いい商売

見鳥望/greed green

「言われ慣れてるだろうしこんなおじさんに褒められても嬉しくないだろうけど、本当に綺麗だね」

「嬉しいですよ。綺麗だって褒められて嬉しくない女性はいないですから。こんな渋いおじ様に褒められたなら尚更です」

「はは、ほんとにキャバ嬢の方々は上手だね」


 神崎と名乗ったその男はくっとグラスを上品に傾けた。


「いいよね。この非現実的な空間」


 浮かべた笑顔は刻まれた皺を強調させたが、重ねた人生の重厚さと余裕を纏った気品も感じさせた。


「こういった所はよく来られるんですか?」

「たまにね」


 神崎の左手に指輪はなかった。それが結婚を隠しているのか、そもそも結婚していないのか、はたまた妻を亡くしたのかはまだ定かではない。


「正直あまりこういう世界が好みのタイプには見えないですけど」


 神崎は無口というわけではなかったがお喋りというわけでもなかった。静かに会話と酒と雰囲気を嗜んでいる様子だった。頼んでくれた酒は特上ではないがそれなりの値段だし、身に着けているスーツや腕時計は目立たないがよく見れば高級ブランドで固められている。仕事は本人曰く個人事業で細々とやっているとの事だったが、仕事の話は好みではなさそうだったので早々に切り上げた。


「僕は普段あまり自分から話をしないタイプなんだ。でもキャバ嬢の方達っていうのは本当にこのあたりお上手でね。心地良く話をさせてくれるんだ。まあ、たまに自分の事ばかり話す子もいるけどね」


 彼の言う通り自分から自発的に話をするタイプではないようだった。しかし仕事柄か生来のものか決してコミュニケーション下手というわけではなく、むしろ話し上手だった。聞いてもいない自慢話を垂れ流されるような不快な会話でも楽しそうに聞かなければならない仕事において、神崎との会話は仕事として非常に楽でありがたかった。


「せっかくですから神崎さんがお話したい事を話してくださいよ。ぜひ聞きたいです。何か話されたい事があるんでしょ?」


 半分本心だった。最初の数分の少しの会話だけでも、本来ここは彼の人生にとって必要のない場所のように感じられた。この紳士がわざわざキャバクラに足を運ぶ理由を知りたかった。


「君は本当にすごいね。何でもお見通しって感じかな。少し恐怖すら覚えるよ」


 言いながら微笑む彼の表情に恐怖を感じている様子はもちろん見られない。


「実はその恐怖というものに関連するものなんだけどね。特に場がなければ話す機会もないものだから」


 神崎はグラスを傾け喉を湿らせた。


「仮にその女性をMさんとしておくね。これはそのMさんから聞いた話なんだけど」


 そして神崎は語り始めた。







 キャバクラ嬢として勤めていたMさんの同僚にYという女の子がいた。飛びっきりの美人でも美女でもなかったが、彼女には誰にも負けない愛嬌があった。そんな彼女の愛嬌の虜になる客は多かった。

 彼女に羨望や嫉妬を抱きくだらない陰口を叩く者もいたが、彼女の嫌味のない真っすぐな性格を知っていたMさんは、公私共にYさんと仲良くしていた。


 ある日そんなYさんが死んだ。突然の事でMさんもかなりのショックを受けつつ葬儀に参加した。死因はショック死という事しか分からず詳細や原因は不明だった。しかし遺影の中のYさんの笑顔を見た時、Mさんはある事を思い出しぞっとした。


『自分じゃない誰かが私を見て笑ってるの』


 亡くなる数週間前、MさんはYさんから妙な話を聞かされていた。ある日を境に鏡に映る自分の顔が消えた。代わりに違う女性の顔がこちらを見て笑うようになったという。

 Mさんは気持ちの悪い話はやめてと冗談っぽく流そうとしたが、ごめんねと笑うYさんの笑顔は引き攣っていた。


 遺影の笑顔を見た時、Mさんの脳裏に生前のYさんのあの時の引き攣った笑顔が浮かんだ。どうにもならない恐怖をなんとか噛み砕いて飲み込もうとするような苦悶の笑顔。そして彼女が遺した言葉を思い出した。


