3 『女子高生と怪物とブラックの缶コーヒー』




 ひどい夢を見た気がする。

 とても怖くて、とても痛い夢。

 夢の中でたくさん叫んだ。これでもかってくらいに叫んで、叫んで、叫んだ。

 でも、声は届かなかった。

 大切なものが流れ出ていくような喪失感。

 とにかく怖かった。

 もう大切な人に会えなくなると思った。

 とても悲しかった。

 だから、声を上げたのに……。


『無理だよ。お姉さんはもう死ぬ』


 私にかけられた言葉はあまりにも冷たかった。

 世の中には、こんなにも冷たい人がいるのかと思った。

 でも、その人しか近くにいない。だから、精一杯声を出した。でも……。


『そんなこと言われても』


 退屈そうな声だった。

 こんなに叫んでるのに、こんなに助けを求めてるのに、わかってくれない、助けてもくれない。それがとても悲しくて、悔しかった。


 そして、その人は私から離れようとした。

 必死に呼び止める。


『なに?』


 私はわかってしまった。

 もう私は、。記憶も思い出も人との繋がりも何もかも。私の全てがなくなってしまう。

 だから、残したいと思った。でも、時間なんてない。じゃあ、何を残す?


 私は、残された全ての時間を使って、両親と弟への想いを口にした。


『そんなの自分で…………』


 その人の声は、最後の最後まで冷たかった。




ーーーーーー




 ゆっくりと瞼を開ける。いつもと同じ普通の目覚め。

 ただ、ひどい夢を見たあとの不快感だけが体に纏わりついていた。

 こんなときは誰かと話がしたい。両親か、それとも、最近ちょっと生意気になってきた弟でもいい。誰でもいいから話が…………。


「……どこ??」


 見たことのない天井だった。まだ寝ぼけているのだろうか。……もう一回寝よう。凄く眠たいし。


「ユキッ!!」


「ユキッ!!」


「姉ちゃんッ!!」


「うぎゃッッ!!?」


 三方向から大声で呼ばれて、おもわず変な声が出た。

 見慣れた顔、見慣れない表情。まるで、怖いことでもあったかのような顔で私のことを見てくる。


「な、なになになにッ!?」


「ユキッ!!」


 ガバッと抱きしめてくる母。


「か、体はどこも、悪くない、のか?」


 震えた声で、心配そうに問いかけてくる父。


「姉ちゃん……ねえ、ちゃん……よかった……うぅ……」


 私のことを呼びながら、涙ぐむ弟。


「ね、ねぇ……ほんとに、なにがあったの?」


 そんな三人を見て、とまどう私。


「バカッ!! 本当に心配したんだからッ!!」


 ほとんど泣いたところを見たことがない母が、私を強く抱きしめながら涙声で叫んだ。

 訳がわからなかったけれど……なんだかとても、嬉しいなと思った。




 私を抱きしめたまま泣き続ける母の代わりに父が説明してくれた。


 私は血まみれで倒れているところを発見され、病院に搬送されたそうだ。そして、連絡を受けてみんな駆けつけてくれたらしい。

 ちなみに、まだ犯人は捕まってないそうだ。そのことは、もちろん怖い。でも、それよりも怖いのは……。


「本当に、体はなんともないのか?」


「姉ちゃん……」


「う、うん……どこも痛いとことか、ないし……」


 かなりの量の出血だったらしい。制服は真っ赤に染まり、私が倒れていたところには血溜まりができていたと聞く。

 制服には包丁などの刃物で刺された跡がお腹のところにあったらしく……。


