始まりの続き

 冷たい空気が唐突に身を震えさせ始めた。ふと空を見てみると、どうやら俄かに曇りを見せ始めているようだ。

 「伍長、予報通り...」

 「雨、だな。参ったことに、運がないらしい。」

 【チナカ】兵長とは、どうやら同じことを考えていたらしい。

 屋上で警戒をし続ける以上、降雨に晒され続ければ当然低体温症になる可能性はぐっと上昇する。端的に言えば、作戦に支障をきたす重大な事案だ。

 レインコートはいくつかあるものの、詰込み時間の影響で全員分はない。突入班の分は用意しなくとも大丈夫だろう。しかし、問題は6人中2人はレインコートの断熱性にありつけない事だ。

 「...まったく、荷物を整備する時間ぐらい欲しかったものですな。」

 「【グリヴィア】上等兵、その時間がなかったからこそ大使館内部に敵兵が居なかったも同然だったんだぞ。何事も、完璧を求めすぎてはいけない。そうだろ?」

 "文民は戦争によって死ぬべきではない"。そう、我らの連隊長は口酸っぱく言っていた。

 報道の後我々が出遅れていたら。大使館職員、ひいては邦人はどうなっていたのだろうか。考えるだけでもおぞましい。

 寒さとは別の身震いの後、冷風が一層強く吹き始めたころに、水滴が一つ、また二つとしたたり落ちてくる。我々の予想とは裏腹に、降雨が始まる。初めに、気候が我々を裏切ったようだ。

 「あぁ...レインコートを。ゲルヴァ兵長マークスマンフナル上等兵、スポッター。それと、バリナ一等兵ライフルマンに。」

 それぞれ彼らにレインコートを配布すると、直ぐに着込んだ。チナカ兵長には申し訳ないが、重要戦力と失うものが未だに多いルーキーを優先するのは必然の事だった。

 「これで、明日まで耐えれればいいのですが...」 

 「夜戦にならない限りは持つさ。政治がどのように動くか次第だが。」

 政治の元に置かれている軍隊というのは、些か動きにくいというのは本当だったようだ。現にそれを実感している。

 援軍の到着が不透明で、これ以上の時間がかかればかかるほど我々の死傷率は指数関数的に上がる一方だ。

 そもそも、通信機が明日まで持つのかどうか...問題が多すぎて、頭がはちきれそうだ。

 「...まあ、とにかく。我々の任務である「職員の救出」という大義は、永久不変なものだ。それを肝に銘じて、我々は任務に取り組まなければならない。」

 それだけ聞くと、兵長は呆れたように頭を抱え、警戒配置に戻った。

 誰かを恨みたくても、恨めない...恨む気力すら沸いてこないこの環境に、救の手が差し伸べられるのはいつになるのだろうか___最悪でも、我々が全滅した時には来るのだろう。

 はたまた、墓石どころか、故郷に戻れない、か。




 

 「...軍曹、メディアを見る限り、フレンチナ警察軍及び国軍はフレームの官庁区及び、住宅に多く展開しているようです。」

 火力地点である公文書保管室の扉には、カタピューラ兵長とタクラ一等兵の姿があった。書類の処分を終えて、こちらに戻ってきたと考えられる。

 「...つまり、陸上部隊は我々の近くに?」

 「それが...先ほど大使館職員宛に連絡が届きまして___」

 怪訝な顔つきをした兵長を見るに、そうではないのだろうと、簡単に推察できた。

 遠くも、近くもない、繰り返される銃声。正規軍は、敵の主力部隊が来ると思っている大統領官邸と、議会に部隊を回しているのか。

 そして、こちらに回す戦力はない。あるとしても、自動車化パトロール程度だろう。

 もとよりこの国の軍隊には期待していなかった部分があるので、驚くことでもない。

 「わかった。どうせ祖国の方でも同じことさ。同じ穴の狢だからな。」

 「あはは...軍曹、冗談を言うのはやめてくださいよ。」

 その顔に確かな笑顔はなかった。むしろ、怪訝さがぐっと増している。それが国に対する不満なのか、俺に対する不満なのかは知ったこっちゃないが。

 「...そういえば、ヴェリブサ上等兵はフレンチナ出身だったのでは?何か、ここらへんの地理で知ってることとかは...」

 気まずい沈黙を蹴破ったのは、隣にいたミクロノラージュ・タラク一等兵だった。生粋の新兵にして、優秀なライフルマン。

 そして、普段の姿からは想像できないコミュニケーションのマスターだ。

 なんとも、彼らしい行動だが、それがヴェリブサ上等兵に通用するかどうかは別問題___

 「生憎官庁区には土地勘がない。残念ながら、力にはなれない。」

 俺の予想通り、冷徹に染まり切った声で返信されると、タラク一等兵は身を震わせた後に撃沈した。

 レヴォリシェン・ヴェリブサ上等兵。彼はこの部隊内では「冷徹なサタン」と言う異名で呼ばれている。

 基本的に話し相手とは冷徹かつ敵意をもって話す一方、射撃スキル、体力、命令統制。その他専門兵科に関するスキルでさえも彼は高く、恐れられる存在だ。

 しかしなぜか、上官であるカタピューラ兵長と...俺には、特に目立った敵意を差し出してこない。なぜかバウロナ伍長に対しては普段の姿に変貌するが。

 「...落ち込む暇があったら、警戒配置に。雨が降り出してきている、第二班の状況も危うくなるだろう。」

 「...軍曹、第二班は現状厳しい環境に晒されているも同然です。残念ながらレインコートなどは少数しか持ち込めなかったので、夜間に入る頃には誰かが低体温症になってもおかしくありません。」

 窓には、既に大粒の雨が降り注いでいる。今頃、屋上はかなりひどいことになっているだろう。

 「わかった。屋上の警戒配置は交代制に、それ以外は交代に備え仮眠を。バウロナ伍長に伝達してくれ。」

 「了解、直接通達します。」

 謎に活気を取り戻したタラク一等兵が、意気揚々と走り出した。あの元気、我々にも分けてほしいものだ。

 「不思議だな、あの新兵。兵長の腰巾着か?」

 「...上官には敬意を払って話せとあれほど...それに、アイツは腰巾着でもなんでもない、未来溢れる若者だぞ?」

 、か。

 別の方面でも活躍できるはずだったのに、なんでこの道を選んだのかいまだにわからない。

 軍隊なんて、普通の民間人は入隊しないほうが断然いいに決まっているだろうに。

 「...軍曹、軍曹?」

 「...あ、ああ...すまない。気を取られていた。」

 「交代に備えて仮眠の時です。我々は、敵が来るのに備えていなければなりません。」

 その言葉を皮切りに、グラダ一等兵は「先に就寝します!」とだけ言い、銃を胸に抱えたまま目を瞑った。続いてヴェリブサ上等兵、しまいにはカタピューラ兵長も同じ姿勢・タイミングで仮眠を取り始めた。

 そんな姿に、俺はちょっぴり笑みをこぼしながら、彼らと同じく仮眠をとろうとした。

 ...そんな中でも振り続けていた、水滴の響く音が、敵の銃声に聞こえてならなかった。

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