3

 その後62支部の皆と合流した後、ロイはアイザックの運転する車の助手席に座っていた。

 目的地は自宅だ。

 アイザックや他の皆に早急に帰るべきだと進言された結果である。


 車に乗っているのは自分とアイザックだけで、リタの姿はない。

 アイザックの言う通り今のリタを家に連れて帰る訳にはいかない。

 それにはロイも同意だった。

 勿論リタから離れる事に躊躇いはあるが、そこはミーティアを初めとした先輩方を信用した。


 ……62支部の事は全面的に信用する。

 信用しなければ何も始まらない。

 始められない。


 自分はリタにろくな言葉を掛けられなかった程に無力だ。

 これからもきっと醜態を晒す。

 だからこそ……差し伸べられた手は取っていきたい。

 そして運転席のアイザックは言う。


「……ロイ、キミは大丈夫かい?」


「俺、ですか?」


「ああ。妹が写身だったという事実に直面したんだ。キミだって正直かなり苦しい筈だと思うんだけど」


「……俺は案外大丈夫ですよ」


 思っている事を素直に告げる。


「人間であれ写身であれ、俺にとってアイツがリタっていう妹である事に代わりはありませんから。まあ、その辺は……大丈夫です」


 当然苦しくない訳が無い。

 だけど当の本人……いや、本人達に比べればきっとある程度マシなのだろうと思う。

 それよりも。


「……それよりも俺は今後の事の方が考えていて苦しいんです」


 写身であった事実よりも、写身である事による弊害の方が、考えていて苦しい。


「ミカを助ける為にミカの写身を駆除する必要が有りました。俺達でも他の誰かでも良い。それを成し遂げる以外にミカを救う術はありませんでした」


「そうだね」


「だけどそれはもう不可能になった。考えられる唯一の解決策が失われたんです。そしてミカを助けられなければ自動的にリタも共倒れになる。八方塞ですよ」


 考えれば考える程、無力さに苛まれる。


「……二人の未来をどう照らしてやればいいのかが、俺には全く分からない」


「そういう事に対するダメージを含めて、大丈夫かと聞いたつもりだったんだけどね僕は」


「じゃあ大丈夫じゃないです。考えれば考える程頭が痛い。吐き気がします」


「正直でよろしい」


 アイザックの言葉を聞きながら改めて考える。

 ……実際どうすれば良いのかを。

 だがやはり何一つ解決策のようなものは思いつかない。

 その片鱗すらも見えてこない。


 滅魂師はあくまで写身を駆除する事の専門家である訳で、この問題は研究者や医学者の領分。

 そして専門家が導き出す対写身の解決策こそが、滅魂師による駆除なのだから堂々巡りだ。

 そうやって、何も答えを出せないでいるロイにアイザックは言う。


「あまり悲観し過ぎるな。大丈夫なんて無責任な事は言えないけれど、それでもキミ達がぶち当たっている問題に対し全く希望が残されていない訳じゃあないんだ」


「どういう事ですか?」


「分かっているとは思うけど、リタは特別だよ……何もかもね」


「ええ、そうですね。それは理解してます」


 少なくとも自分がこれまでの長い年月で気付く事ができなかったように、リタはきっと通常の写身とは比べ物にならない程に人間に近い。

 運動神経は抜群だが、あくまで普通の人間の範疇での話で。

 更に最も特徴的である治癒力に関しても、転んで負った怪我などは普通の速度で治癒していた。


 つまり今日の様な生死を彷徨うような怪我でなければ高い治癒力を発揮しなかったのだ。

 加えて普通の人間と同じように脳が機能している。なんなら物凄く頭が良い。

 これらの事は写身として極めて異例だと言っても良いだろう。

 そしてその事を考えていると一つの謎が紐解けた。


(……そうか、だからミカは写身の影響があの程度で済んでいたのか)


 あの程度なんて表現を使ってはいけないとは思うが、それでもミカは通常の写身の被害者と比べれば異常な程に症状が軽かった。

 それは写身であるリタが、どういう訳か通常の写身よりも人間に程近かったから、吸収される生命力の総量が極めて少なかったからという事ではないだろうか。

 そしてそうした大きな違いが、既に多大な影響を与えているからこそ。


「……あの二人については常識だけで語るのはナンセンスだ」


「普通と違うからこそ可能性があるという事ですか」


「そういう事だ。楽観的な考えなのは分かっているけどね。それでも楽観的な思考ができる余地が残っているという事はそれ即ち希望があるという事なんだ」


 だから、とアイザックは言う。


「そんなに酷く思い詰めた表情はするな。そういう顔をするのはまだ早い」


「俺、そんなに酷い表情してました?」


「リタと別れて車に乗り込んだ位からだね。妹の前では取繕えていたという感じかな。頑張ったね」


「……前見て運転してくださいよ」


「これは失礼……でもキレ不足でもそういう軽口を返せるのなら、そろそろ良いだろう」


 アイザックは仕切り直すように言う。


「質疑応答に移ろうか……キミには聞きたい事がいくつもある筈だ」


「……そうですね。確かに聞きたい事が山ほどありますよ」


 アイザック達は。

 それどころかミカ達も、リタが写身である事を知っていた。

 そんな衝撃的なカミングアウトの後、自分達は移動を始めて話が途切れていたのだ。

 というより途切れさせられたと言うべきか。

 今にして思えば、あの時は自分も含め頭がしっかり回っていなかった訳で、最低限今程度に落ち着くのを彼は待っていたのかもしれない。

 そしてアイザックはいくつか条件を提示する。


「勿論答えられる事は答えようと思う。だけど僕から言える事は、あくまで僕達の事と、あるかどうかは分からないが僕達しか知らないかもしれない事だけだ。それ以外の事はその都度NGを出させてもらう」