「いったい、なにが……」


 服を捲り上げる。私のお腹には刺し傷どころか、かすり傷すらなかった。


 傷がないのであれば、私の制服を赤く染めた液体はいったい何だったのだろうか。

 もちろん、病院の人もちゃんと調べてくれた。

 血液検査を行い、間違いなく私の血だと証明された。


 本当に訳がわからなくて、怖かった。




ーーーーーー




 それから数日後、私は何事もなく普通に登校している。学校には事件のことは伏せてもらい、風邪が長引いて休んだという話になっている。

 退院するまではいろんな人が話を聞きにきた。警察や病院関係者などなど。

 ただ、私自身何もわかっていないため、むしろこっちがいろいろ聞きたいくらいだった。


『もし何か思い出したことがありましたら、いつでもご連絡を』


「はぁ、そんなこと言われてもなぁ……」


 警察の人に言われた言葉を思い出しながら、おもわず独り言が漏れる。

 ちなみに、その人にもらった名刺は鞄の中に収めてある。あわよくば、出番がないことを祈るばかりだ。


「だって、怖いから思い出したくないし……」


 昔から怖いものが大の苦手だった。ホラー映画とかこの世から消滅してほしいと心の底から願うほどに。

 弟からはそのことでよくからかわれた。……ほんっと、むかつく。


 そんな怖がりな私だからこそ、今回の事件のことなどこのまま完全に忘れてしまいたかった。


「……あーッ! あのときの警察のお姉さん、すっごい美人さんだったなー!」


 このままだと怖い想像ばかりしてしまいそうだったので、強引に違うことを考えてみる。

 ついでに声にも出してみた。これで少しは怖い想像は減るだろうか。




『帰りに味噌を買ってほしいって』


「うん、わかった。帰りにスーパーに寄るね」


 弟からの電話に答える。


「あと、今日はとくに予定がないから、早く家に着くってママに伝えとい……」


『待って姉ちゃん。やっぱり母さんが車でスーパーまで迎えに行くって』


「えっ、車で迎えに? いいよ、別に……」


『姉ちゃん……この前みたいなことがあったら、俺は嫌だからな』


 いつになく真剣な声。そんな言い方をされてしまっては言い返すこともできない。


「わ、わかったよ…………もう、心配性だなぁ。でも、ありがと」


『別にッ……きょ、姉弟なんだから! その……し、心配くらいするだろッ!』


 電話越しに挙動不審な声が聞こえた。……ほんっと、そういうとこ生意気。

 弟の言葉に目頭が熱くなる。くれぐれも悟られないようにしなくては……。


「……じゃあ、ママにスーパーに着いたら連絡するって伝えといてね」


『あ、あぁ、気を付けろよな』


 プツン。

 電話が切れる。


「……大好き」


 私は誰にも聞こえないように呟いた。

 心と体が熱くなるのを感じて、おもわず微笑んでしまう。

 弟や両親の優しさが、心の底から嬉しかった。

 私は家族のことが大好きだ。


 言葉にできないほどの幸福感を覚えながら、道を歩く。そのとき……


「ッッ!!?」


 うしろから気配を感じた。


 不審者だとか、そういったものではない。そもそも人の気配でもない。もっとこう……おぞましくて、恐ろしい、

 先ほどまでの幸福感を吹き飛ばす恐怖。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 無意識に呼吸が浅くなる。体も震えている。

