第3話

 敗戦の報は、風よりも早く帝都に届いた。

 砦陥落、千の兵が散り、わずかな残兵のみが生還――その中心に「ヴァルキュリア」の名があった。


 セリナは帝都に戻るとすぐ、軍議の大広間へと呼び出された。

 重厚な扉を押し開けば、そこには将軍や大臣たちがずらりと並んでいる。誰もが険しい顔をしていたが、少女を見る目だけは奇妙に光っていた。


「よくぞ戻った、セリナ隊長」

 白髪混じりの将軍が声をかける。

「お前の奮戦があったからこそ、残兵が退けたと聞く。誇るがいい」


 セリナは背筋を伸ばし、静かに答える。

「誇りは死んだ者のものでございます。私はただ、生き延びたに過ぎません」


 広間に微かなざわめきが走った。

 彼女の言葉は冷たくも正直であり、だからこそ誰も否定できなかった。


 だが老将軍の隣に立つ大臣が、口元に笑みを浮かべた。

「敗北を敗北と受け止める素直さ……それもまた美徳よ。だが人心は形を求める。兵が逃げ出さぬよう、民が絶望せぬよう、我らには“物語”が必要なのだ」


 セリナは眉をひそめた。

「物語……?」

「そうだ。たとえ負け戦であろうと、“ヴァルキュリアが敵千を薙ぎ倒し、帝国の誇りを守った”と広めれば、民は勇気を得る。真実など、誰が知ろう」


 将軍の一人が頷いた。

「敗北を遅らせるだけの戦も、語り次第で勝利となる。我らに必要なのは時間だ。お前はその象徴であれ」


 ――利用されている。

 セリナはそう悟った。

 彼らは勝つためではなく、滅びを遅らせるために自分を英雄に仕立て上げようとしている。

 それは欺瞞だ。だが、兵たちが確かに彼女の背で戦意を取り戻したのも事実。


 沈黙の中で、大臣が畳みかける。

「セリナ、お前はまだ十六。若き英雄の姿は、帝国の灯火だ。民はお前を信じ、兵はお前を支えよう。ゆえに――次の戦場でも先陣を務めよ」


 言葉は命令であり、拒否の余地はなかった。


 セリナは槍を握り締め、答える。

「承知いたしました」


 大広間に満足げな空気が満ちる。

 だがその瞳の奥には、勝利を信じる光はなく、ただ延命の算段しかなかった。



 会議を終え、石畳の廊下を歩く。

 夜風が吹き込む回廊で、セリナは立ち止まった。

 月が冴え冴えと輝き、戦場の炎を思い出させる。


「勝てぬと知りながら、英雄を演じろというのか……」

 呟きは、誰にも届かない。


 そのとき、影から一人の兵が姿を現した。伝令兵の少年だった。野営地で震えていた、あの眼差し。

「隊長」

「……まだ帝都にいたのか」

「あなたの戦いを、皆が語っています。俺も……また戦います。あなたが先陣に立つなら、どこへでも」


 セリナは一瞬、言葉を失った。

 彼らの言葉こそが真実だ。兵は彼女に希望を託している。

 それを裏切ることはできない。たとえ上層部の思惑がどうであれ――。


 彼女は少年の肩に手を置き、静かに告げた。

「ならば共に行こう。勝てぬ戦であろうと、最後の一兵まで護る。それが、私に課された役目だ」


 月光に照らされた少女の横顔は、もはや人のものではなかった。

 ――英雄譚として記される者の覚悟である。

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