第2話 治療
自室に着き、エナをベッドへと座らせる。
彼女の膝の擦り傷を見ていると……さっきの教室の光景を思い出さずにはいられなかった。
だが、あいつらへの制裁は後回しだ。
今はとにかく、エナの心身の傷を癒してやりたい。
「それじゃあ、エナ。傷、治していくぞ?」
「ぇ……ぁ、う、うん……」
こくん、と、エナは小さく頷いた。
彼女の真正面に膝立ちをして、俺は――右手に、魔力を集めていく。
(……すげぇな。ここは、本当に『マギアカ』の世界なんだな)
手のひらに魔力が募っていくのを感じながら、改めて、そんなことを思う。
『マギアカ』の舞台は、魔術の存在する近世ヨーロッパ風の世界だ。
俺はしがないモブ生徒として転生したわけだが、腐っても魔術学院の生徒のひとり。
魔術の使い方は、しっかり脳と身体が覚えてくれていたらしい。
「――――【
瞬間。
俺の体内の魔力が消費され、小さな泥へと変換される。
シルト=ルージアの得意魔術は、《泥と砂》。……なんともモブらしい、地味な魔術だと思う。
だが、すべての魔術には、無限の可能性が秘められていると言われている。
知識さえあれば、こんなふうに傷を癒やせる泥を作り出すことだって可能なのだ。
「触るぞ、エナ。……大丈夫。すぐに塞がるはずだから」
「っ……う、うん……」
ぴと、と。
その泥を、エナの左膝の擦り傷へと押し当てる。
「ぁ、ひゃん……」
「わ、悪い。痛かったか?」
「う、ううん。……冷たくて、びっくりしただけ」
ふるふる、と、エナは小さく首を左右に振ってから、
「……すごい。痛いのが、消えてく……」
「そっか。成功したなら、俺も安心だ」
魔術を唱えるコツは、知識とイメージだ。
そして俺は幸いにも、前世で『マギアカ』の設定資料集やファンブックを一冊余さず読破していた。
だから《泥と砂》の魔術を治癒系統に分岐させる方法も知っていたし、イメージをするのも容易だというわけである。
「よし、そろそろ塞がったはずだ。泥、剥がすぞ?」
「うんっ」
弾んだ声。……もしかしたら、少しは俺のことを信頼してくれたのだろうか。そう思うと、なんだか救われた気分になる。
――シルト=ルージアは、エナがいじめに遭い続けた三週間を、ただ教室の隅から黙って見ていることしかできなかった少年だ。
エナを助けたいという想いと、クラスの空気に逆らうことへの恐怖。
葛藤しつつも、結局、行動には移せなかった。そのときの後悔と無力感は、彼に転生した俺の胸の奥に棘として残り続けている。
(……シルト。お前の意思は、俺が受け継ぐよ)
彼女の膝から泥を剥がしながら、そう決意する。
と――初雪を思わせる、白く美しい生足。エナは、そんな自分の柔肌へと視線を落としてから、
「……すごい。傷、綺麗になくなってる……っ」
「だな。ここまで完璧に消えるとは俺も思わなかったけど」
ぷらぷら、と生足を揺らすエナ。
無事に治癒できてよかったな、と心から安堵する。『マギアカ』のヒロイン陣に比べるとエナの体型は小柄で慎ましめなほうなのだが、その代わりに、彼女は美脚キャラとして扱われることが多かった。ファンアートではしょっちゅう太ももを盛られていたし……膝に擦り傷があったままじゃ、世界の損失だ。
「エナ。痛みは大丈夫か?」
「うんっ。……えへへ。シルトくんって、魔術、すごく得意なんだね?」
「それはまあ、うーん……ともかく、エナの役に立てたなら何よりだよ」
と、俺が立ち上がろうとしたところで――エナが、俺の制服の袖をぎゅっと掴んできた。
「ぁ……っ、ま、待って……」
「ん? どうかしたか?」
「あのっ……ち、違う、の。ご、ごめんなさっ……」
彼女の、華奢な肩が震える。
俺の制服の袖から、その手が離れて遠ざかっていく。
そこで、俺は……エナと目線の高さを合わせて、彼女の小さな手をそっと優しく握った。
「エナ。大丈夫、俺はあいつらとは違うよ」
彼女の俺への信頼は、やはりというか、まだまだ完全なものじゃなかったらしい。
だったら。せめて、全力で伝えたい。
俺は。俺だけは、エナの味方なのだと。
「何か言いたいことがあるなら、遠慮なく言ってほしい。もちろん、エナのタイミングでいいからさ。時間が必要なら、俺はいつまでもエナのそばにいるよ」
「ぅ、あぅ……」
エナの視線が、俺から逸れる。
だけど。彼女は力強く、俺の手を握り返してくれた。
――――やがて、エナは。
「……せな、か。制服の、内側も……治して、ほしくて……っ」
その言葉を俺に伝えるのに、どれほどの勇気が必要だっただろうか。
三週間前。エナは、信頼していた全てに裏切られた。友人、教師、クラスメイト、愛するひと――誰も、エナを助けなかった。手を差し伸べることすらしてこなかった。
きっと彼女は、その心に深いトラウマを植えつけられてしまったはずだ。
また、裏切られるかもしれない。また、酷いことをされるかもしれない
それなのに、エナは――その恐怖を振り切って、俺のことを頼ってくれたのだ。
「……シルト、くん。ダメ……か、な……?」
「ダメなわけないだろ? 大丈夫、ぜんぶ俺に任せてくれ」
「ぁ……ほ、ほんと……?」
「もちろん。じゃあ俺は、あっち向いてるから。準備ができたら呼んでくれるか?」
「う、うん。わかった……っ」
数秒間、衣擦れの音がしたあと――エナが、ぼそりと声をこぼした。
「…………シルト、くん。いい、よ……?」
振り向くとエナは、制服を脱ぎ終えた、下着とスカートだけの姿になっていた。
彼女の華奢で小柄な背中には、大きな火傷の痕があって……俺は、ふたたび魔術による治療を始める。
「大丈夫。すぐに、痛みは無くなるはずだ」
「ん……ぁ、うん……っ」
その白い肌へと、泥を塗っていく。
エナは――気のせいかもしれないけれど、どこか心地良さげな表情をしていて、
「…………んっ、ふふ。えへ、えへへ……」
ほんのわずかにだけど、たしかに彼女は、小さな笑みをこぼしてくれた。
たった一瞬のことだったけれど、そのことが俺は、どうしようもないくらいに嬉しかった。
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