 本能が警鐘を鳴らしていた。


 うしろにいったい何がいるというのか。

 私は胸を押さえながら、恐る恐る振り返る。

 やめなさい!と、心の中の私が言う。そんなのわかってる。バカなことをしてるって自覚はある。でも……


「ひっ!?」


 私は振り返って、うしろを見た。

 夢に出てきた少年がいた。


 見た目は弟と同い年くらいの少年。

 でも、違う。どう違うかは説明ができないけれど、人ではないと私の心が叫んでいる。

 近づいてはダメ、関わってはダメとわかっているのに、視線を逸らすことができない。

 距離が空いてるせいか、私が見ていることに気がついてないみたいだ。少年のような何かは、缶コーヒーを飲みながら私の方に歩いてくる。


「ッッ!?」


 私は怖くなって走って逃げた。




ーーーーーー




 その日以来、同じ夢を見るようになった。

 私が刺されて死ぬ夢。

 助けを求めている私をいつもあの少年が冷たい目で見下ろしてきた。


 最悪な気分で目が覚める。寝るのがちょっと怖くなった。

 そんな様子を察知してか、家族は私を心配してくれる。その優しさがとても嬉しくて、それと同時に申し訳なくも感じた。




 そして、あの少年を見かけるようにもなった。


 学校からの帰り道に、少年が缶コーヒーを飲みながら歩いているのを毎日のように見かける。

 まるで、私が刺されたのをきっかけに現れたかのように。

 いや……もしかしたら今まで意識していなかっただけで、ずっといたのかもしれない。


 私は、少年の跡を付けた。

 なぜそんなことをしたのか、自分でもわからない。あれだけ恐怖を感じていたというのに……。


 学校からの帰りに少年の跡を付ける日々が続いた。

 少年はとくに目立った行動はしない。毎日いろんな道を缶コーヒーを飲みながら歩いているだけ。


「あっ、またいない……」


 なぜか、毎回途中で見失ってしまう。


「仕方ない……帰るか」


 そんな日々が続いて、緊張感が薄れてきた頃。

 なぜ私は、ただ歩いているだけの少年に対して恐怖心を抱いているのだろうかと思うようになった。人ではないと思ったのも私の勘違いなのかもしれないと。


「いっそのこと話かけてみればいいか」


 そして、声をかけた。


「待って!」


 少年はゆっくりと振り返る。


「…………なに?」


 私は、声をかけるべきではなかったと心の底から後悔した。


「わ、私は……そ、その……」


 言葉が上手く出てこない。体が震えて、足がすくむ。ガチガチと歯が震える音が耳鳴りのように響く。


「僕に何か用?」


 怖い、怖い、怖い。

 姿、声……存在の全てが怖い。

 目の前にしたからこそわかる。この少年は人ではない。人の姿をした何かだ。一瞬でも人だと思った自分がバカだった。

 そして、ここで回答を間違えたら死ぬ。そう思った。


「何か用があるなら、早くしてほしいな」


「ひっ!?」


 私は、少年が早くここから立ち去ることを願った。そして、その願いが通じたのか、少年は退屈そうに前を向いて歩き出そうとする。

 助かったと思った。なのに……。


「そういえば、お姉さんだよね? 最近、僕を見てくるのは?」


 私は、なんてバカなことをしたのだろうか。


「もう見てくるのやめてね。蚊が顔のまわりを飛び続けてるみたいな感じで、とても嫌だから」


 少年は、何事もないかのように淡々と話す。その言葉や喋り方にまったく感情が見えてこない。まるで、人と同じ大きさの人形が喋ってるかのよだ。

 それが、たまらなく怖い。


「もしやめないなら」


 聞きたくない。聞きたくない。その言葉の続きを聞かなくない、のに……。


「も、もしやめない、なら……?」


「殺すよ」


「ッッ!!?」


 ビタンッ!!


 私は大きな音を立てて尻餅をついた。

 早くこの場から逃げなくては。でも、動けない。足が震えて力が入らない。立ち上がることもできない。


「わ、わわ、わたしを……ここ、ころす、の……? ど、どう、して……?」


 私は必死に言葉を絞り出す。

 少年はゆっくりと近づいてくる。……い、嫌だ。死にたくない。どうして? 私、ここで死ぬの?


「お姉さんは殺されたいの?」


「ッッ!!」


 口が上手く動いてくれない。だから、死にたくない!と叫ぶかわりに必死に首を振った。すると……。


「わかった。じゃあ、殺さない。そのかわり、もう見てこないでね」


「えっ……こ、殺さない、の……?」


 私は耳を疑った。……も、もしかして、助かった、の?


