Ep.02 分岐点ーターニングポイントー

第6話

 クリスは何度も何度も反芻するかのように、彼女とのやり取りを思い返していた。

 そうしなければ……何もかもが忘れてしまいそうだった。

 どうにか彼女の後姿だけは、見えるようになってきていた……。


 けれども……どうしてだろう……?

 名前が――名前がどうしても思い出せない。



 ――――――――――――


『クリス――君はとても優秀だ。ここにいる誰よりも優れた資質を備えている。それは確かだ。だからこそ私は君にあらゆる知識と技術を教え込んだ。手放すには本当に惜しい逸材なのだよ』


「監獄王! 何度も同じことを言わせないでほしい。俺はクリスティーナに会いたいだけだ! アンタは俺に嘘をついた。しかも俺にとって大切な存在を奪ったんだ!」

 クリスは鉄の扉を殴りつけた。


『クリス……何度も同じことを言わせないでほしい。君が口にする彼女……クリスティーナと呼ぶ人物は、此処には存在しない。君も隣の部屋を確認したはずだ。誰もいなかっただろう? 使用されていた形跡もなかったはずだ』


 監獄王の言う通りだった。

 確かに、確認したあの時にはいなかった。けれども、クリスにはそれが信じられなかった。


「アンタが俺からクリスティーナを遠ざけるために、部屋を片付けたんだ!」


『それは違う。はっきり言わせてもらうが、ソレは君にしか視えない幻影だ』


「ふざけるな! 彼女が幻影だと? そんないい加減なこと——」


『信じられないのであれば、それで良い』辟易したとばかりに声の主は、ため息をついた。『分かったよ。クリス……君は我々と行動を共にしないという決断を下したんだ』

 監獄王はクリスの話を遮り、そう切り出した。


「ああ、俺はアンタと一緒に行動はしない。これから一人で、自分の意思で決断して行動する」


『よかろう。私は君の自由意志を尊重するよ』

 鉄の扉の向こう側から、男の声が響く。そして、扉の下の隙間から一枚の紙切れが滑り込んできた。

『私からの手向けだ。そこに書かれている男の元に行き、養子にしてもらうと良い』


 クリスはその紙片を拾い上げる。そこには住所と大まかな地図が書かれていた。


「アルフォンソ・テトレー……伯爵?」


『その男の養子になることだ。そうすれば爵位を手にすることができる』


「爵位だって? アンタが一番嫌っている貴族になれと言うのか?」


『ああ、そうだ。貴族になれば、身元が保証され、さらに出自を追及されることもない』


「嫌だと言ったら?」


『その選択も君の自由だ……。好きにすると良い。けれども、君が会いたがっている彼女……クリスティーナの情報はおそらく手に入らない』


「やはり何か知っているんじゃないか!」


『君の言うことが正確であり、かつ実在するのであればの話だ。ただし……それを証明するためには、君自身の命を賭ける覚悟が必要だ』


「命を賭ける?」


『そうだ。その覚悟が君にあるのかね?』


「当然だ。クリスティーナに会えるのであれば、俺の命くらい賭けてやる」


『ならば、伯爵の養子になることだ。そうすれば、自ずと導かれることになる』


(導かれる……? 何だ? どう言う意味だ?)

 クリスは監獄王の言葉に違和感を覚える。


「監獄王、アンタは何を知っている? そして、どうしてそれを隠す?」


『クリス……君が疑う気持ちも分かる。だが、私には確証がないのだ。確証がないことを、親友である君にさせることはできない』


 その言葉にクリスは鼻で笑う。

「よく言うぜ。アンタは仲間たちを集めて何を企んでいるんだ?」


『私と決別しようという君にそれを教えることはできないな。さあ、君の出立の時間だ。見送ることはできないが、お互いに何処かで会えることを願っているよ』


 カチッと扉が解錠され、鉄の扉が自動で開いた。

 独房から外に出たクリスは、長く伸びる通路を見つめる。


 人の気配はなかった。

 足音も物音もしなかった。

 まるで廃墟になったようにしずまりきった施設を、クリスは一人歩いていく。


 カツン……カツン……と、歩く靴音だけが通路に響いていた。


 ――――――――――――



 そうだ……クリスティーナだ。

 何故だ? なぜ……名前だけ……抜け落ちるんだ?


 クリスは顔を上げる。

 小高い丘に向かってまっすくに伸びた道路の先に、クリスティーナの後姿が見える。


 その後ろ姿をひたすら追いかけている。けれども、歩いても歩いても不思議なことに、彼女との差が縮まらないのだ。

 試しに、わざと歩みを遅くしても、彼女との距離が遠ざかってしまうことも彼女を見失うこともなかった。


 こちらのペースに合わせて、彼女も一定の距離を保っているようなのだ。

 クリスが走れば彼女も走り出し、クリスが疲れて立ち止まれば彼女もその場で立ち止まる。

 例えると、太陽を背にした時の、自分の伸びた影を追いかけている感覚に近い。


(彼女はいったい何が目的なんだ?)


