映らなかった影 3話
ミヤコ地下街を後にした川島は、落ち着かない気持ちを抱えたまま東海新聞の本社に戻った。編集局のフロアは夕刊の締め切り前で騒然とし、記者たちが電話で取材先に詰め寄り、キーボードを叩く音がひっきりなしに響いていた。
生活部の席に戻ったものの、原稿にはまったく手がつかなかった。頭の中には、地下街の不自然な静けさと「昔、喫茶店があったあたりで人が倒れていた」という証言が渦巻いている。
気づけば川島は、社会部の机へと足を向けていた。そこで彼が声をかけたのは、三宅剛だった。
「……三宅さん、少しお時間いただけますか」
社会部の片隅で煙草の箱を弄んでいた三宅は、ちらりと視線を上げた。
「おやおや、生活部の坊やが社会部に何の用だ。まさか、催し物の記事にオチが思いつかんとか?」
「昨日の名駅の件です。ミヤコ地下街で人が倒れた……事故として片づけられてますけど、気になって」
「ははっ、真面目だなあ。三年目で事件に首突っ込むなんて、背伸びもいいとこだ。上から叱られるぞ」
三宅はからかうように笑ったが、川島が黙って視線を外さないのを見て、ふっと真顔に戻った。
「……で、お前はどう思っとるんだ」
川島は迷わず答えた。
「現場を見てきました。どうしても“ただの事故”には思えません」
しばらく沈黙が落ちた。三宅は机の引き出しを開け、古びたファイルを取り出して川島の前に置いた。
「ほらよ。警察担当から回ってきた非公式のメモだ。なくしたことにしとけ」
「……いいんですか?」
「俺はな、上の顔色ばっかり伺って記事を小さくするやり方が大嫌いなんだ。どうせ俺の意見なんて聞かれやしない。だが、お前みたいな馬鹿正直なやつが動くなら、ちょっとは面白くなるかもな」
三宅は皮肉っぽく笑った。だがその眼差しは、ほんの少しだけ温かかった。
川島はファイルを開いた。そこにはミヤコ地下街の通路図と、防犯カメラの設置位置を示す図面が挟まれていた。
「……カメラは二台ありますね」
三宅が口の端をゆがめた。
「ああ。だが、あの“昔喫茶店があったあたり”は映っとらん」
「どういうことですか?」
「通路が入り組んでるせいだ。曲がり角と壁の配置で、カメラからはちょうど死角になる。人通りが映ってても、問題の区画は影みたいに抜け落ちてるんだ」
川島は息を呑んだ。
「じゃあ……倒れた瞬間も、周囲の様子も」
「まるでなかったみたいに消えてる。映像には前後の人波だけが記録されとる。肝心なところは、すっぽり空白だ」
三宅は椅子に背を預け、指で机をトントンと叩いた。
「警察は“事故の可能性が高い”で処理した。映像に決定的な証拠が残らん以上、それ以上追う理由はない。……だが、俺は違うと思っとる」
複雑に入り組む通路。その構造そのものが、誰かにとって都合のいい隠れ蓑になっていた。
川島は図面と記録を交互に見比べた。映像の記録には、確かに被害者の姿が残っていた。
「……被害者は映っているんですね」
「ああ。ふらつきながら通路を歩く様子がはっきり残っとる。だがな――」
三宅は指で図面の一点を叩いた。
「倒れ込む直前も、その直後も、容疑者らしき影はどこにも映っていない。周囲を歩く人間は確認できるのに、被害者のすぐそばだけがごっそり抜け落ちとるんだ」
川島は眉をひそめた。
「そんな……偶然ですか?」
「偶然にしては都合が良すぎる。あの入り組んだ通路なら、カメラの視界から外れる位置を知っていれば、簡単に姿を消せる。……まるで誰かが“わざと”死角を選んだみたいにな」
川島は冷たい汗を覚えた。被害者の姿は記録されているのに、肝心の加害者の姿はどこにもない。それは、事件が“事故”として片づけられた理由であると同時に、確かな不自然さを示す証拠でもあった。
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