第9話 友に向かうトロッコ

 俺は一つの可能性を考えて鑑識にとある「仕事」を頼んだ。


 待っている間に俺は被害者の遺族に会っていた。


「光君が娘を殺したって言うのは本当ですか?」


 光君?この子に名前はなかったはずだが……。


「あぁ、すみません。光と言うのは風花が勝手につけた名前でしたね」

「そこまでその……光君と風花さまは仲が良かったのでしょうか?」

「毎日のように電話で風花から光君の話を聞いていましたよ」

「なるほど……」

「風花が光君に殺されるなんて到底信じられません」



 そういう遺族の声は怒りでも悲しみでもなく、諦めのように感じた。


 後で知った話だが、遺族は風花さまを殺したのは天皇の命令で、光君は罪を着せられただけと思っていたらしい。


 真実に当たらずとも遠からずである。


 俺は遺族との面会を終えると、鑑識から送られてきたスマホのメッセージを読む。


 ”少年が高橋巡査長から奪い取ったとされる拳銃に、少年の指紋は発見されませんでした”


 俺は警察署に戻る前にまた少年と会った。怯えた表情だった。一応思い出したことがないかもう一度質問する。


「お前は警察が来る前、つまり風花さまが来る前の時、何をしていた?」

「分かりません」

「お前はなぜ風花さまの殺害をしたんだ?」

「分かりません」


 予想通りだ。俺は最後にもう一つ質問をする。


「本当にお前は犯人なのか?」

「分かりません」


 俺は大きなため息をついて部屋を出た。否定してほしかった。そうでなければ勇気がでない。俺が間違っていたら、友人を一人失うだけかもしれない。


 俺は友人を否定しなければならない。警察官として。


 俺は決意をして高橋の部屋に入った。




 俺は汗ばむ手でドアノブをつかみ、ゆっくり回す。冷や汗が背筋を伝う。ドアを開ける音がいつもよりも大きく聞こえた。


 高橋はいつもの笑顔で俺のことを受け入れる。でもその笑顔はぎこちない。風花さま殺人事件に関わってからずっとそうだ。



 いつもの笑顔と違うことは分かっていた。疲れだと思っていた。


「なぁ。なんで昨日嘘ついたんだ?」

「嘘って?」


 高橋は目を合わせない。


「昨日君は『精神科に連れられたけど、異常は見つからなかった』って言ったよな。でも過去の資料には”加害者と思われる少年は精神科へ連れていかれ、重大な精神疾患が見つかった。そのため今は少年院で治療を受けている。”と書かれている」


 高橋は押し黙る。 俺はもう一度言う。


「なぁ。なんで昨日嘘をついたんだ?」

「一度間違ったこと言っただけで嘘つき呼ばわりはひどくない? 記憶違いだっただけさ。謝るよ」

「少年が君の銃を奪って風花さまを殺害したということも、君の口から聞いていない」

「なぜ自分の失態を晒さなきゃならない!」

「お前の恥やプライドなんてどうでもいいんだよ!」


 ついヒートアップして大きな声が出る。


「人が死んでいるんだぞ。お前が身勝手をしていい状況じゃないんだ!」


 高橋はまた、唇を噛んで押し黙る。


「前はお前こんなんじゃなかった……。違うんだろ? お前はもうただの警察じゃない。本来は追われる立場なんだろ?」


 高橋は目を見開く。


「……何が言いたい?」

「風花さまを殺した犯人は……お前だ、高橋」

「何を根拠に?」


「お前が少年に奪われていたという銃に少年の指紋は見つからなかったんだよ。高橋」

「……」

「あの状況で指紋をつけずに銃に触るなんて不可能だし、無意味だ」

「……」

「佐々木警部補が到着する前に銃を少年の近くに投げたんだろ?」

「……」

「それ以外ありえないんだよ……」

「……」

「何か言えよ! 高橋!」



 高橋はゆっくりと顔を下ろし、冷たい声で言う。


「お前は俺を犯人に仕立て上げるのか?」


 俺は予想していなかった一言に言葉が詰まる。


「は? 実際やったのはお前だろ」

「現行犯で今、ほぼ百パーセント少年だという考えが広まっている。お前があえてそれを覆すのなら仕立て上げたのと同義だ」

「仕立て上げたのはお前の方だろ!」

「……そうするしかなかったんだよ……。黒川」


 高橋が顔を上げると、涙でぐちゃぐちゃだった。


「俺だって風花さまを撃つつもりはなかった。少年を撃とうとしたら庇ったんだよ……!」


 俺は茫然と見るしかなかった。もちろん覚悟はしていた。でもどこかで高橋なら否定してくれるだろうと高を括っていた自分がいた。冗談交じりで「俺なわけないだろ。そんなに俺に信用ない?」って言ってくる高橋しか想像できていなかったのだ。実際に高橋が人を殺したなんて信じられなかった。




