五分咲き

 わたくしは大木の足元に座り、黄昏時の太陽と月を見る。昼と夜が混ざり合っているような感覚。私はこの時間が好きだ。ずっとこの時が続いて、私自身をここに閉じ込めてしまいたいくらいに。あと何年ここで美しい世界を見ていけるだろうか。

 日が沈み、月が空を支配する。校門からジャリジャリッと激しい音と共にライトの光が見える。この廃校舎に止まったのは一台のパトカーだった。バタンと扉を閉め、降りてきた警察官はぐるっと辺りを見回し私を見つけた。

「こんばんは。現在夜間の見回りを行っております。お姉さん、ここで何をしているのですか。この時間に一人は危ないですよ。」

「夜の散歩がてらここで花見をしております。毎年この木は綺麗に花を咲かせるのですよ。」

と私は彼女の問いに答える。私よりも若い警察官に『一人は危ない』と言われるとは。しっかりしているおまわりさんなのだなと考え事をしてから彼女を見ると、私を訝しんでいる雰囲気をまといつつ、

「職質いいですか。」

と問う。

「いいのだけれど、あいにくただの散歩だと思ってきたから身分証明書とか持ってきてないのよ。それでも、大丈夫かしら。」

少し悩んだ末に、

「そうなのですか。大丈夫ですよ。特にここでは何もしていないでしょうし。では、ご協力ありがとうございました。お気をつけてお早めにお帰りください。わたしはこれで失礼します。」

と立ち去ろうとする彼女へ

「あなたも少し花見をしていかない。」

と私は言った。忙しいのだろうと思った。だが、それだからこそ少しでも心身を休めて欲しいと。彼女はその場で立ち止まり手を顎に当てる。

ぱっと顔を上げ、「後少しで退勤時間なので、たまには少しサボってみましょうかね。」と言いつつ戻ってきた。

「ここの景色はすごく綺麗ですね。貴方は毎年ここで見ているのですか。」

と座りながら問う。

「えぇ、そうね毎年。いつ見ても飽きないほどここは綺麗ですから。」

 「世界が全てこんなだったらいいのに。」

ぽつりと彼女が言う。彼女はパッと口を押さえ、目を見開いている。街の治安を守る中で見てきた汚れた世界の一部を思い出してしまっているのだろう。やはりどうしても切り離すことはできない、彼女と仕事を。日々に疲れても、それを一時でも忘れることはできない。それほど彼女は考え続けている。どうすれば理不尽に降りかかる悲劇をこの世界からなくすことができるのだろうと。それをなそうとする覚悟を持っている顔を彼女はしている。

「何かあったのですか。無理にとは言いません。私に話せる範囲でよければ話していただけませんか。」

と私は言う。彼女は迷いを目に映し、微笑む。

「話すことで楽になることもあります。迷いがあるなら話してください。あなたが日々頑張ってくださっていることはわかっています。少しだけでもお力になりたいんです。」

この言葉に彼女は警察官としてではなく一人の人として私に悩みを打ち明けた。

「私、見ての通り"女性"の警官じゃないですか。そして、警官という職業は男性が多いです。よって周りは男性ばかりで署内に私の居場所なんて、ないんですよね…。」

と。彼女は笑う、もう諦めきった顔で。続けて、

「やっと女の子の後輩ができたと思っても、私より能力が高くて、どうも気まずくて…。」

と続ける。たとえ、自らが望み、やりがいを感じる仕事であれど、居づらい雰囲気が漂う職場では雨の降りそうな雲が常に頭の中に浮かび、集中しきれないのだろう。ましてや、気軽に相談できる相手もいないようで、孤島に一人残されているようだろう。取り付く島もないというのはこのようなことなのかもしれない。彼女は私に心配させたいと笑うが、かえってそれが私を心配させる。その笑顔は彼女の環境がそうさせているのだと思わずにはいられない。私が

「あなたは若いのにそんな苦労をしているのですね。」

と声をかける。

「いえ、そんなことないですよ。私なんかまだまだで、もっと頑張っていかなければ。貴方も私と同い年くらいに見えますが、きっと私よりも苦労しているのでしょう。」

とまた、笑う彼女へ

「あら、そんなに若く見えるかしら。嬉しいわ。実際は三十後半から四十前半くらいかしらね。まぁ、それは置いておいて。今、あなた『私なんか』って言ったわね。」

と私は口調を変え、真っ直ぐ目を見て問う。それに彼女は小さく「はい。」と返事をし、笑う。あぁ、そんな顔で笑わないで。あなたは…

「あなたはもっと自分を大切にしなさい。無理をして笑わないで。」

思いをそのまま伝えた。喉から下へ押し込んだり、遠回しに言う必要などない。彼女を見ると彼女の仮面にヒビが入り、ぐっと唇を血が滲みそうなほど噛んでいる。

「泣いていいんですよ。我慢しないでください。我慢は積もりに積もって大きな岩となって重くのしかかります。たまにはそれを下ろさないと潰れてしまいますよ。」

この言葉に彼女は枷を外したように大きな声で涙を流しだした。我慢をして積もった雲のような埃は今暖かな水に流され、抑えていた思いがあらわとなる。涙に混じって紡がれる言葉を私はただ静かに聞いていた。ひとしきり泣いて、溜まっていたものも全部吐き出せたようだった。

