第3話『不思議の子守歌』
ドアがひらく音がして、玄関へ向かうあなた。そこにはハズミの姿があった。
「む、急いだつもりだったんだが。君の帰りの方が先だったか」
やや悔し気の滲んだ声で言うハズミ。今日はめずらしく、あなたの帰宅の方が早かったのだ。
「まぁいい、立場が逆になるのはまだ先のことだと思っていたが……よし、言うぞ。オホン」
妙にかしこまり、咳払いをしてハズミは言う。
「ただいま」
あなたは苦笑しながらおかえりと返す。
「うん、うん。いいな、おかえりを言われるというのは」
ハズミは満足げに頷く。
「風呂も済ませたようだね。まぁ無理もない。〈第11号〉の粘液をモロに浴びたんだろう? ボクもあのヌルヌルには辟易したよ」
もはや現場にいたことをごまかしもしないハズミだったが、実際今回出現した〈第11号怪獣〉はヌルヌルとした粘液を大量に分泌する厄介な生物だった。あなたを含む防衛隊員はもちろん、〈巨人〉もその粘液を浴びて立っているのがやっとという有様だったのである。
「しかも可燃性があるときた。だから〈巨人〉も周囲を凍らせるしかなかったのだろうね。通常の攻撃では大規模な火災が起きていた可能性もある。君たちが素早く粘液を分析して警告してくれたおかげだ。………………と〈巨人〉も感謝しているに違いない。ボクの推測だがね。そんなことよりこれに着替えたまえ」
ハズミはいつもの白々しい弁解をすると、あなたに紙袋を差し出す。ガサリと胸元に押し付けられたそれには、服らしきものが入っていた。
「ボクはあっちで着替えてくるから、終わったら呼ぶように」
そう言って隣の部屋へ行くハズミ。人前で衣服を脱ぎ着するのは非常識だと、あなたがハズミにそう伝えたのを覚えていたのは良いのだが、袋から出てきた衣装にあなたは困惑する。だがハズミと議論する体力があるか自問した結果、大人しく着ることにした。
「終わったかな? ボクの着替えも済んだ。入るぞ」
返事を待たず、がらりと戸がひらく。そこにはいわゆる着ぐるみパジャマをきたハズミが立っていた。
「どうだ、いい服だろう。君もなかなか似合っているぞ」
満足げなハズミにあなたは問う。これは何かと。
「何って……もしや知らないのか? これはパジャマというもっぱら就寝時に着用される衣装だ。付け加えるなら〈着ぐるみパジャマ〉と呼ばれるタイプだな。デザインのモチーフを尋ねているなら君のがニワトリ。ボクのはカナリヤさ。どちらもいい声で鳴く鳥類で……」
あなたは溜息をつき、聞き方が悪かったといいながら質問を改めた。なぜ着ぐるみパジャマを着せたのかと。
「なるほど、パジャマを着せた理由の方を聞きたかったのか……はぁ、思ったより重症だな。そんなもの、睡眠をとらせるために決まっているだろう」
ハズミはため息をついて、呆れながら言う。偉そうな口調だが、着ぐるみパジャマのせいかどこか滑稽で不思議と腹は立たなかった。
「5時間21分……ここ七日間の、君の平均睡眠時間だ。職務上しかたないとはいえ、決して十分とは言えない。特に昨日の睡眠時間は3時間未満……地球人は皆それくらいしか寝ないものだと勘違いしていたボクの不勉強のせいでもあるが、今この時からでも改善すべきだ」
ハズミは珍しく、やや怒りをにじませた口調でそう告げる。
「説明は以上! ほら、はやく寝室に行くぞ」
ハズミはあなたの手を掴むと寝室へと押しやる。もこもことしたパジャマのせいか、あるいはハズミの指摘通り疲労が溜まっているのか、あなたは導かれるままにベッドへ押し込まれてしまった。
「ふむ、横に寝るには幅が足りないか……仕方ない。少しだけ詰めたまえ、枕元に座らせてもらう」
しばしの沈黙。
ハズミはおずおずと口を開く。
「……すまない。これは八つ当たりというやつだな。致命的なものではないとはいえ、君の健全な生命活動に差し障ることを見落としていた。そんな自分にいら立っていたようだ」
