第2話 記憶喪失と違和感

 《梨央》

 それからどうしたら少年の記憶を取り戻せるかの試行錯誤が始まった。


 最初に思い付いたのは記憶力をあげる食べ物を食べたらいいのではないかということ。ほうれん草やチョコレートを気持ち悪くなるくらい食わせた。


 効果なし。言われてみれば当たり前だ。記憶力をあげるというのはこれからのことを記憶しやすくするだけであって、今までのことを思い出しやすくすることじゃない。そう少年に指摘されて全てが崩れ落ちた。


 じゃどうすればいいのか。とりあえず少年に覚えていることを話させようとした。


「アルビノだから人生苦労したんじゃないの?」

「ん~。でもアルビノに対してそんなに悪いイメージはないかも」

「なんで?」

「わかんない」


「両親とかは?」

「親? いなかったと思う」

「いないなんてことあるの?」

 少年は顔を伏せて言った。

「印象とかも全く浮かばないし、顔も思い出せないというより始めからなかった感じ」


 ……もしかして幼いころに無くしているのだろうか。少し気まずい雰囲気が流れる。


「じゃ学生時代はどんな印象? 嫌な感じ? いい感じ?」

「学生時代って小学生のこと? いいことも嫌なこともあった感じ?」


 心の中で質問の答えになっていないと言いながらもやもやした気持ちだった。彼の学生時代はいいこともあったのだ。私は……。なかった。


 大きな効果は見られない。このままずっと続けても無駄だと感じた。


 何かの糸口になるかもしれないと思って、自分の苦い記憶を話すことにした。





 これから私の学生時代の思い出について話すけど、途中で口をはさんだりはやめて欲しいな。


 私がしてきたことは愚かで不格好でつまらないかもしれない。それでも軽蔑せずに聞いてほしい。


 自慢じゃないけど私は結構優等生だったんだよ。中学校で一位とか二位とか取ってはみなに自慢していた。みなすごいって言ってくれた。ランキングも高かったのだ。


 中学校二年生までは。


 でも中学校三年生になって変わっちゃったんだ。


 なんでって?


 私のお母さんが……認知症になってしまったんだよ。


 お父さんは幼いころに事故で亡くなっていた。だからここまでお母さんが一人で育ててくれたんだよ。そんなお母さんを見捨てることはできなかった。


 毎日介護を頑張った。弟もいたから、その世話もした。たった一人で。


 その時はじめてお母さんのつらさを知ったなぁ。


 でもお母さんの「仕事と家事の両立」みたいに「勉強と家事の両立」はできなかった。


 介護や家事の合間を縫って勉強した。でも、無慈悲にもテストの点数はどんどん下がっていった。


 介護で夜も眠れなくて、授業中に寝た。余計にわからなくなった。焦って勉強しても介護の時間は減らない。弟やお母さんに強く当たるようになってしまった。


 テストの順位は今まで一桁しかとったことなかったのに、十位、二十位、三十位と下がっていった。友達からも勉強について聞かれなくなった。


 誰にも相談できなかった。


 そしてなにより一番苦しかったのはランキングも下がっていったことだ。


 今となってはお母さんが認知症になったことがランキング低下の一番の原因だったと思うが、当時はテストの点数が下がったからだと思った。


 家からも学校からも日本からも認められなくなった私に何が残っただろう。


 絶望と憎しみと悲しみ。自暴自棄になっていた。


 そんな時ある人が転校してきた。風花さまだ。


 風花さまは天皇家一族の出身だ。


 最初のイメージはとても穏やかな笑顔だった。天皇家というだけでランキングはとても高かった。その笑顔はまるでランキングに不安を少しも感じていない余裕の笑みのように見えた。


 それが気に食わなかった。


 私たちは風花さまを虐めた。


 風花さまは病弱で、天皇家の中ではランキングが低かったからボディガードはついていなかった。


 余計に徹底的に虐めた。先生にバレないように。


 机に悪口を書いて、トイレに呼んでみんなで罵声を浴びせた。つまずいたふりをして頭から給食をぶちまけて、靴を隠してやった。


 私たちはバカだったんだ。いじめるくらいならその時間勉強すればよかったのに、何の解決にもならないことをした。


 それにランキングへの絶大な影響を考えていなかった。


 風花さまは体調不良になり、精神的な疾患が見つかった。学校で何かあったんじゃないかということで調査が始まった。


 隠し通せるわけがなかった。さらにみんなが私を主犯格に仕立て上げた。さも自分たちは命令されただけで悪気はありませんでしたみたいな振る舞いをした。


 裏切られた。


 結果、ランキング上位者を虐めて精神疾患まで追い詰めた私のランキングはどん底まで下がり、少年院に入れられた。


 これが私の愚かで間抜けでつまらない過去だよ。何か思い出せた?