 彼女は本当の笑顔で

「ありがとうございました。私、知らないうちに溜め込んでたんですね。だいぶ気持ちが軽くなりました。また、何かあったらここに来て話をしてもいいですか。」

と言う。

「えぇ、いつでも。ただ"私"と話したいのなら来年のこの大木の花が開いている頃に来てください。必ずここにいますので。その間以外はこの大木に話しかけてください。何かに向かって話すこと、それが大切ですから。」

「来年のこの時期だけですか。何故その時だけ…。」

私が口を開こうとしたがジャリジャリッという音に遮られる。バタンッと大きな音と共に「梨奈、いるか。」と慌てた男性の声が響く。

「佐々木先輩。」

と驚く彼女の声を聞き、その佐々木先輩と呼ばれた男の警官が走ってくる。私という不審者を見た後すぐに安全確保のため彼女の腕を少々強く引っ張り、自らの後ろに庇う。「ちょっと先輩。」という声を無視し、私を睨みつけつつ、

「俺の後輩に何かしたか。」

と強く問う。私は

「何もしていませんよ。ただそこの方とここの花を見ていただけです。」

と両手を上げる。どうも胡散臭いと思われただろう。このまま手錠でもかけられてしまうだろうか、という思いに反して、彼は私に背を向け、

「大丈夫か。何もされていないか。」

と彼女を気遣う。

「平気ですよ。この人に少し話を聞いてもらっただけです。」

と笑う彼女に、

「そうか、良かった。退勤時間を過ぎても帰ってこない、連絡もこないで心配したんだからな。二度とするなよ。」

と言う。

「はい。すみません。」

と落ち込む彼女をポンポンとしてから

「まぁ、気にするな。最近のお前は少し変だったからな。何かあったらすぐに俺に言えよ。」

と優しく笑いかける。

「はい。ありがとうございます。佐々木先輩。」

嬉しそうに少しはにかんだ声で彼女は言う。一通り話が終わり、彼が私の方へと向き直る。

「先ほどは、あのような態度を取ってしまい申し訳ありませんでした。うちの後輩がお世話になったようで、ありがとうございました。」

と深々と頭を下げる。

「いえ、お気になさらないでください。私はただお話を聞いていただけですので。」

「本当にありがとうございました。」

と、彼が再び頭を下げると同時に彼女も同じ動きをする。洗練されている礼。美しいの一言に尽きる。二人の警官は同時に顔を上げ、彼が

「この時間に出歩くのは危険です。なので、家までお送りします。」

と申し出た。それを私は

「お気持ちは受け取らせていただきます。ですが、私はまだこの景色を見ていたいので。」

と断った。「ですが…。」と言う彼を彼女が心配そうな目をしていたが、私が動こうとしないのを見て、「先輩。」と小さく声をかけ、ピシッと敬礼をし、パトカーへと歩き始める。それを見て彼も敬礼をし、彼女を追いかける。

「おい、お前先に行くな。」

「何ですか、佐々木先輩。何かありました。」

「いや、そういう訳では無いが。そういえば、『佐々木先輩』呼びは俺の父さんも反応することがあるからやめろって言ったよな。」

「はいはい。すみません、りょーやセンパイ。」

「おーし、反省していないようだな。今度何か奢ってもらうぞー。」

「えー、嫌ですよ。遼也先輩が奢ってください。」

 微笑ましいやりとりをする二人の背中を私は見る。

「良い居場所、あなたにはちゃんとあるじゃない。」

そう彼女へ届かない言葉を贈る。あの笑顔はきっと彼が守っていくことだろう。同じ組織の中、信頼できる人が居ることが彼女にとって大切な拠り所となる。きっと、もう、彼女はここに来ないだろうな。でも、欲を言うなら、また思い出してここへ来て話を聞かせて欲しい。私の小さく、積り積もった想い。この想いは過去へ訪れる一人一人に対して抱いてしまう。私など覚えてくれる人間が居なければ忘れ去られてしまう存在であるというのに。

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