た事でより強くなり、言語化できる程大きくなってしまっていたから。


「……」


 もう気付かないふりではいられない。

 静かに。二人に気付かれないように魔術を使った。

 写身の探知魔術である。


(……これで何も引っ掛からなければ、とりあえずそれで良い。そうであってくれ)

 あの時。

 逃げ出したリタを追いかけていた時。ロイは追跡する目的で探知魔術を使用した。

 だが冷静になって考えてみると、あの時点で探知に引っ掛かったのはおかしな話なのだ。

 あの時、既にリタの再生は終わっていて、おそらく身体能力は普段通りのままで。


 つまりそこに居たのはいつも通りのリタだ。


 探知魔術に引っ掛かる事もない、こういう事でも起きなければ誰もが普通の人間だと思う筈のリタだったのだ。

 それでも探知魔術に引っ掛かった。


 それが再生の直後であるが故の余韻のような物が原因としてあるならそれで良い。

 だけどそうではないのなら、大きな問題が自分達の。

 あの二人の前に立ち塞がる事になる。

 ……そして。


(……なんで素直に良い方向に進ませてくれねえんだ)


 探知魔術にリタの反応が。写身の反応が引っ掛かった。

 精神状態以外は普通な筈のリタがだ。

 それが何を意味するのか。

 どういうリスクがあるのか。


 シンプルなところで単純に理解を得られない滅魂師に発見されるリスクがあるが、これはこの際どうでも良い。

 少なくともこの地区の管轄は62支部だ。もう既に自分達よりもずっと早くに事に気付き悩みに悩んで、今を選択してくれた人達だ。

 そういう人達しかいない。

 だからそれはきっと大丈夫。

 そうじゃないのは……もっと身近な話。

 これまで探知出来なかったのに今はできるという事は、写身として何かが変わったからと言っていいだろう。

 それも良くない方向で。

 なにしろ無から有へと変わっているのだから。

 ……おそらくミカから吸い上げる生命力の総量が増えているという事なのだから。


(……いや、まだ何も確定していないんだ)


 まだ誰も気付いていないかもしれない最悪が、自分の杞憂でありますように。

 そう祈りながら二人に声を掛ける。


「二人共、兄ちゃんちょっとお手洗い行ってくるな」


 そんな適当な嘘を付いて、踵を返すとミカの力無い声が背後から聞こえてくる。


「……絶対嘘だよね? 分かるよ、流石に」


「いや、嘘じゃねえよ。どんだけバタバタしてたと思うんだ。お手洗い位行くだろ」


 適当にそう返すと、ミカはため息をついてから言う。


「……兄さんもあんまり無理しないでね。リタと同じ位、兄さんも辛い感じになってるのは分かるから」


「俺は大丈夫だよ。マジで大丈夫」


 そう言って振り返り笑って見せると、今度は不安そうな表情でリタが言う。


「絶対大丈夫じゃないよ兄ちゃん……」


「今のリタにまでそんな事言われるのかよ俺……」


「私は……大丈夫だから。少しだけ、気が楽になってきた」


「はいはい虚勢張らないの」


「そうだぞ。無理して虚勢張んなよ。頷いちゃくれないかもしれねえけど、今は自分の事をな」


「どの口がって感じだよ兄さん……ほんと、似てるんだから二人共。兄妹」


 お前もだろ、と内心そんな事を考えながらバレバレの嘘の通り部屋の外へ出る。


「……皆さんお揃いで」


 部屋の外にはアイザックやミーティアを初めとして、非番の筈の者を含めたほぼ全員が待機していた。

 もっともアイザックと戻ってきた時からこんな感じだったから知ってはいたが。


「そりゃあこの状況でさて仕事に戻るかとはいかないものでね」


「お前この状況じゃなくてもあんまり変わらねえだろ……まあこの通り、皆心配してんだよお前らの事」


「お前らじゃなくてアイツらでしょ」


「いやお前らだろ。お前も寸分変わらず当事者なんだよ。少なくともあーしらよりはずっと近くにいる」


「それでどうしたのかな、ロイ」


 アイザックは少々心配そうに尋ねてくる。


「キミだけが出てきたという事は、ちょっとお手洗いにでもといった風に適当な理由を付けて抜けてきたんだろう。そしてこの状況で抜けてくるという事は、この中では出来ない何かをする為とみた。当然遠くに行くつもりは無いだろうから、僕達に用があるという事だね」