緩やかな眠気に誘われたせいか、あなたは珍しくしおらしいハズミを揶揄う気にもならなかった。むしろ心配をかけてしまったようだとフォローをするあなたに、ハズミは興味深そうに、しかしいつもより小さな声でつぶやいた。
「シンパイ……これがそうなのか」
またしばらく黙ってから、ハズミは再び口を開く。ばつの悪さ故か、人差し指が枕元のマットを打ちはじめた。
とん とん とん とん とん
微かな音が一定のリズムで繰り返される。
「今から話すのは君の返答を前提としない発言……ヒトリゴトというやつだ。聞き流して、眠ってくれていいからね」
そう前置きをして、ハズミはぽつりと語りはじめる。
「君たち防衛隊に所属する人間たちは、自らの命よりも怪獣の討伐や救助活動の遂行を優先する傾向が強い。その理由が知りたくて、彼らの経歴を調べたんだ」
ハズミの言うデータは機密情報なのだが、あなたは黙って話を聞き続ける。
「元から災害救助を務めにしていた者、軍事組織に所属していた者、そして最も共通していたパーソナリティは怪獣災害の被害者──特に27年前の〈第1号怪獣〉の被災者遺族という点だ」
ハズミの分析は正しい。あなたの同僚は出身こそ異なるが、怪獣災害で親しい人を亡くした遺族が多かった。
「…………だが、君を含めた何人かは違う。家族・親類・知人・友人に被災者がいないわけではないが、いずれも存命にも関わらず防衛隊に務めている者がいる」
とん とん とん とん とん
静かにマットを打ち続けながら、ハズミは不思議そうに言った。
「特に君の入隊のきっかけに至っては一層理解に苦しんだよ。アルバイト中に偶然〈第4号怪獣〉に遭遇。避難指示を無視したどころか防衛隊の装備を無断使用して職務妨害で拘束されている……一体どういうつもりだったんだ、君は」
あなたはぼんやりした頭でその日のことを思い出す。防衛隊の車両を勝手に動かし、武器まで使って、こっぴどく叱られたものだ。
「だが民間人救助のための行為だったことから不起訴。臨時入隊という形で便宜が図られた……という記録で終わっている……」
懸命に誰かを助けようする人たちがいて、その手がギリギリで届かない人がいた。あなたはその
「まさかとは思うんだが、それから今日まで成り行きで防衛隊員をやってるのかい? 睡眠時間まで削って?」
ハズミは何度目かの溜息をつく。あなたは何も答えない。
とん とん とん とん とん
「……寝てるのか無視してるのかわからないが、ヒトリゴトだからね。ここからの話は論理的裏付けもない憶測だ。理解しようとしなくていい」
「ボクが他の星で遭遇した生物にも似たような生体のものはいた。地球のハチやアリに近い……産まれた時点で同族の防衛や食料の調達などの任務をインプットされ、その務めに殉じる生き物。どちらかと言えばボクらもそちら側だ」
「だが君たちは違う。多くの選択肢とそれを許容する社会を持ちながら、望んで命を懸けている個体が現れるんだ。……分かっているよ、目の前で苦しむ者を放っておけない共感性と、目の届かないところで苦しむ誰かを憐れむ想像力。それが時に自己保存の本能を凌駕する…………度の過ぎたお人よしというやつなんだ、君は」
「ボクはそれがわからない。ボクが
ハズミは寂し気に、虚空へ問いかける。
「
とん とん とん とん とん
答える声はなく、ハズミの指が枕元を叩く微かな音だけがある。
ハズミは指を止めると、あなたの額を一撫でした。すでに寝入ったあなたの反応はない。
「眠ったか……カナリヤに扮しているのに、子守唄の一つも歌えずに悪いね」
ハズミがそっと枕もとを立つ。
「おやすみ」
小さな足音が遠のき、静かにドアが閉まった。
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