既読
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既読
十四時だったので、喫茶店は思っていた以上に混んでいた。
名簿に名前を書き、入り口付近にあるソファでひとり座って待っていると、「二名でお待ちのクワモトさま。窓際のお席の方へどうぞ」と店員に呼ばれた。鍬本麻由子(くわもと まゆこ)はスマートフォンを開き、「席、案内されたよ」とラインを送った。すぐに既読がつき、「すぐ行くわ」と返事が来た。
麻由子はスマホを黒色の鞄に入れて、ソファから立ち上がると、席の方へ歩きだした。
案内された窓際の席に座り、注文を取りに来た店員に、「もう一人が来てからにします」と言うと、店員はぺこりと会釈をして厨房へ戻って行った。
店員と入れ替わるように、関根亜紀(せきね あき)がやって来て麻由子と向かい合って座った。
「夏場に黒い服って本当に暑いわ」
亜紀はそう言うと、白いハンカチで額の汗を拭いた。同じように喪服を着ている麻由子も頷いた。
「だから『座って待ってよう』って言ったのに。あれ、亜紀の靴スニーカーやん」
麻由子が指摘すると亜紀は手に持っていた紙袋を開いた。中には黒のパンプスが入っていた。その手があったか。普段履き慣れないパンプスのせいで麻由子の足は靴擦れを起こしている。
亜紀が座ったのを見て、店員が注文を取りに来た。
「アップルパイとアイスコーヒー。ミルクとシロップありで」
亜紀はそう言うと、店員が机に置いた水を一口飲んだ。
「エビカツサンドとレモンティーのアイス」こちらは麻由子。
「めっちゃガッツリ食べるやん。『二十四歳の夏を満喫させるために痩せる計画』はどこ行ったん?」
亜紀は笑った。
「しばらく小休止」
麻由子は言った。
「この前のアプリでいい感じやった人、アカンかったん?」
麻由子は舌を出した。
「図星か」
「前から思ってたけど、亜紀って勘鋭いよな」
「麻由子が昔から分かりやすすぎるねん」
同級生からの指摘に亜紀は笑った。麻由子は頭をかくしかできなかった。
「けっこういい会社勤めてて、面白そうな人って言ってなかった?」
「何回か会ってみて、悪い人じゃないと思うねんけど、チャラいって言うか、距離近いって言うか……。並んで喋ってたらだんだん近くなってきて……」
麻由子は席を立って亜紀の席の隣に移動し、「『自然と手が触れた』みたいな感じでこうやって意図的に持って行こうとするねん」と手を重ねるようにして実演した。
「それ、絶対いやや」
亜紀は顔をしかめた。
「そういう亜紀はどうなんよ?」
自席に戻った麻由子が亜紀に尋ねた。
「え、ゆたか君のこと?」
「あれ、この前ひろかず君って言ってなかった? 『ラインの返事が遅くて、既読が全然つかへんって』って」
「それはかなめ君やったと思うよ」
麻由子は恋多き同級生に舌を巻くしかなかった。
注文した商品がテーブルの上に並んだ。エビカツサンドはメニューの写真よりも、ボリュームがあった。麻由子は取り皿を持ってくるよう店員に頼んだ。
「私も食べて良いの?」
「こんなに食べきられへんから手伝ってよ。それに夜はいつ食べれるか分からんし」
麻由子はそう言ってため息をついた。亜紀も伝染したように、ため息をついた。取り皿を持ってきた店員が、気まずそうにテーブルの上に静かに置いた。
黙って二人は注文した食事を口にした。
「ホンマ、嘘みたいな話やわ」
料理をだいたい食べ終えた後に、亜紀はそう言うと、ストローを使わずに、アイスコーヒーを一気に飲み干した。麻由子は何も返事できず、意味もなくストローでコップの中のレモンティーをかき混ぜた。
高校の同級生だった立川奈央美(たちかわなおみ)が死んだ。まだ二十四歳の若さだった。高校時代はクラスの中心にいて、麻由子や亜紀よりもよっぽどキラキラとした生徒だった。今夜はその通夜が行われる。
「脳腫瘍、高校卒業してすぐ発症してんてね……」
麻由子がぽつりと言った。
「うん、でも高校のときから、頭痛いって理由で休んでることが時々あったから、今思うと予兆があったのかも」
亜紀がそう言って頷いた。
「最後は退院して家に戻ったらしいね」
「そうらしいね。最後はあまり苦しまなかったみたいって、よっちゃんが言ってた」
亜紀が懐かしいクラスメートの名前を出した。
「今日、『一緒に行こうって』誘ってくれて、ありがとう」
麻友子が礼を言うと、
「ううん。私も一人で行くの、心細かったから」
亜紀は笑った。