『あの人が言ってた話と同じなの』


 独り言のように呟いた一言。あの人が誰なのかは聞いても教えてくれなかった。思い出すのも嫌だったのだろうか。代わりに言われたのは、『早く店を辞めた方が良い』という事だけだった。


 





「こういう話は苦手だったかな?」


 言いながら神崎の顔は満足げなものだった。

 

「これがお話されたかった事ですか?」

「そうだよ」


 神崎の話はいわゆる怪談の類だった。確かに特に場がなければ話す機会もない話だ。キャバ嬢の話だからこそキャバクラで話す事に意味があるという事なのだろうか。シンプルで雑味のない語り口は妙に引き込むものがあったが、何より話の内容が自分と同じキャバ嬢の話だった事に些か不快感を覚えた。


「そんな嫌な顔しないでよ。これも仕事でしょ?」


 神崎は話し終えるとグラスに残った酒を全て流し込んだ。表情に出したつもりはなかったので少し動揺した。


「いい商売だよね」

「はい?」

「客と話して酒を飲めばいいだけなんだから。まあ呆れた事にそれすら出来ない奴もいるんだけどね。そんな事も出来ないなら生きてる価値ないよね」


 柔和な笑顔は変わらない。だが神崎の言葉に明らかな棘が混ざり始めた。

 私達夜の嬢に対しての不快感や嫌悪感。差別軽蔑が織り交ぜられた言葉。これがこの男の本性だったのか。


「でも君はまだ頭が良さそうだね。どうして私がこんな話をしたかなんとなく分かってるんじゃないかな」


 神崎は完全に私達の存在を見下していた。だからわざわざこんな嫌な話を金を出してまで披露してきたのか。なんとなく意図は見えた。だが全ては分からない。中途半端な回答は求めていないだろう。

 いや、そもそもそんなものすら求めていないのか。

 話をすること自体に意味があった。聞かせること自体に意味があった。そう考えた時、彼が話した怪談を思い返すといくつかの違和感があった。


 Mさんというキャストの主観で語られた話。

 話の締めくくりは死んだYさんから店を辞めた方が良いと言われた所で終わっており、その後彼女がどうなったかは語られていない。語り手の存在がぶつりとそこで途絶えている。


 それと一番気になる”あの人”という存在。

 話の中では詳細不明となっているが、二人の仲と流れを考えればYさんがその存在を明かさないのはかなり違和感がある。しかもその点を明言していないわりに店は辞めるように促している。つまりは店に関係がある人物、自分達以外のキャストや店側の人間、はたまた客のどちらかに絞られる。

 どちらだとしても明言をわざわざ避ける必要がない。怪談として成立させる為だけに省かれたような作為をそこに感じた。


 ーー作り話?


 わざわざそんなものを金を払ってまで?

 この男は何がしたいんだ。意味が分からない。


 いや、嘘だ。

 自分は分かっている。認めたくないだけだ。

 この話は作り話なんかじゃない。実話だ。


「今日はあの子来てないみたいだね。何て言ったかな。確か……」


 神崎があるキャストの名前を口にした。

 Yから始まる名前。彼女は先日から音信不通となり行方が分からなくなっていた。


「彼女もね、話を聞くのが上手い子だったよ。君ほど賢くはなさそうだったね。へぇー怖いですねなんて呑気に笑ってたよ」


 お会計お願いと神崎が口にした。


「ちゃんと聞いてくれたね。僕の話」


 もう用事は済んだとばかりに神崎から笑顔は消えていた。


「ほんといい商売だよ」


 嘲るような一言を残して神崎は店を去っていった。

 何故あんな怪談を私達に聞かせたのか。よほどの恨みなのか、はたまた無差別的な娯楽なのか。

 ともかく私はもう話を聞いてしまった。

 鏡に映る誰かの笑顔が見えない事をただ祈るしかなかった。

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