「見てこないなら、殺す理由もないし」


 少年の言葉を聞いて、ちょっとだけ安堵する。あいかわらず怖いのは変わらないけど、もしかしたら話が通じる相手なのかもと思った。


「…………それとも、殺されたかった?」


「ッッ!?」


 必死に首を振った。


「じゃあ、殺さないよ」


 私の心の中は恐怖と安堵でごちゃ混ぜになっていた。いつのまにか涙も出ている。

 そんな私を少年は退屈そうに見下ろしていた。


「僕はもう行くね。お姉さんも早く帰りなよ」


 少年は振り返って歩き出す。

 結局、私は何がしたかったのか、頭の中がぐちゃぐちゃで整理ができない。尻餅をついたままへたり込んで、泣きべそをかいているだけ。


「キ、キミのこと……」


 でも、本当は知りたかったはず。この少年のこと、私が刺されたこと、あの路地裏や夢の中のこと。いろんなわからないことをこの少年は知っていると、そう思った。

 だから、必死に口を動かした。


「知ってるの!」


「…………何の話?」


 少年は再び振り返る。やっぱり退屈そうな顔をしていた。




 それから、私と少年は話をした。

 ちゃんと話が通じる相手で少しだけ安心したが……さすがに刺されて死んだと言われたときは心臓が止まるかと思った。

 少年が生き返らせてくれたらしいけれど、どうやったのかはまだ聞いてない。……情報量が多すぎて、今聞いたらパンクしそうだから。

 いつもなら、死んだ人を生き返らせるみたいなありえない話、信じるわけないのに……妙に納得してしまってる自分がいた。

 なぜなら、少年の話が本当でなければ、大量に出血していたのに傷跡がない理由にはならないだろう。きっと、私では理解できないような不思議な力を使って……。


 少年は、私がめんどうなお願いをしようとしてたから助けてくれたと言ってたけど……もしかして、良い人なのだろうか。

 少なくとも、そこまで怖がる必要はないのかもしれないと思った。

 それに、命を救ってくれたのだ。何かお礼をしなくてはいけない。

 だから、素直に感謝の言葉を伝えた。


「別にいいよ」


 淡々と答える少年。


「お礼もいらない」


 それじゃあ、私の気が収まらない。


「いらないよ」


 悪い人でないのなら、もっと話がしてみたい。

 でも、少年はめんどくさそうにここから離れようとする。

 そんな少年に、私は何度も問いかけ続けた。

 何者なの?とか、いつも何してるの?とか。


「そんなこと聞いてどうするの?」


 ごもっともな返答だと思う。たいして親しくもない相手に、こうも質問攻めされるのは私だって嫌だ。

 だから、素直な気持ちを伝えた。


「わ、私は……キミのことが、知りたい」


 少年のことは、まだ怖い。でも、知りたいって気持ちも本当だから。


 私はなんとか話を続ける。

 少年の表情は変わらないけど、なんとなく嫌そうにしてるのが伝わってきた。まるで、ちょっかいをかけすぎで不機嫌になっていく弟を見てる気分だ。


「あのね、お姉さん」


 確かに、一方的にこちらの要望だけを押し通すのはかなり図々しい。そんなの弟じゃなくても不機嫌になるだろう。

 では、どうすれば……。


「これ以上、しつこいようなら……」


「あっ!!」


 ……そうだッ!!


「缶コーヒー、買ってあげる!」


「…………………………え??」


 私の言葉に、明らかな反応があった。

 あいかわらず表情は変わらないけど、さっきとは違う。私の言葉をしっかりと吟味するような反応。

 私は、ここぞとばかりに畳み掛けた。


「……わかった。お姉さんと会うよ」


「やった!」


 やがて、少年は折れてくれた。……なぁんだ、けっこう良い子じゃん!

 最初の恐怖心はどこへやら、気が緩んでいく私。


「わかった。じゃあ、また明日。お姉さんも早く帰りなよ」


 明日も少年と会って話をしようと思う。……どうやって私を生き返らせたか聞いてみるのもいいかも………………あ、あれ??


「待って!!」


「…………今度は何??」


 立ち去ろうとしている少年を呼び止める。

 表情は変わらないけど、呆れているのはひしひしと伝わってきた。

 でも、こちらも緊急事態だ。なにせ……。


「た、立てない…………腰が、抜けて……」


「…………」


 少年を呼び止めたことを後悔した。


「ひッッ!!?」


 少年の足元から広がる影が、蠢きながら私の体に纏わり付いてくる。全身が黒い何かに染まっていくように思えた。


「私を食べないでーーッ!!」


 恐怖心が蘇る。食べられると思った。

 昔見たホラー映画のワンシーンが走馬灯のように頭をよぎる。若い女の人が、こんな感じの黒く蠢く怪物に体中纏わりつかれて食べられるシーン。

 そして、私も今同じ状況になっている。

 体が地面から離れて、宙に浮く感覚があった。……いや! いやッ! いやッ!!


「いやぁぁぁーーーッッ!!?」


 私は喉が張り裂けるくらい叫んだ。


 まぁ、食べられることはなかったのだけれど……。



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怪物 龍神慈樹 @itsuki19

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