「今日柄にも無くずっと頭冴えてますね……何かありました?」


「そんな風にいつも通り振る舞わなくても良い……いや、なんか改めて言うと悲しくなってきたな、新人にこれ言われるのがいつも通りとは……」


「だったらお前はもういつも通り振る舞うな」


「それだと僕というアイデンティティが消えてしまうだろう!」


「いや普段のお前成分は程良い感じに消しとけよ……」


 と、そんな風に多分意図的にいつも通りの明るさを醸し出してこちらの緊張を解そうとしてくれた二人は言う。


「で、改めてだが、どうしたんだい?」


「今のあーしらは何も隠すつもりはねえ。答えられる範囲で答えてやるから言ってみろよ」


「答えられる範囲でという事は言えない事もあるという事かな?」


「うるせえ何も言えなくしてやろうか……で、言ってみろよ」


 そして少しだけでも軽くしてくれた空気の中で、この場に居る全員に問いかける。

 ……扉の向こう側には聞こえないように、小さな声で。


「……アイザックさん。9ヶ月前にリタが写身である事を知った時、アイツに探知魔術って使いましたか?」


「探知魔術……? ああ、そりゃ使ったとも」


「62支部だけの秘密にしておくにしても、滅魂師の探知魔術に引っ掛かるようならやり方をシビアにしねえといけねえからな」


「ありがたい事に反応は出なかった。だから今日までキミも気付かなかった訳だ」


「それを試したのはどのタイミングですか。事が起きて、どれだけ時間が経ってから調べたんですか」


 その問いに対し、アイザックはミーティアと顔を見合わせた後、逆に問いかけてくる。


「……今、ロイには感じ取れたのかい?」


 その問いで、全てを察してしまった。

 きっとアイザック達もそうだろう。

 それでもなんとか自分の考えを否定してほしくて言葉を紡ぐ。


「……ええ。今も感じられています」


「今も……か。だとすればあの時とは状況が変わったようだ」


 アイザックは言い辛そうに一瞬視線を反らしながらも、それでもしっかりと目をみてロイに告げる。


「僕達が確認したのは事が起きて十分程経過した頃だったね。あの時点で僕達にはそれを感じる事が出来なかった。故におそらく感知する事ができたタイミングは治癒能力を発揮していたあの瞬間だけだと、そう結論付けた訳だよ」


 だけど、とアイザックは言う。


「今キミは現在進行形でリタから写身の反応を感知しているという事だね。あれからもう二、三時間は経過しているにも関わらずだ」


「……ええ」


 できる事なら、前回の時も数時間程度は写身の反応が出ていたという形で落ち着きたかった。

 少なくとも明日には元通りになっているものだと、そう思いたかった。

 だけど事は確実に良くない方に進んでいる。

 と、そこでアイザックは言う。


「さて、皆の事だ。既に全員探知を試しているだろう? この中で反応を感知出来た者は挙手」


 その言葉と共にアイザックと共に周囲を見渡すが、誰一人手を挙げる事はない。


「不幸中の幸いという奴だよこれは」


「……幸い?」


「ああ。キミも把握していると思うけどね、62支部の皆は階級以上に優秀だよ。魔術の腕も皆一級品だ。その誰もリタの反応を感知出来なかった」


 そして改めてロイの目を見てアイザックは言う。


「探知魔術に定評のあるキミ以外はね」


「……」


「訓練校を首席卒業してくる滅魂師が最も得意とした分野だ。此処に居る誰よりもそれは鋭いし、キミクラスとなると本部支部諸々含めても中々いない筈だ」


 つまり、とアイザックは言う。


「感知できる事自体のリスクは今の所そこまで高くないという事だね」


 と、そこまで言うアイザックに一切の笑みは無い。


「だがそもそもキミはそこに大したリスクを感じていないだろう。僕達が危険性のある相手に近づけさせなければ良いだけだからね」


「……ええ」


 不幸中の幸い。

 そのあまりに色濃い不幸の部分。

 それをこの場に居る全員が把握しているからこそ、誰一人として幸いの部分を喜ぶ事は無い。

 そしてアイザックはロイの肩に手を置いて言う。


「こんな事しか言えなくて本当に申し訳ないが……希望は捨てるな。リタは特別なんだ」


「……ええ」


 生まれた時の話。

 それからの話。


 そういう事を聞いて解像度が上がった今、特別なんて浮わついた言葉を受け入れにくくなっていて。

 言ってくれる言葉も、受け入れようとする自分も現実逃避をしているようにしか感じられなくなってきてしまう。


(……本当に、一体どうすりゃ……)


 元より最初から詰んでいるような話が、此処に来て更に追い討ちを掛けられた形になるのだ。

 気を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうだった。

 ……なんとか耐えはしたけども。

 と、その時バタバタとこちらに近づいてくる足音が聞こえた。


「アイザックさん! お電話っす!」


 ほぼ全員集まっていた中の、ほぼの外側。

 最低限担わなくてはならない仕事に当たっていたリーリアだ。


「流石に今日ばかりは居留守をかましたい所なんだけどね」


「不定期にやるだろお前」


「だから今日も尚更そうしたい訳だよ! で、どこのどなただい?」


「マコ……こ、コリクソン特等っすよ! とにかくアイザックさんに繋いでほしいと……」


(コリクソン特等……)


 滅魂師ならば知らない者がいない最強の滅魂師。

 そして今この一件には何も関係の無い部外者の名前。

 ……そう、関係の無い部外者の筈だ。


(……本当に部外者で、良いんだよな?)