「……というと?」


「言っただろう。あくまでこれはヴェルメリア家の問題だ。一旦支部に行って貰ったリタはともかく、これからキミはご家族と顔を合わせる訳だからね。僕が全てを語ってしまうのは絶対に違うだろう」


「確かに……分かりました」


 素直に頷く。実際そうだとも思った。

 リタの事については……父と母。そしてミカの口から直接聞かなければならない。


「そんな訳だ。ではどうぞ」


「じゃあ単刀直入に」


 促された流れで、アイザックに問いかける。


「アイザックさん達は何でリタが写身だって事を知っているんですか。それに……知った上で何でリタの味方をしてくれたんですか」


 その問いにアイザックは一拍空けてから答える。


「先に後者の問いについてだけどね、それはキミ達家族の問題だからでは不十分かい?」


「いや、正直充分なんですよ……ただそういうもっともらしい理由付けをしてまで助けてくれる理由を聞きたくて」


「つまり不十分という事じゃあないか。まあ良いよ。別に隠すような事じゃない。此処までで半分という事にして、残り半分に行ってみよう」


 そしてアイザックは答える。


「上司や先輩という立場の人間が、過失なく窮地に陥っている下の者をどうにかしてやろうと考える事は、それ程不思議な事じゃあないだろう。それに加えてリタ皆に好かれる良い子だった。これに関して言えば本当にそれだけが理由だよ。難しい理屈なんてなく、それだけで充分だったのさ」


「……」


「形は違えどキミもそうだろう」


「……ええ、そうですね」


 野暮な質問をしたと、そう思った。

 今はもう敵か味方か分からない状況ではない。味方だと分かっているのだ。

 その状況ならば……アイザックさんを含めた62支部の人達がどうして助けてくれているのかなんて事は、普段のアットホームな職場環境とそこで可愛がられているリタを見れば分かる話。


 本当に、ただそれだけでしか無かったのだ。


 だからこの話はこれまでだ。これ以上深堀しなくても良く分かった。

 分かっていた事だった。

 故にこの話は此処でおしまい。


「じゃあもう一つ。なんで知ったかって話、聞いても良いですか」


「勿論。まああまり話していても聞いていても楽しい話じゃ無いだろうけどね」


 そしてアイザックは事の詳細を語り始める。


「あれは今から九か月前。去年の夏だね。あの頃にはもうリタはウチの中心人物になっていた。それだけ明るく人も良く、皆に可愛がられていた。そういえばあの頃にはもうザクザクと鋭い言葉をぶつけて来るようになったね」


「それは結構温情がある方じゃ無いですか」


「キミは一か月持たなかったね。大体ウチのアベレージだ」


 苦笑いを浮かべそう言ったアイザックは続ける。


「そしてあの夏、僕達はとある術師体と一戦を交える事になったんだ」


「とある術師体……?」


「今日の一件を踏まえると、何処かの国の軍人か何かだったんじゃないかと思うよ。そしてあの時の写身は非常に厄介な魔術を使ってきたんだ」


「一体どんな……」


「毒ガスを発生させる魔術だよ」


「毒ガス!?」


「恐らくね。状況的にそれかそれに準ずる物だと判断した」


 アイザックは嫌な事を思い返すような、重めの声音で続ける。


「あの日、現場にはボクとミーティアとそしてリタがいた。この三人で事に当たっていたんだが……当時からリタは一人で前に出過ぎるのが欠点でね。あの日もそうだった訳だ。そしてリタはそれを恐らく吸引してしまった。するとどうだ。あれだけアクティブなリタの動きがピタリと止まり、その場に倒れてしまった。その後の事をリタが覚えていないという事は、この時点で意識も消し飛んでいたんだろうね」


「その後……?」


 聞く前から碌でも無い事である事は理解できたがそれでも恐る恐る尋ねると、アイザックは一瞬言うのを躊躇うように間を空けてから、それでも答えてくれる。


「写身に頭を蹴り飛ばされた。文字通り蹴られたのではなく蹴り飛ばされた」


「……ッ!?」


「あの時有色性のある毒ガスのような何かに阻まれ距離を置かざるを得なくなっていた僕達は、後方でそんなどう考えても即死な一撃を目撃してしまったのだよ……それが再生する様もね」


