第27話
長い付き合いだったが、エイベルはエリザベスが泣くところを見たことがなかった。しゃくり上げているエリザベスにどうしたらいいかわからず、ほとほと困った顔を見せながらも、エリザベスを捕らえた腕を緩めようとはしなかった。
ずっと前からエリザベスのことになると心の奥がざわめいた。風変わりな令嬢に対する好奇心だと思っていたが、その想いが何だったのか、エイベルはようやく気がついた。
「…リズ、もう婚約者じゃないのはわかってる。だけど、…せめて、学校を卒業するまででいい。俺の手の届かないところに行かないでくれ」
学校を卒業するまで残り一年とちょっと、名残惜しい気持ちはあった。エリザベスが心を揺らすところをよく知っていて、鋭く突いてくる。
「俺の護衛はやめていい。父や公爵に背負わされた俺の世話係は降りてかまわない。それでも、…俺は、おまえを手放したくない」
王が気を回してそばに置いただけで、エイベル自身がエリザベスを必要としたことはなかった。婚約だって王と公爵が決めたことで、婚約者に決まったと聞いた翌日もエイベルは顔色一つ変えなかった。自分になど興味なかったはず。それなのに突然の方針転換。
「何度断られても文句は言わない。不敬もない。約束する。だから何度でも言わせてくれ。…そばにいてほしい」
振られる前提で口説かれている。エリザベスだって受け入れる気はない。
エリザベスにしてもエイベルに対して護衛対象以上の想いはないはずだった。ロザリーの名を呼ばれて取り乱したのは、必要とされているのが自分ではないと思い知らされたからだ。
だけどそれは、本当は必要とされたかったのかもしれない。
「おまえが俺の護衛になってから、そばにいるのが当たり前だった。これからは当たり前じゃなくなるけれど、…きっと当たり前を取り戻す」
エリザベスはエイベルの胸を押して距離を取った。
「そんなの、無理」
エイベルは離れそうになったエリザベスの腕をつかんだ。
「取り戻す。そう決めている」
今回の幽閉で失った数々の当たり前。普段使う食器も、食事も、汚れれば着替えが出されることも、身に着ける小さな物さえ当たり前だと思っていたことが突然消えてしまうことがある。それがどれだけ恐ろしいことか、エイベルは身をもって知った。
北の塔を出るとあっさりと当たり前が戻ってきた。それなのにその中で唯一取り戻せないエリザベス。しかしまだ手の届くところにいる。失ってはいない。
「約束、できない。…誰かと結婚させられそうになったら、今度は誰にも言わずに逃げるから」
本当は今すぐにでも逃げたい。この手が離れたら馬小屋に行き、身一つで馬を走らせるだけ。そうすれば公爵家とも縁が切れる。
「俺が公爵を説得する。すぐに次の縁談を持ってこないように頼む」
エリザベスの心の内に気付いたように、引き寄せる力が強まった。
「護衛もやめたから、もう守ってあげない」
「今度は俺がリズを守る」
守ってもらうほど弱くない。そう思うのにその言葉に胸の奥がキュッと締め付けられた。
「王妃教育だって受けないんだから」
「わかってる」
「お城にだって行かないし」
「…それは、みんなが寂しがるな」
意地を張ってそう言ってみたが、寂しいのはエリザベスも一緒だ。だからつい
「…じゃ、お城は、時々なら行ってもいい」
と言ってしまった。護衛をやめた今となっては、呼び出しでもなければ行けるような場所ではないのに。
その気になればエリザベスを言いくるめるのは簡単なのかもしれない。しかしエイベルはエリザベスの想いが育つのを待つことにした。
嘘はつかない。だましはしない。だけど少し強引に。時には遠慮なく。
珍獣を手に入れようというのだ。慎重に飼い慣らさなくては。
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