第2話 ケーキと勇者と装備
「さて、とりあえず装備を整えるか」
勇者召喚から数日。慶吾は異世界生活にようやく慣れ、ようやく腰を上げた。剣や防具を買いに行こう。社畜上がりとはいえ、武器がなければ始まらない。
だが、リリエッタが胸を張って告げる。
「……それが、もう資金はありませんの」
「は?いや、公爵さまが渡してくれた“装備費用”があったろ。あれを――」
「ええ、全部ケーキに使いましたわ」
慶吾は固まった。「……何に?」
「ですからケーキですの。お父さまから“わたくしへのお祝いのお小遣い”としていただいたものを、どう使おうと自由ですわ」
「いやいや、説明のときに“勇者殿の装備費用に”って言ってただろ……」
「まあ勇者殿ったら。そんな大事なものを“お小遣い”に混ぜるはずがありませんわ。ですから、あれは間違いなくお小遣いですの」
リリエッタは自信満々。反省など微塵もなく、むしろ誇らしげに続ける。
「街で評判の菓子店を貸し切って、友人たちを招いて茶会を開いたのです。苺タルトにチョコレートケーキ、ミルフィーユ……どれも絶品でしたわ!」
「……どうして剣より先に苺タルトなんだよ」
「だって、季節限定でしたのよ?」
「俺の命まで季節限定になったらどうする気だ……」
リリエッタはくすっと笑った。「人生において大事なのはタイミングですわ。旬のものを逃すなど、あってはならないことですの」
「……旬の装備を逃した俺の立場は?」
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ここで一度、リリエッタは思い出す。――あの日の甘い香りを。
街の大通りに出ると、香ばしいバターと砂糖の香りが鼻をくすぐった。大きなガラス窓に並ぶケーキたち。苺が山のように盛られたタルト、金箔がひらひらと光るショコラ、クリームの層が幾重にも重なるミルフィーユ。
「まあ! この世に天国がありましたのね!」
彼女は両手を組んでうっとり。通りがかる人々が「あ、公爵令嬢だ」とざわついても意に介さない。
「今日は特別なお祝いですの。勇者さまが召喚された日! そしてわたくしがお小遣いをいただいた日!」
結果、店を丸ごと貸し切り。友人たちを呼び寄せて笑顔で乾杯。お菓子の山を前に「これが世界平和への第一歩ですわ!」と高らかに宣言したのだった。
その場にいた侍女は「お嬢さま、本当に全部を……?」と青ざめていたが、リリエッタは「未来ある勇者さまを支えるわたくしに必要なのは甘味による活力ですわ!」と断言。友人たちは「さすがリリエッタ様!」と喝采した。……勇者装備のことなど、彼女の頭から完全に抜け落ちていた。
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結果として、勇者一行の懐はすっからかん。装備を整えるどころか宿代にも困る羽目となり、教会から斡旋された依頼を受けざるを得なくなった。
――勇者、初依頼。内容は「迷子の猫探し」。
「……俺、勇者だよな?」
「立派な勇者は小さき命を救うものですわ!」
「はい出ました、テンプレ……」
リリエッタは胸を張るが、実際の仕事は泥臭かった。
路地裏をかき分け、魚屋の裏で鱗まみれになり、パン屋の倉庫にまで潜り込み……猫の鳴き声を追いかけて走り回る。途中で市場の女将には「まあ勇者って暇なのね」と笑われ、八百屋には「猫より大根運ぶのを手伝ってほしい」と頼まれ、子どもたちは「勇者さーん、がんばれー」と面白がってついてくる。
「……社畜時代と何が違うんだ、これ」
「世のため人のために働くのは誇らしいことですわ!」
「いや今は完全に猫のためなんだけど」
「猫ちゃんも世界の一部ですわ!」
「だったら俺は世界の一部のために泥まみれか……」
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日が傾き始めたころ、ようやく木の上で鳴いている白猫を発見。
「いましたわ! あの愛らしい毛並み!」
リリエッタは裾を泥で汚しながらも果敢に木を登り、猫を抱えて降りてきた。枝に髪を引っかけながらも気にせず、猫を胸に抱きしめて「よしよし」と笑顔を見せる。
「ご覧なさい勇者殿! 任務完了ですわ!」
「はいはいすごいすごい。勇者とお嬢さま、猫一匹救出。世界平和に大貢献だ」
依頼人の老婦人から渡された報酬は銅貨十枚。慶吾はそれを手にして虚ろな目になった。
「……昼飯代にもならねぇ」
「でも猫ちゃんが幸せそうでしたわ!」
「俺の胃袋は幸せじゃねぇんだよ」
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依頼を終え、宿に戻ったふたり。慶吾はベッドに倒れ込み、リリエッタは鏡の前で泥を拭っていた。
「勇者殿、働くって素晴らしいですわね」
「俺が働いたのは猫と魚屋と八百屋のためなんだけどな」
「小さな積み重ねが世界を救うのですわ!」
「世界救う前に俺の飯代救ってほしい」
リリエッタはくすくす笑って、机の引き出しから何かを取り出した。それは、茶会で余った焼き菓子だった。
「勇者殿、わたくしの友情の証ですわ!」
「……はぁ。結局甘味でごまかすんだな」
それでも慶吾は一口かじる。ほろ苦いチョコの味が口に広がり、ほんの少しだけ疲れが和らいだ。
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しかし。
その笑顔の背後で、木陰から冷たい視線がふたりを見つめていた。笑い合う勇者と令嬢を値踏みするような、暗い影。
(あれが……勇者か)
低くつぶやく声。指先で弄ぶのは黒鉄の短剣。刃に刻まれた紋章が、夕陽を受けて赤黒く光る。
「まだ牙を剥くには早いが……潰すのは簡単そうだな」
通り過ぎる人々は誰も気づかない。だがその影は確かに存在していた。ふたりが笑うほどに、その背後でじわじわと広がる不穏。
―勇者と令嬢の冒険譚は、まだ始まったばかりだった。
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