もともと、麻由子と亜紀は三年間同じクラスだったが、違うグループに所属していたので、昔から仲が良かったわけではなかった。一年ほど前に、たまたま仕事帰りの駅で、高校卒業以来の再会を果たしてから、時々お茶をするようになった。
奈央美はグループとか関係なく、誰とでも仲良くしていたので、麻由子も亜紀も、何度も奈央美と遊びに行ったことがあった。もっとも、三人で遊んだことはなかったのだが。
高校卒業後、人伝いに奈緒美の病気のことは知っていた。しかし、コロナ禍だったこともあって、ほとんど会えていなかったから、ここまでの状況だったとは想像もしていなかった。麻由子は何度か奈央美にラインのメッセージを送ったが、いつ送っても、すぐに既読がついて、「ありがとう」とか「大丈夫だよ」と返事があり、きっと大丈夫なのだと安心しきっていた。
「亜紀はけっこう奈央美と連絡を取ってたん?」
麻由子の問いに亜紀は首を横に振って力なく笑うと、ストローでコップの底に残った氷をつついた。
「どうしたん?」
「クラスの誰にも言ってなかったけど、わたし、高三の冬に奈央美と絶交してん」
同級生の思わぬ秘密を知って、麻由子はびっくりしてグラスを倒しそうになった。
「絶交って、小学生やないねんから」
「ホンマに。二人とも若かったからね」
亜紀は遠い目で窓の外を眺めた。
いつもなら、「いまでも若いやん」と冷静に突っ込むのだが、上手く言葉が口から出なかった。行き場のない感情を鎮めるために、麻由子はストローに口をつけ、残っていたレモンティーを一気に吸い込んだ。
「きっかけ、めっちゃしょうもないことやった気がする。私が好きやった男の子が奈央美と楽しそうに喋ってたとか、立て替えたジュース代を払ったか、払ってないかみたいな話やったか」
亜紀は力なく笑い、アイスコーヒーを飲もうとしたが、中身は入っていなかった。追加注文を頼もうと、店員を呼ぼうとした麻由子を、「まだ水残ってるから」と亜紀が制した。
「最後はラインの既読無視とかそんなんで喧嘩して、誰もおらん女子トイレで軽く言い争ってん。最後に私が『そんなんやったらもう絶交や!』って言ったら『どうぞ』って言われたからカチンときてもうてん。だから、それ以来、口きいたこともなければ、ラインすらしたことなかってん」
亜紀は早口でそう言うと、グラスの水を飲み干した。二人のグラスが空いたのを見て、店員がピッチャーで水を注ぎにやって来た。そのついでに、テーブルの上にあったドリンクが空になったグラスや食べ終わった皿を下げてもらった。
亜紀は自分のスマートフォンを鞄から取り出すと、ボタンを押して画面を起動し、奈央美と二人で撮ったプリクラの画面を麻由子に見せた。
「写真もラインも全部消してやろうと思ってんけど、なかなか消す気にならなくて、そのままにしてたら、こんなことになっちゃってん」
亜紀は手を震わせながら、テーブルの上にスマートフォンを置き、「聞いてくれてありがとう」と震える声で言い、ハンカチで目元を拭った。
亜紀が化粧室に行っている間に、麻由子はスマートフォンを開き、奈央美と過去にしたラインのやり取りをスクロールして読み返していた。
奈央美と最後にラインしたのは約三か月前、何度かの他愛ないやり取りの後、「すぐ元気になるから、またご飯でも行こう」という奈央美の誘いに、麻由子がキャラクターのスタンプを送ったものだった。奈緒美からの既読はすぐについたと思う。
麻由子はスマートフォンをフリックして「高校のときすら、一回も二人でご飯行ったことなかったけどね笑」と打った。送信ボタンを押そうと思ったが、やめて文字をすべて消去した。
「これから何を送っても、既読が付かないなんて嘘みたい」
麻由子はひとりごちた。
「ライン、消せないね」
気が付けば前の席に亜紀が戻って来ていた。
その時、麻由子と亜紀のスマートフォンが同時に鳴った。クラスのグループラインだった。担任の先生も会場で合流するらしい。
「もうこんな時間や」
亜紀が腕時計を見て言った。麻由子もスマートフォンの左上にあるデジタル時計を見た。通夜は十八時スタートだ。移動時間も含めたら、そろそろ準備しなければ。
亜紀が鞄から新品の便箋を二枚、取り出した。クラスメートの誰が言い出したのか、棺に奈央美へのメッセージを書いて入れようという話になった。百貨店に行く用事があった亜紀が麻由子の分まで買ってきてくれたのだ。
「買ってきてくれてありがとう」麻由子は亜紀から便箋を一枚受け取った。
二人は黙って奈緒美へのメッセージを書き始めた。
(終わり)
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