第5話

 夏が来ても、私と壱の関係は続いていた。


 壱が成長して少し話しが分かるようになると、自然と話題も様々な分野に広がった。

 映画の話し、音楽の話し、くだらない話しで笑ったり、時には難しい話しに発展することもあった。


 けれど、一緒に居てあげれる時間は減っていくばかり。私は高校3年生で、受験の為に最後の追い込みをしなければならなかったのだ。


 私は、教師になるのが夢だった。だから、教育学部を目指していた。

 地元の大学と東京の大学を受ける予定。

 第一志望の大学に受かれば、4年間は東京で過ごすことになる。


 夢が膨らむ。

 生活は充実し、あるのは希望ばかり。足の故障で陸上は断念したけれど、大好きな人と過ごして、そこそこ実現できそうな夢もあり、友達も多かった私は、本当の挫折というものを知らなかった。

 純白の中に佇む、無邪気な小娘だったのだ。

 何でも楽しくて、屈託なくはしゃぎ回っていた時代は、そろそろ終わりを告げようとしていた。


 夏祭りの日、私は川辺君に誘われて花火を見に行った。

 馬鹿な私は、その意味さえ知らず、浴衣なんか着てウキウキ出かけて行ったのだ。

 最近川辺君と会えなかったけれど、私の気持ちは変わっていない、だから、川辺君の気持ちなんて疑ってもいなかった。


 序盤は、楽しみながら花火を見た。大きな音に驚き、美しさにため息をつく。

 お喋りな私も、この時だけは黙って、水面を輝かせる日の饗宴に見ほれていた。

 ところが、花火も終盤になると、川辺君はいきなり耳を疑うような事を言った。


 静かな響き、うっとりとするほど、低くて魅力的な声で・・・・。


 「木下、別れないか」

 「えっ?」

 思わず、聞き返す。聞き取れなかった訳じゃない、聞いた言葉の意味が理解出来なかったのだ。

 聞き間違いであって欲しい、そういう気持ちもあったかもしれない。


 「別れよう」

 川辺君が、再びきっぱりと繰り返す。

 今度こそ、聞き違いではなかった。

 川辺君は、今日、別れるつもりで私を夏祭りに誘ったのだ。

 鈍感な私は、川辺君の心変わりに、全く気付いていなかった。

 今初めて、それに気付いた。


 彼の表情の憂い、言葉の端々に感じる重さ、躊躇いがちな態度。


 ・・・・・言葉が出ない。


 私は呆然と、川辺君の優しげな顔を見つめる事しか出来なかった。


 花火が、一際大きな花を咲かせる。けれど私には、もう花火を見る意味などない。川辺君と見ていたから特別であり、川辺君が横にいたから美しかったのだ。


 「別れるって…」

 考えてみると、私と川辺君は別れるうんぬんで言い争う程の仲でもなかった。

 付き合ってくれ。その言葉だけで、後は殆ど友達と変わりない。

 ただ、一緒に映画見たり、一緒に話したり、時々送ってもらったり。それでも私は有頂天になっていたが、川辺君にとってはそれほどの事ではなかったのかもしれない。


 彼氏彼女といいながら、キスさえした事はなかったし…。

 でも私は、それで良かった。川辺君と一緒にいるだけで、充分だった。


 「もう、二人だけで会うのはやめよう」

 その言葉で、我に返る。

 あのわくわくする時間、ドキドキする時間、全てが輝いて見えたあの楽しい時間を、川辺君は一瞬で終わらせようとしていた。

 そんな言葉なんて、聞きたくないのに…。


 「どうして…」

 思わず口から溢れる言葉。

 「どうして?何で急にそんな事を言うの!?」

 思わず川辺君に詰め寄る。

 川辺君は、茶髪をばさりとかき上げて、困ったような表情を作った。


 まるで、テレビドラマのふられ役みたいだ、と、何処かぼんやりした部分で思う。

 こんな風に、ライバルの少女が主人公の少年に詰め寄る場面があったっけ…。


 「悪い。俺、他の学校にも付き合ってる奴いてさ。お前、可愛いから、ちょっとぐらっときた。俺が好きだって噂で聞いて、本当だったって知って浮かれて、本当マジになりかけたけど、でも、やっぱあいつ裏切れねぇんだよ。中二から付き合ってた子なんだ。別れようかとも思ったんだけど、泣かれてさ。やっぱ、ダメだわ。全部、俺が悪かった。ごめんな」


 ・・・・・二股、かけられてたんだ。


 やだな、浮かれて馬鹿みたい。

 川辺君にとって、あたしって何だったんだろう?


 川辺君は、私に何時も優しかったけれど、その子にはもっと優しいんだろうか?私には指一本触れなかったけれど、その子とはキスもするんだろうか?


 私より、ずっと前から居た彼女…か。

 笑って、肩を寄せ合って、見つめあう。私ではない、誰かと…。


 胸が痛かった。

 なんだか訳が分からなくて、頭が真っ白になった。

 もっと色々文句を言いたいのに、こういう時に二股、かけられてたんだ。


 やだな、浮かれて馬鹿みたい。

 川辺君にとって、あたしって何だったんだろう?

 川辺君は、私に何時も優しかったけれど、その子にはもっと優しいんだろうか?私には指一本触れなかったけれど、その子とはキスもするんだろうか?

 私より、ずっと前から居た彼女・・・・か。

 笑って、肩を寄せ合って、見つめあう。私ではない、誰かと・・・・。


 胸が痛かった。


 もっと色々文句を言いたいのに、こういう時に限って何も思いつかない。

 ただ、川辺君から顔を背けただけだった。泣かないように、歯を食いしばりながら。


 今まで輝いていたものが、一瞬で崩壊してしまったような気分だった。

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年の差ぶんのプロローグ  綾子編 しょうりん @shyorin

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