 普通に考えて関連性が無い人物。

 だがその名の人物は、自分がこの際どうでも良いといった問題点を、看過できない物へと変貌させる事が出来る人間だ。


 これだけ複雑でどうしようもない事が起きている最中で、更にこの事態を搔き乱す事が可能な人物からのこのタイミングでの連絡。

 会う人会う人ほぼ全員から指摘されている程に追い込まれている今だからこそかもしれないが、自分の中でコリクソン特等を完全な部外者だと言い切る事が出来なくなっていた。

 そしてご指名のアイザックも何か思う所が有るのだろう。


「マコっちゃんか。このタイミングで……」


 険しい表情を浮かべたアイザックは、思考を纏めるように小さく息を吐いてから言う。


「分かった。今すぐ行くよ。だけど少し待ってくれと伝えておいてくれるかい?」


「了解っす! 今絶対大事な話をしていたと思うんで、全力で時間稼いでくるっすよ!」


「いや、こっちは本当にすぐ終わる。だからただ少し待ってもらえれば良いよ」


「了解っす!」


 そう言って全力疾走で戻っていく先輩。

 そして改めてこちらに向き直したアイザックはロイに言う。


「さて、そんな訳で少し席は筈すけど……一つだけアドバイスをしておくよ。まああくまで僕がそうした方が良いと思っているだけだ。正直出しゃばりすぎかもしれない訳だし、従えと言っている訳じゃ無い。ただ言わせてくれ」


 そう言って扉の向こうの二人に視線を向けて彼は言う。


「キミは見え透いた嘘を吐いて出て来た訳だが……キミが見付け此処で確信した事実は、隠さずあの二人にも教えてあげるといい」


「いや、でも……」


 ただでさえ酷い状況だ。

 そんな中でようやく一歩前へと進めたとはいえ、それでもリタが辛い状態なのには変わりない。

 そこに更に更に重い事実を突き付けるのは、あまりに酷ではないだろうか。

 だからこそ自分が何かに気付いたと知られていても、それを伏せて動いているのだ。

 今は自分が抱えていようと、そう思ったのだ。

 だがアイザックは言う。


「酷なのは分かっているよ。それでもこれからはキミ達全員で。特にあの二人は大切な選択をしていく事になるんだ。それはあまりにも大きな事実を隠したまま行わせるべきじゃない。一つ一つ悔いの無い選択をしていく為にも、知れる事実は全部知っておいた方が良いんだ。辛い事でもね」


「……」


「何もできないまま問題を先送りにし続けてきた今までとはもう違う。そこを乗り越えたなら、ここまで来てしまったのなら、もう立ち止まってはいけない」


 それだけ言ってアイザックは踵を返す。


「まあ知らぬが仏という言葉もある。僕の発言も模範解答という訳じゃ無いんだ。どうするべきかはこの事実に唯一気付けたキミが選ぶといい。どっちを選択しても協力できる事は協力する」


 そう言ってアイザックは小走りでこの場を離れていく。

 コリクソン特等の通話に応じる為だろう。


「なぁロイ」


 離れていくアイザックの背を見送ってから、ミーティアが言う。


「もしお前がアイツの考えに賛同していて、それでも言いにくいって事なら……あーしが代わりに言ってやってもいい。そもそもお前だって、考えるのも伝えるのも酷な立場と状態だ」


「……いえ、大丈夫です」


 アイザックの話を聞いて、この事実は伝えるべきなのだろうとは思った。

 そしてその時、それを誰かに託せたらどれだけ楽になるだろうとは思うが……それは駄目だ。

 自分がそこから逃げるわけにはいかない。

 二人が向き合ったからこそ、兄としてそこから逃げるわけにはいかないのだ。


「俺がちゃんと話します」


 例えどれだけ辛いことでも。


「そうかよ。まあリタの兄貴ならこんな所で逃げねえわな。百点だよ……頑張れ」


「ありがとうございます」


 そう礼を言ってから踵を返した。

 向き合わなければならない事と向き合っていく為に。

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