また、会えるから
間川 レイ
第1話
1.
2026年1月、世界は今まさに滅びんとしていた。それは天変地異や巨大隕石の衝突というものによるものではない。ある一つの、凶悪なウイルスによって、人類は今まさに滅びんとしていたのだ。
といっても、このウイルスは最初からそれほどまでに凶悪な致死性を持っていたわけではない。当初の頃は、あくまで感染力は比較的高いものの、症状は重い風邪といった程度で高齢者などにとっては危険でも、一般市民にとってはそれほど危険な存在ではないと思われていたのだ。各国政府もそのような認識だった。だからかもしれない。各国政府も国境の閉鎖などの強硬手段をとるのを渋っていたのは。
だがその代償は重くついた。気づいたころには世界中にそのウイルスは蔓延し、アッと思った頃には少なからずの人間がそのウイルスによって倒れていた。何とかしようと政府が対策に乗り出すも感染者は爆発的に増えていくばかり。各国政府はどうしても後手に回らざるをえなかった。それは本邦も例外ではなかった。連日のように多くの患者が倒れていった。
それでも政府は懸命に努力した。患者の隔離、これ以上の感染者を出さないための様々な封じ込め政策。その中には国民に著しい負担を強いるものもあった、妥当性に思わず眉を顰めざるを得ないものもあった。それでも国民は政府を信じ、その指導に従った。
だがダメだった。連日犠牲者は増えるばかり。ワクチンを作ろうにもすぐさま耐性型のウイルスに変異し、ワクチンによるウイルスの撲滅という人類の抵抗をあざ笑うかのようだった。さらにウイルスは連日のように変異し、その度により凶悪で、より感染力の強いものへと進化していった。
それでも政府はあきらめなかった。何とかして封じ込めるために、さらにさまざまな規制が出された。規制はもはやろくに妥当性があるかの審議もなされずに乱発された。朝に出された規制がその日の午後には撤回される、そんなことすら起こるようになった。政府は徐々に正気を失いつつあった。乱発される規制、国民の不満は日に日に増えていった。
それでも国民は耐えた。いつかこんな暗黒な日々も終わると信じて。耐えて耐えて耐えて、耐えた。だが政府がいよいよ私権の制限に乗り出したとき、国民の不満は爆発した。各地で起こる暴動。反政府デモ。これに対する政府の対応は苛烈を極めた。機動隊を出し、それでも抑えきれぬとなれば国軍を出した。国軍によって国民に向け無数の弾丸が撃ち込まれた。多くの血と怨嗟が流れた。それでも止まらぬ暴動。そしてついには一部の心ある部隊が国民への実弾射撃を拒否し、かつての友軍に武器を向けた。其れはもはや内戦だった。さらに多くの血が流れた。そうする間にもウイルスはさらに致死率を高めていく。研究もろくに行われぬようになり、もはや感染対策もろくに行われない。そんな光景が全世界規模で起こっていた。
人類は、今まさに滅びようとしていた。
2.
パパン、パパパンと銃声が響き、崩れたビルから黒煙を噴き上げるかつての見慣れた街並みを、私と結ちゃんはゆっくりと歩いていた。結ちゃんの太ももには真っ赤に染まった包帯がまかれていて、崩れ落ちそうになる結ちゃんに肩を貸しながらかつての通学路を歩く。
ガチャガチャなる顔につけた防毒マスクの金具の音が音がうるさい。いつ頃かは忘れたが、ウイルス対策として自治体から支給されたものだ。どれだけの効果があるかわかったもんじゃないし、何より息がこもって蒸れて暑いからつけたくはないのだが、何らかのお守り代わりにはなると信じてつけている。そんな重いアクセサリーをぶら下げて、私と結ちゃんは歩く、歩く。道端に転がる屍に転ばないよう気を付けながら。
唐突に、肩にかかる結ちゃんの体重がずんと増したように感じられた。見れば結ちゃんは力なく片膝を大地についており、その防毒マスクの内側は深紅に染まっている。吐血したのだ。私はとっさに結ちゃんの防毒マスクを引きはがし血に汚れた顔に顔を寄せ呼吸を確認する。ヒューヒューととぎれとぎれではあるけどまだ息はある。
だがこれでは長距離の移動は無理だ。行く当てのない逃避行とはいえどこか休める場所が必要だ。そう思ってあたりを見渡し―見つけた。かつて私と結ちゃんがよく遊んだ公園。コンクリートジャングルに佇む緑のオアシスが。そこで少し休むことにした。私はよっこらせと意識を失った結ちゃんを担ぎなおすと、その緑のオアシスに向けゆっくりと歩きだした。
3.