 左手の薬指に嵌めた指輪を見つめる。

 この指輪を嵌めてから、彼女の姿を再び見ることは出来るようになった。

 だけど、彼女はこちらを振り返ることはしない。

 呼びかけても返答はない――。

 以前の彼女とはまるで違って見えた。


 監獄王の言う通り、本当に俺にしか視えない幻影のようだ……。

 だとしたら……俺を何処へ誘おうとしているんだ?


 クリスはふと思い出したように、胸ポケットに入っていた爵位カードを取り出した。

 カードには、クリストファー・テトレー伯爵と刻印がされている。


 爵位カードを渡す時の、養父となった年老いた男の表情を、クリスは見逃さなかった。


 羨望と畏怖、後悔と怨念の入り混じった歪んだ笑みをこぼしていた。

 さらに僅かではあるが、クリスが嵌めた指輪を見つめ、殺気を漂わせていた。


「あのジジイ……俺を使って……何をしたんだ?」


 おそらく指輪を嵌める行為自体が、相当に危険な賭けだったのだろう。

 俺が生きていられる配当オッズは、極端に少なかったに違いない。

 そうでなければ、指輪を嵌めただけで爵位カードが手に入るはずはない。


 クリスは頭を振る。


 いや……伯爵のことは考えるだけ無駄だ。

 養子にはなったが、この先再会することなんてないのだから……。


 それでも養父に対して、感謝だけは忘れないでおこう。

 何者でもない俺に、爵位を与えてくれた。

 このカードのおかげで、出自が疑われることはなくなったのだから……。


 そんなことを考えていたクリスだったが、次第に足取りが重くなるのを感じた。


 ハァ……ハァ……。


 やけに疲れると思ったら、勾配のある坂に差し掛かっていた。

 先ほど見えていた小高い丘の所まで、すでに歩いてきていた。


 坂を上った先に、ねじれて伸びる建造物が不意に視界に飛び込んできた――。

 まるで二匹の白い大蛇が、互いに絡み合いながら捻れて天に近づこうとしているようにも見える。


 高さ1500メートルにも及ぶ二重螺旋構造の高層ビルディング。

 その圧倒的なスケールに驚嘆し、自分の視覚がおかしくなったのかと、目を擦ってしまう。

 その想像を超える迫力に、クリスはしばし呆然と立ち尽くしていた。


 あれがシエルトゥールか――。


 天空のシエルトゥールと呼ばれるそれは、皇女神すめがみマリアージュ家の絶大な権力の象徴であり、共和国へと変わった現在でも首都グランディールの象徴的な存在であった。


 空と地上を繋いでいるのがあたかも困難であるかのような……なんとも不安な気持ちにさせる建造物。


 それがクリスの第一印象である。

 その一方で、こんなとてつもない建造物を作り上げた皇女神すめがみマリアージュ家に畏敬の念を抱く。


 そして、いつしか聞いた監獄王の言葉を、ふと思い出した。


『クリス――君は曰ば、井の中の蛙に過ぎない。それだけは忘れないでほしい。この世界には、人智を超えたさらに上の存在があるのだよ。だから、この国で生きていきたいのであれば、身をわきまえて行動するべきだ。皇女神すめがみと称され敬われるマリアージュは誇張を抜きにして、惑星における地軸と同じく、人の手によって変えることのできない中心位置に君臨しているのだ』


 監獄王が称したその表現に、クリスは半信半疑であった。

 だが、目の前に聳え立つ建造物をこの眼で見てしまうと、そう思わざるを得ない。


 王位というのは、この国においては絶対的支配構造の頂点に位置していない。あくまで支配者は皇女神すめがみであると思い知らされる。その皇女神すめがみの神託により王位を授かったグランディールとその一族たち。彼らが、400年もの長い歳月にわたり栄華を誇ることができたのは、ひとえ皇女神すめがみマリアージュの支えがあったからだ。


 ただ、それだけに過ぎなかったのだ……。


 その支えがなくなった――するとどうだ。

 天変地異のごとく、一族郎党すべてが消え失せてしまった。

 殺されたとか、虐殺されたとか、そういう血生臭い話ではない。


 次元が違うのだ――。


 本当の意味での消失現象が起きたのだ。

 今やグランディールの名前が残っているものは、片手で数えるくらいしかない。首都の名前と歴史の記録と今生きている人心の記憶……あとは……なんだろう?


「まあ、そんなこと……今の俺にはどうでもいい」

 モヤモヤとした思考を止めるべく、クリスは呟いた。


 目の前にいる後姿の彼女は、首都に向かう道路を歩いている。

 クリスティーナの向かう先は首都グランディールだ。それは間違いなさそうだ。


 だったら、考えるのはそれだけで良い。


 彼女が導いてくれるのであれば、俺はそこに向かうだけだ。


 首都グランディールに――。

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