第3話 サボりの提案
――治療を終えたあと、俺はエナのために紅茶を入れた。
カップを受け取るときに、ほんの一瞬だけ警戒していたみたいだったけど、すぐに口をつけてくれた。……少しずつ心を許してくれていると思っていいのかな、これは。
「……、ぁ、おいしい……」
「そうか? てきとうにお湯入れてるだけだから、味の自信はまったくないんだけど」
「ううん、おいしい。……あったかい飲み物、ひさしぶりだったから」
こく、こく、と。
エナは、その白く細い喉を何度か鳴らして、
「ん……んふ、えへへ。ごちそうさま、シルトくん」
にこっと、小さく笑ってくれた。
思わず頭をわしゃわしゃと撫でてしまいたくなるような、庇護欲をそそられる笑み。
「どういたしまして。カップはあとで洗っとくから、そのへんの机にでも置いておいてくれ」
「……いいの? あたし……迷惑じゃ、ない……?」
「もちろん。むしろ、その……償い、って言えばいいのかな。エナと同じクラスだったのに、俺、今まで何もできなかったから」
記憶の中のシルトは、エナを救いたいと願っていた少年だった。
だけど恐怖に打ち勝てず、彼は傍観に逃げてしまったのだ。
――それを悪だと断じるつもりはない。エナの味方をすれば、学院中を敵に回すことになる。それに立ち向かう勇気を振り絞れないのは当然だし、仕方ないことだと思う。
でも。せめて、俺は。
「だから……今さら遅いって、思われるかもだけど。これからは俺なりに、エナのためにできることをやっていきたいんだ」
「あたしの、ために?」
「うん。……っていうか、ごめん。いきなりこんなこと言い出してキモいよな、俺」
途端に照れくさくなって、俺はぽりぽりと頬をかく。
エナもまた……白い頬をほんのりと赤く染めて、恥ずかしそうに俯いてしまっていた。
お互いに無言の、気まずい時間が流れる。
その沈黙に耐えられなくなった俺は、ごくっと自分のぶんの紅茶を一気に飲み干して、
「えっと、さ。エナは、このあと何かしたいことあるか?」
「ぁ……学校。あたし……そろそろ、戻らないと……っ」
苦しげに、エナは唇を噛んだ。
……そんな顔をしておいて、まさか、今のが本音なはずはないよな。
「エナ。たまにはさ、俺とふたりでサボらないか?」
「……ぇ? で、でも……っ」
「エナも俺も出席日数は足りてるし、一日くらい休んでも問題ないはずだろ? それに、ほら。気分転換をするのも、魔術師にとって大事なことなんじゃないかな」
「う、ううん……?」
屁理屈で押し切ってみようと試みたが、むしろエナに困り顔をさせてしまった。
まあ……ならば、仕方ないな。ここは切り札を使うことにしよう。
「――帝都の四番街に、面白いコンセプトの喫茶店ができたみたいなんだ」
「…………?」きょとん、と首をかしげるエナ。
「飼い猫が十匹くらいいる喫茶店で、その猫たちとは遊び放題らしくて」
「…………!」ぴょこん、とアホ毛を突き立てるエナ。
「ちょうど今日、俺はその店に行こうと思っててさ。でも――あー、残念。エナは学校に行っちゃうんだな?」
「ぅ、うぅ、ぅうううっ……っ」
わしゃわしゃと自分の銀髪をかき混ぜるエナ。
そう。そうなのだ。
エナ=リファインは、超がつくほどの動物好きなのである。だから、
「――――ぁ、あたしも、学校サボる……っ!」
真面目で誠実、純真で無垢な彼女も。
猫とか、犬とか、ウサギとか。
そういう小動物の前では、完全に無力というわけだ。
「へえ。じゃあ、決まりだな?」
「……シルトくん、ずるい。あたし、なんだかキミにハメられた気がする……」
「ははっ。さて、どうかな」
俺はわざとらしく肩をすくめてから、その場で立ち上がる。
「ちょうど腹も減ってきたころだし、昼飯も近くで食べようか。いいよな、エナ?」
「ぁ……っ、ご、ごめんなさい。あたし、お金、あんまり……っ」
「心配するなって。ぜんぶ俺が奢るからさ」
「そ、そんなの、あたしは……っ」
と――ぐううぅ、という音。
それがエナのお腹から響いたものだというのは、もはや言うまでもないだろう。
「ほら。遠慮するなって、エナの胃袋も言ってるみたいだぞ?」
「う、うぅ……っ! シルトくんの、いじわる……っ!」
むすっと頬を膨らませて、可愛らしく睨んでくるエナ。
――よかった、少しは元気になってくれたみたいだ。俺は内心で、ほっと胸を撫で下ろす。異性をデートに誘うのなんて、前世を含めて初めてだったからな。
「じゃあ、さっそく行こうぜ、エナ」
「……う、うん」
と、俺が扉へと向かって歩き出したところで。
ちょこん。
エナが、俺の制服の裾を摘まんでくる。
「……え? え、エナ……?」
「? どうしたの、シルトくん?」
エナを見つめる――が、彼女は小首をかしげるのみ。
俺の制服を摘まんでいることについては、何の疑問も持っていない様子だった。……もしかして、無意識だったりするのだろうか?
ほんのちょっとだけ、背筋が寒くなったような気がする。
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