第3話 異世界でも社畜の俺は報われない。
宿舎の食堂。慶吾の前に置かれたのは、固い黒パンと湯気の立たない野菜スープ。鍋の底をさらったかのような中身は、わずかに浮かぶ人参とキャベツの欠片だけ。
「……パンとスープだけか」
慶吾は匙を持ちながら隣に目をやった。
そこではリリエッタ専用の長卓が整えられ、白いクロスの上に銀食器が並んでいた。香ばしい匂いとともに運ばれてきたのは分厚いローストビーフ。滴る肉汁がワインソースと溶け合い、食欲を無理やり刺激してくる。続けざまに、焼きたてのクロワッサンの籠、スープ皿に注がれた濃厚なコンソメ、きらびやかなサラダが次々と運ばれてくる。
「おいおいおい。なんで俺だけ修道僧メニューで、お嬢だけ王侯貴族フルコースなんだよ」
「まあ勇者殿?」リリエッタは肉をナイフで切り分けながら、優雅に首を傾げる。
「パンとスープは胃に優しく、働く男に最適と伺いましたわ。健康第一ですもの」
「……その理屈でローストビーフ平らげるのやめてくれねぇかな」
ぱくり。口に入れた瞬間、リリエッタの表情は蕩ける。 「うふふ……絶品ですわ。お肉の繊維が舌の上でほどけて……まさに至福!」
慶吾の手元のスープは、冷めて薄味。匙を口に運ぶたびに「俺は塩抜きダイエット中か?」と疑いたくなる。
そこへ、使用人が新たな皿を恭しく差し出した。 「お嬢さま、本日の鮮魚のポワレでございます」 「まあ! ありがとう。勇者殿、海の幸は大変滋養があるそうですわよ」
「俺んとこに来たのは水っぽい人参なんだけどな!」
さらに別の使用人がやって来る。
「お嬢さま、特製デザートの苺パフェでございます」
ガラスの器にこんもりと盛られた苺と生クリームが、ろうそくの灯りに輝いた。
「デ、デザートまで……」慶吾は黒パンをもぐもぐしながら、絶望の吐息を漏らした。
「勇者殿も、よろしければ少しお裾分けいたしましょうか?」
「……ほんとに?」
「サラダなら」
「……また草かよ!」
黒パンを噛みしめる音と、リリエッタが幸せそうに肉を味わう音が、ひどく不釣り合いに混ざり合った。慶吾は静かに悟った。――異世界でも、社畜は報われないのだと。
その夜、ふたりは公爵家に呼び出された。
重厚な両開きの扉が軋みを上げて開くと、そこは石造りの荘厳な広間。赤い絨毯が奥の執務机までまっすぐ伸び、壁際には鎧姿の騎士像が沈黙を保って立ち並んでいる。高い天井には大きなシャンデリアが吊るされ、揺らめく蝋燭の光が金の装飾を煌めかせていた。
執務机の上には分厚い帳簿。革表紙は手に馴染むほど使い込まれ、角は丸くすり減っている。ぱらぱらとめくられたページの隙間からは、びっしり書き込まれた数字がのぞいていた。
机に座る公爵――リリエッタの父は、厳しい表情で慶吾とリリエッタを待ち構えていた。
「――装備費用、見事に“菓子店シュネーベル”へ消えておるな」
重い声が広間に響き渡り、慶吾の背筋は凍りつく。
(やばっ……めっちゃ帳簿ガチ勢じゃん。これ絶対首切られるやつだろ……!)
恐る恐る横を見ると、リリエッタは余裕の笑みを浮かべていた。まるで舞踏会で優雅に挨拶でもするかのように、ドレスの裾を摘まんで小さく礼までしている。
「お父さまに怒られるとは思っておりませんでしたわ。だって、お小遣いをどう使おうとわたくしの自由ですもの」
(強ぇ……! この子、全然悪びれてねぇ! 俺なんかさっきの黒パンで心折れてんのに!)
父はページをめくりながら沈黙を保ち、やがて重くため息をついた。
「……苺タルトにモンブラン、マカロン……加えて季節限定苺ケーキ四つ、だと?」
「そうですの。季節限定でしたから、見逃すわけには参りませんでしたのよ」リリエッタは胸を張る。
慶吾は頭を抱えた。
(おい……堂々と正当化すんな! 俺の命が季節限定になるんだが!?)
しばしの沈黙の後、公爵の口元がふっと緩む。
「……よかろう。リリエッタの楽しそうな顔が見られたのなら、それで十分だ」
「お父さまったら♪」
厳粛な場は一気に和み、父はさらに「次はドレス代に」と言って、小袋に詰められた金貨まで差し出した。
(甘ぇ! この父親、甘すぎる! 俺の盾代は? 消耗品は!? 季節限定に殺される未来が見えるんですけど!)
リリエッタは金貨の袋を軽々と抱え、にこやかに一礼する。
慶吾は天を仰ぎながら、またも異世界の理不尽を噛みしめるのだった。
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