「……その後は?」


「写身の方は勝手に消えた。多分どこの国も考える事は同じで、ホーキンス大尉のような事をしたのだろう。やるならもう少し早くしろなんて事を言えばとても不謹慎な話だが、とにかくその場にはすっかり元通りになったまま意識を失っているリタと僕達二人だけが残されたよ」


「……そして意識が戻ってからもリタはその事を覚えていなかった」


「ああ。不幸中の幸いと言って良いかは分からないけど、綺麗に頭だけを蹴り飛ばされた結果衣服に損傷があったりした訳じゃあなかった。それが有れば少々ややこしい話になる」


「……ですね」


 例えば服に大穴が空いているのに無傷だったら、一体何が起きたのかと不審がるだろう。

 だがそれが無ければやりようがある。


「流石に衣服に血痕は残っていたが、それは写身の返り血という事にしてしまえばいい。僕達はなんとか写身に接近して攻撃し遠ざけ、リタを連れて逃げ出したと。後はリタの意識が戻ってから風呂に入って貰い、スーツを洗濯してしまえば有耶無耶にできる」


「……有耶無耶にしようとしてくれたんですね」


「ああ。僕達もだいぶ混乱していたけどね。何せ今日キミが見て感じた衝撃を僕らも体感した訳だから……それでも最終的に有耶無耶にする判断をした。僕自身そうするつもりだったが、まさかミーティアにあそこまで必死に頭を下げられるとは思わなかったよ」


「ミーティアさんが……」


「可愛がってたからね、ミーティアが特に」


「他の皆さんは?」


 アイザック達はその現場で実際に目撃してそうなった訳だが、他の皆はどういう経緯で今のようになったのだろうか。


「流石にその時点では皆にこの事は伝えられなかった。ただ当然、リタの爆弾を有耶無耶にし続ける為にも皆の協力は必要だからね。あくまでこの時点での話だ」


「皆に直接話したんですか?」


「ああ。この後、この一件について探れるだけ探った上で、その情報を持って皆を説得した。半ば賭けでは有ったけど……皆が困惑しながらも受け入れてくれる確信が僕には有ったんだ。ミーティアを含め、62支部に居る人間は皆そういう者ばかりだし……リタが相手なら皆が助けてくれると思った。そういう関係を、あの子はたった三か月で築いていたんだ」


 アイザックは小さく笑ってから言う。


「皆が困惑しながらも写身ならば駆除するべきだと言った者はいなかった。皆僕の意見に賛同し、これからどうしていくかの話し合いに自然と移行する事が出来たんだ。今に至るまで密告者も無し。賭けは大勝利だった。そしてそこから先の事は大して語る事も無い」


 アイザックはどこか懐かしむように言う。


「僕達の手の届かない他の支部に移籍してしまわないように、滅魂師を止めるように進言する事もせず、これまで通りの日常を今日まで過ごしてもらった。できれば明日からもそうしたい所だけど……難しいだろうね」


 そういうアイザックは、本当にそれを惜しむような物だ。

 改めて実感する。

 リタはこの人達の善意に生かされてきたのだと。

 そしてアイザックとそんな会話を交わしている内に、周囲が見慣れた景色に変わってきた。


「そろそろキミの家だ。僕達が探った話はそこで聞くと良い。同じ内容が聞けるだろうさ」


「……って事は、当時のアイザックさん達も俺達の家に?」


「まあね。情報があるとすればそこしかない。育ての親から話を聞くしかないと思った訳さ。彼らが何も知らない訳が無いという確信が僕にはあったからね」


「……」


 知らない訳が無い。

 リタが写身だと分かった今、それはその通りだと自分でも思う。


 家族だからこそそれは強く思う。

 特に母だ。

 何せ聞いた話によれば、二人が生まれた際に産婦人科医として立ち会ったのが、二人の本当の母親の親友だったらしい母その人なのだから。

 何も知らない筈が無いのだ。


「……緊張してるかい?」


 アイザックに不意にそんな事を尋ねられる。

 緊張していないと言えば嘘になる。


「今、父さんや母さん、ミカと会って……うまく話せるかなって思って」


 自分とリタだけが知らなかったあまりに大きな秘密を知り、その事を絡めた話がこれから行われる訳だ。これで楽な気持ちで行ける訳が無い。

 そんなロイにアイザックは言う。


「当然此処まで僕も着いて来ているんだ。キミ達を預かる職場の責任者として、最低限邪魔にならない程度には同席させて貰うよ」


「責任者として同席……か。人の家族の問題は管轄外じゃ無かったんですか?」


「そうだね。だけどまあ、そうは言ってもだ」


 アイザックは優し気な笑みを浮かべて言う。


「良いとこの茶菓子を持って靴を脱いでお邪魔させて貰う位の事はさせて欲しいと思うよ」


「……歓迎しますよ」


「そりゃ助かるね。どこかで茶菓子でも買って行こうか」


「いや今のたとえ話ですよね。まっすぐ家向かってくださいよ」


 この人なら本当にどこかに寄りかねないなと、半ばそんな冗談を考えながら。

 ロイを乗せた車は自宅へと向かっていく。

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