第16話

 二年生になるとエイベルの弟ブライアンも学校に通うようになり、その頃には周りも王子が学校にいることに慣れたのか、アイドルさながらの極端な特別扱いはなくなっていた。そのうち牽制役は必要なくなるだろうと思っていたのだが、さらに半年が過ぎた頃、公爵から

「おまえがエイベル殿下の婚約者に決まった」

とさらりと言われた。

 夕食の話題の一つに告げられたせいで、はじめは聞き逃していたが、思考が追いついた途端、

「んなばかな!」

と両手を机について立ち上がり、公爵への返事としてはいただけない言葉を発してしまった。


 どうやら学校生活を通して王子とエリザベスの関係に割り込む隙がないと思った他の候補者達が見切りをつけ、他に良縁を求めて一人、また一人と辞退していき、エリザベスを残し婚約者候補がいなくなってしまったようだ。


「いや、それは私は仕事上辞退できないだけで、ほんとはとっとと婚約者候補なんて辞退したいし、できるなら今からでも…」

 困った事態にあたふたしているエリザベスのことなどおかまいなしに、公爵はこう言い切った。

「王家と公爵家で既に婚約は取り交わされている。以後、そのつもりで」


 今度は婚約者か…。

 エリザベスは自分が嵌められたことにも気がつかず、一時つなぎの婚約者役をいつまで続けなければいけないのかと眉間にしわを寄せ、早く本物の婚約者が現れることを願った。



 翌週から学校に加えて王城で王妃教育を受けるようになった。

 公爵家ファミリーの中では劣等生と扱われていた時期はあったが、世間レベルでは決して出来は悪くない。パトリシアから学んだことは王妃教育そのものであり、あのパトリシアという理想像を常に間近に見てきたエリザベスは飲み込みも早く、王子の婚約者の仮面を被ることは問題なさそうだった。…油断さえしなければ。


 婚約者候補から婚約者に変わったところで、エイベルとエリザベスの関係はそっちに向いては一向に進展しなかった。

 これまで通り昼休みには護衛としてそばにつき、誰も突撃して来ない平和な日にはエリザベス自らお茶を用意する。話題振りに講義のわからないところを愚痴れば気安く教えてくれ、教科によっては成績を競い合い、一緒にテスト対策をし、課題に政策模擬レポートが出ればがっつり討論して傑作を書き上げ、気がつけば学友としての友愛度は上がり、周囲に人がいない時には敬語を使わずに話すことも増えていた。

 気軽にリズと呼ばれた愛称は、かつて父に呼ばれていたリジーに似ていて、少しこそばゆい思いがした。



 婚約者との関係に「仲良し」という言葉しか思い浮かばないほど恋愛に疎いエリザベスの前に現れたのが、国の南部にあるバーギン領で数々の奇蹟を起こす「聖女」ロザリーだった。

 エイベルとエリザベスが三年生になった時、ロザリーは一つ下の学年に転入してきた。

 ロザリーは聖女になってからバーギン子爵の養子として迎えられた元平民だ。就学前に礼儀作法を学んでいるはずなのだがとても身についているとは言い難く、無邪気を超えた奔放さが令嬢たちの悪評につながっていた。

 聖女と縁を持ちたい貴族家の令息たちがロザリーを甘やかし、アプローチをかけていたが、ロザリーが狙いをつけたのは同学年のエイベルの弟ブライアン王子だった。

 ロザリーは何かと理由をつけてはブライアンに接触し、はじめはロザリーを避けていたブライアンがある日を境に突然ロザリーに心を寄せるようになった。その急変ぶりに違和感を覚えたエリザベスは、ブライアンの婚約者であるキャサリンと両王子の護衛にただの恋心と思わず注意するよう伝えた。


 裏で何か動きがあったのだろう。やがてブライアンはロザリーへの関心をなくした。

 しかしその反動だろうか、ブライアンとキャサリンとの仲は劇的な変化を見せた。

 それまで二人は政略上の婚約者として熱くもならず、冷め切らず、穏やかな関係を保っていたのだが、ブライアンはキャサリンへの愛情を隠すことなく、時には妄信的にキャサリンに尽くし、四六時中キャサリンのそばにいたがるようになった。キャサリンに近づく者への嫉妬もひどく、端から見ても異様と思えるほどで、キャサリンも嬉しいと言うより戸惑っているように見えた。

 キャサリンはブライアンにも周囲にも気遣って心をすり減らし、笑顔を失い、徐々に成績も振るわなくなっていった。


 思われたら思われたでうまくいかないものなのか。

 エリザベスはブライアンとキャサリンを見ているうちに、恋心の怖さを感じるようになった。それがやがて人ごとではなくなった。

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