《少年》

 僕は開いた口が塞がらなかった。恐怖。それが一番だった。確かにヤングケアラーで感情が爆発して、いじめてしまったことはわからなくもない。でも……。


「梨央はいじめを反省しているの?」

「鋭いね。確かにいじめをしないほうがよかったと思っているけど、君のききたいことは違うでしょ?」

「いじめを……悪かったと思っている?」

「私は今でもランキングに苦しまずのうのうと生きている天皇家を心の底から嫌っているからイエスとは言えないかな。」

 なんだろう。さっきまで恐怖が優勢だったのにイライラしてきた。こういうやつは反省しない。言葉だけ言ってもその場限りだ。命が果てるまで永遠に過ち続ける。


 ……あれ? 俺は何に怒っていたんだ? 僕は一瞬自分が怖くなった。





 しばらく梨央とは気まずい会話が続いた。


「好きな食べ物何?」

「カレーかな。お母さんがよく作ってくれてたんだ」


 でも同時に梨央のことをもっと理解できた気がした。物知りでなんでも僕に分かりやすく教えてくれていたのは莉央が優等生でそうゆうことに慣れていたからだ。


 一方で梨央の最後の言葉が何度も頭をよぎる。


「今でもランキングに苦しまずのうのうと生きている天皇を心の底から嫌っている」


 この言葉には心の底から拒絶していた。なんでかは分からなかった。





 数日間、同じように会話を続けたが、進展なし。記憶が戻る気配がなかった。そして遂に梨央が最終手段を使おうと言い出した。


「少年院の資料室に潜入しよう。そこには院生の過去や犯罪歴が書かれた資料が置かれている。それを盗み出すんだ」

「どうやって?」

「作戦がある」


 次の日、僕はいつものように単純作業をしていた。


 今は九時二十分。予定の時間まであと五分だ。梨央によると、九時半に人員の交代が起こるらしい。


 九時二十五分。僕は単純作業をやめて看守に向かって歩き出す。


「ちょっとトイレ行きたくて」

「チッ。後ちょっとで交代なのに……。ほら行くぞ」


そう言って振り向く看守は隙だらけだった。後ろから首を絞めた。


「こんなことをして……。ただじゃ済まない……ぞ」

「分かったから少し眠っていて」


 看守は失神した。他の院生は見て見ぬふりをしている。看守をロッカーに入れて、服を脱がせ、看守に変装して何もなかったかのように交代を待つ。


「ほら交代だ」


 そしてその看守と入れ替わるようにして僕はその場を去る。ここを出る前に……。


「そこの君、ちょっと来てくれるかな」


 梨央を呼び出して抜け出すことに成功した。


「大丈夫? うまく入れ替われた?」

「多分。入れ替わった奴はロッカーに入れといた」

「それじゃ、そいつが目を覚ますのがタイムリミットって感じか」


 梨央は作業服のままだ。看守に見つかったらまずい。


「足跡が聞こえる!」

「あそこの部屋に隠れよう」

 急いでその部屋に入る。足音はだんだん近づいてくる。


「どこだったけな? ここの部屋か?」

「手当たり次第に探しますか」


 声の主は扉を開ける。二人だ。僕たちは扉の裏に隠れた。


「さて、探すか……。」


 キーっと扉が鳴る音が響く。僕は振り向いた二人組を順番に顎を殴る。鈍い音がして倒れた。


「死んだ……の?」

「失神しただけだ。脳震盪。さ、おまえの分の服も見つかった」


 僕は看守の服を指差して言った。







 《梨央》

 手慣れてる……。手慣れすぎている。体術が異常なまでにうまい。多分人をこうやって気絶させるのは初めてじゃない。


 多分ここまでするってことは記憶喪失は本当。でも怖すぎる。一対一じゃ絶対に勝てない。


 そもそもボーダーまでランキングが下がったってことは人の一人や二人、またはそれ以上殺していても不思議じゃない。


 本当に記憶を戻して大丈夫なのだろうか。


 何かの事故やショックで記憶を失ったと思っていたけど、違う可能性もないだろうか。例えば少年院側が思い出すと危険な記憶をわざと消したとか。SFの見すぎかな?


 今更引き返せない。少年を信じて進む以外に道はないのだ。そう言い聞かせながら少年に渡された服を着る。


「こっちみないで。着替えるから」

「上から着ればいいじゃん」

「暑いじゃん」


 少しドキドキしながら着替え終わって少年をのぞき込むと少し赤面していた。普通の男の子なのだなと思う。


 廊下に出る。


「ほら顔赤くしていないで行くよ」

「顔赤くなんてしてないし。それより資料室ってどこ?」

「地下二階」

「ここは?」

「地上一階」

「じゃ、下行けばいいのか。ていうかなんで知ってるの?」

「目の前に地図あるじゃん」


 今度は目をそらした。戦闘の時は頼りになるのになんでこういう時はダメなんだろう。そう思うと少し笑ってしまった。


「笑うな」

「じゃ、行こ。記憶を取り戻しに」

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