「なぁ。おれはどうしたらいい? 黒川。天皇の血筋を殺したってバレたらただじゃすまない。牢屋に入れられ、ランキングは底辺。家族のランキングもお陀仏だ」


 そう言うと高橋は狂ったように笑いだす。俺は背筋が凍った。口がうまいように回らない。


「なぁ? どうしたらいい? 黒川」

「……」

「お前はいいよな。すぐに出世できて巡査部長だ。もうそろそろ警部補になれるんじゃないか? 俺はずっと巡査長どまりだ」

「……」

「俺には事件を隠ぺいするほどの権限はない」

「……」

「俺はお前に頼むことしかできないんだ」

「……」

「なぁ!」


 そう言って高橋は僕の肩を掴む。


「黒川。お前は俺の味方なのか?」


 俺の目には涙が溜まっていた。一生懸命に歯を食いしばる。心の中でうごめく、あらゆる激情を抑え込み、冷たい声を装いながらつぶやく。


「俺はお前の味方でありたい。でもそれ以上に警察だ。お前がどんなにつらくても、どんなに悪意がなくても、その罪を何の責任もない少年に押し付けることはできない」


 高橋は予想外だったのか、さっきまでとは裏腹に怒り狂った様子で言う。


「何の責任もない? 警察を何人も殴っているんだぞ?」

「お前の事件とは関係ない」

「いや、あるね。少年が暴れたせいで俺は撃たざるを得なくなったんだ」

「こじつけだ」

「少なくとも、あの少年を野放しにしたらまた同じようにやるだろう」


 まるで自分はやらないと言っているかのようだ。


「それにあいつには家族はいない……」


 あぁ。自分の中の倫理の天秤が狂っていくのを感じる。 もう我慢の限界だった。


「俺を救えるのは、お前だけなんだ」





 次の日、俺は鑑識を訪ねる。


「ごめん。前渡した拳銃は別の物だった。これだった」


 鑑識に拳銃を渡す。それは前日に高橋と一緒に偽装した、少年の指紋付きの拳銃だ。




 鑑識から得られた証拠を佐々木警部補に渡して言う。


「やはり少年が犯人の可能性が高そうです」

「まぁ、そうだろうな」

「……少年の処遇はどうなるでしょうか?」

「あいつは容疑を認めていないんだろ? 間違いなくランキングは底辺。ボーダーになってもおかしくない。未成年だから少年院行きだろ」


 高橋だったらどうなっていただろうと思うとゾッとする。


「黒川、もう現場での検証は済んだからこの事件についてはあとはこっちでやる。ご苦労だった。しばらく休暇があるだろうからゆっくり休め」

「ありがとうございました」


 俺は罪悪感を残したまま、この部署をあとにした。背中にずっと誰かの視線を感じた。それが高橋のものなのか、風花さまのものなのか、今でも分からない。







 僕はなぜか黒川と名乗る警官に対して憎しみを抱かなかった。僕に罪を擦り付けた張本人なのに……。


「俺は本当に君に申し訳ないことをしたと思っている。だからこそ本当のことを言ってくれ。」

「なぜでしょうか?」

「もう偽装なんてしたくない。事実を広めることは最低限の正義だと思う」


 その警察はとても真摯な目をしていた。だからこそ、友を守ろうとしたのだろうか?



「一つだけ聞いていいですか?」

「なんだ?」

「高橋さんは今、どこで何をしていますか?」

「分からない。その事件の後、高橋とは疎遠になってしまった……」


 黒川さんは顔をくしゃっとゆがませた。


「友をなくさないように偽装したのに、結局離れて行ってしまった。俺は何をしたかったのだろうか……」

「僕が少年院に入っていなかったら真っ先に高橋さんを殺しに行っていましたよ。だからあなたの判断は間違っていないです」

「皮肉かい?」



 梨央に教わったトロッコ問題を思い出す。この人は将来犯罪する可能性のある僕よりも自分の友とその家族を選んだのだ。合理的だと思っているのは本心だった。




「黒川さん、僕は風花さま殺人事件の蒸し返すことも、真実の公表も、この事件の真相開示も願うところではありません」


「……また俺に偽装を依頼するのかい?」


「そうなるかもしれない。……僕はただ、やり直したいのです」

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