その公園は奇跡的に破壊を免れていた。結ちゃんをベンチに横たえると、これまた奇跡的にまだ生きていた水道から水を汲んでハンカチに浸し、結ちゃんの顔をぬぐっていく。ハンカチはみるみるうちに深紅に染まってしまったけれど、結ちゃんの顔はいつもの輝きを取り戻したみたいだった。
そうこうしているうちに、ううんといって結ちゃんが目を覚ます。そのぱっちりした目と目があうと、結ちゃんはにへらと笑って
「ごめんね、私、ここまでみたい」
そう言った。足を撃たれ、感染の進んだ結ちゃんと最後までいることはできない。わかっていたことだけど、改めて言葉にされると心がずきりと痛む。だがその思いは顔に出さないようにしつつ
「そっか。」
とだけ短く返す。だがそんな私の内心は筒抜けだったようで結ちゃんは再びにへらと笑うと、
「優しいね、麗ちゃんは」
と言った。結ちゃんはそのままわずかに顔を動かしてあたりを見渡すと、
「懐かしいなあ、ここ。いつもの公園でしょ。」
と言った。
「そうだよ」
「いっぱいここで遊んだよね。覚えてる?麗ちゃん」
私は黙って頷く。忘れるわけがない。私の一番の友達は結ちゃんなのだ。その結ちゃんといつも遊んでいたこの公園のことを忘れるわけがない。
「そっか」
そう言って満足げに微笑む結ちゃん。
「懐かしいなあ」
再び呟く結ちゃん。思い出を一個一個確認していくように震える指先を伸ばし指さしていく。
「あの木はいつもかくれんぼで麗ちゃんが隠れてた場所、あの噴水は大君が落っこちてお母さんに叱られてた場所、あの滑り台はスカートがよく引っかかった場所」
そう言って一つ一つ指さしていく。時折激しくせき込みながら。ああ、これは結ちゃんなりのこの世への別れの告げ方なのだ。そう思うと急速にこみあげてくるものがあって。思わず目をそらす。
「ねえ、最後に顔を見せてほしいな」
その結ちゃんの言葉にガチャガチャと私は防毒マスクを外す。どうせこんなものあっても無駄なのだ。胸の奥に熱い塊がある。私だって感染者だ。これが爆発した時、私は死ぬ。目と目があう。ふと気づけば、銃声が鳴りやんでいることに気づいた。戦闘が終わったのか、それとも。
「みんな死んじゃったんだね」
結ちゃんがぽつりと言う。
「そうみたいだね」
私は頷く。私は続ける。
「まさかこんなふうに世界が終わるだなんて、思ってもみなかったよ」
だけど、そう言うと結ちゃんはいたずらっぽく微笑むと
「嘘ばっかり」
と言った。
「いつか世界なんて滅んでしまえって思ってたくせに」
そう微笑んで言う結ちゃんに、私は苦笑するしかない。まさか誰にも言ったことのなかった私の本心を見破られるなんて。そう思い内心首を振る。いや、私とずっと一緒にいたのが結ちゃんなのだ。それぐらい見破れて当然なのかもしれない。
私は世界が嫌いだ。父さんも母さんも優しい親ではなかった。良い親でもなかった。しばしば拳が飛んでくるし、食事が出てこないこともしばしば。生きていることは苦しみで、死こそが唯一の救い。みんな死んで世界が終われば、みんな幸せ。そう思っていたのに。
なのに何でこんなにも悲しいのだろう。私の願いがかなったというのに。そこまで考え、ああと思いいたる。結ちゃんが死んでしまうからだ。私の大切な友達の結ちゃんが。
結ちゃんが死んでしまうことが、今はとても悲しい。
何でこんなことにも気付かなかったのだろう。世界の終わりを望むとは私の大切な人の死を望むことだということなのに。それが悔しくて仕方がない。
ふと頬を撫でられた。見れば微笑んでいる結ちゃん。
「泣かないで、麗ちゃん」
その顔は驚くほど白い。
「また、会えるから」
そう言って再び頬を撫でられる。その言葉に胸が熱くなる。
「うん、うん……!」
私は頷く。何度も何度も。ふと肩に冷たい感触。そこには雪の結晶があった。六角形の雪の結晶。天を仰げば分厚い灰色の空からちろちろと白いものが降っていた。
「わあ……」
そうつぶやく結ちゃん。きっとこの雪は私たちの死体を覆い隠してくれるだろう。そこに死体がある事なんてわからないぐらい。全てが雪に覆われて終わるのだ。白い白い雪の下で二人きり。そんな終わり方も悪くはなかった。
「私、あなたと会えて本当によかった……」
そう言うと結ちゃんはひときわ大きく息を吸い込んで。ごほりと赤い血の塊を吐き出すと、それっきり動かなくなった。
私は徐々に冷たくなっていく結ちゃんの体を抱きしめる。私の口元から垂れる血が結ちゃんにつかないように拭うと、開きっぱなしの結ちゃんのまぶたを閉ざしてあげた。そして私も天を仰ぎつつ目を閉じる。そしてやがて訪れる死に身を任せた。
また、会えるから 間川 レイ @tsuyomasu0418
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