第14話 まひろん、守護神にそそのかされる!

 砦から追い出された僕らは、冷え込む街道をとぼとぼ戻った。

 交渉は中断、収穫ゼロ。

それなのにサトルだけは鼻歌まじりで「今押せば勝ちだったのに」なんて言っている。

 マサトは拳を握りしめ、舞夢は尻尾を逆立て、僕はただため息をつくしかなかった。

 炎上の火種はまだ残ったまま、夜は容赦なく更けていく――。


   ***


 砦を追い出された僕らは、冷え込む北風に背を押されながら前日の作業小屋へ戻った。

 焚き火に火を移すと、湿った煙が鼻をついた。

 モフが「モフッ」と丸まり、体毛をさらにふくらませる。


「……全部台無しだ」マサトが膝を叩いた。

「勝手に話進めやがって、もう次はないぞ!」


 怒声を浴びても、サトルは平然と火の前で胡座をかき、干し肉をかじっている。

「いやいや、むしろこれからだろ。

 交渉ってのは一度こじれてからが本番なんだ」


「どの口が言うにゃ!」

 猫耳少女の舞夢が尻尾を逆立てる。

「アンタのせいで、ポンコツ以上に信用ゼロにゃ!」

「ちょ、またそれかよ!」

 僕は慌てて手を振った。


 フィルが静かにサトルを見つめる。

「でも……確かに“まだ終わってない”ってのは正しいかも。砦の首領は結論を先送りにしただけだから」


「ほらな」

 サトルが勝ち誇ったように顎を上げる。

「俺はああ見えて、まだ席を残してあるんだよ。次は俺がまとめてやる」


「ふざけんな、もう勝手は許さねえぞ!」

 マサトが拳を振り上げかける。

 僕は慌てて間に割って入った。

「と、とにかく……今夜は休もう。明日、どうするか考えないと」


 煙の向こうでサトルの笑みがちらりと揺れた。

 胡散臭さは消えないのに、不思議と場の主導権を握られている気がした。


 翌朝。北風は相変わらず強く、作業小屋の板壁をきしませていた。

 焚き火の灰を払いつつ、マサトが腕を組む。

「……これじゃ手詰まりだ。あいつらは税を免除しろとごねるし、俺たちはΔ7の条件で水路を広げなきゃならねえ。両方満たすなんて無理だ」


 誰も反論できずに黙り込んだ。

 その沈黙を破ったのは、やはりあの胡散臭い男だった。

「無理? いや、むしろ簡単さ」

 サトルは煙をくゆらせながら、にやにや笑った。


「税を払えないなら、その代わりに“働いてもらえばいい”。獣人たちは今まで通り保守をやるだけで十分だろう? 新しい水路の開削や工事は、ノアール村の技術者を呼んでやらせればいい」


 僕らは顔を見合わせた。

「つまり……獣人側は保守を続けるだけ。新しい負担はこっちの村が担う、と」フィルがまとめる。

「そうそう。彼らにとっては負担ゼロ。こちらにとってはΔ7の要求を満たせる。どっちも得した気分になれるじゃねぇか」


 舞夢が尻尾をばしんと床に叩いた。

「いやいや、損してるのはこっちにゃ! それじゃ獣人どもがタダ飯食いにゃ!」

「でも、交渉ってのは“相手を勝たせた気にする”のがコツなんだよ」サトルは涼しい顔だ。


 マサトは唸り声を漏らした。

「……理屈は通ってる。だが、どうにもムカつく言い方しやがる」


 僕は焚き火を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。

(このままじゃ……本当に僕らが負けたままで終わっちゃう)

 その不安は、まだ言葉にならなかった。


「その日のうちに、僕らは再び獣人砦へと足を運んだ。」

 冷たい風が吹き抜け、柵の外で槍を構える兵たちの毛並みが揺れる。

 昨日の騒ぎを思えば追い返されるかと身構えたが、サトルが先頭に立って軽く手を振ると、彼らは顔を見合わせただけで門を開いた。


「ほらな、言ったろ? 俺は客人扱いなんだよ」

 振り返りざまにドヤ顔をしてくるのが腹立たしい。


 広場の中央には、首領格の獣人が待ち構えていた。

 腕を組み、鋭い眼光をこちらに向ける。

「また来やがったか。今度はまともな話を持ってきたんだろうな」

「もちろんだとも」

 サトルは胸を張った。

「赦免はする、税は免除、水路の保守は君らの役割として続けてもらう。これで双方丸く収まるだろう」


 ざわめきが起こった。

「おお、それなら俺たちの負担は変わらん!」

「税もなしで済むぞ!」

 獣人たちの顔に笑みが広がる。


 僕は唇を噛んだ。昨日と同じだ。

 彼らは喜んでいるが、実質こちらが損を被るだけ。

 Δ7の条件――水路拡張――は何一つ解決していない。


 サトルはさらに言葉を重ねた。

「そして水路の新規開削や工事は、ルナール村が担う。技術者も人手も、こちらで用意する。君らはただ今まで通りに保守をやればいい」


 獣人たちは歓声を上げた。

「勝ったぞ!」

「俺たちの要求が通った!」

 広場がどよめきに包まれる。


 その喧騒を聞きながら、僕の胸の奥に奇妙なざわめきが広がっていった。

(これで本当にいいのか……? 僕らはただ負担を背負っただけじゃないか)


 そのときだった。

 腕輪が淡く光を放った。冷たい風の音が遠ざかり、どこからともなく低い声が響いてきた。


 ――〈衣食足りて臣従を成す〉。


 短いが、胸に突き刺さるような響きだった。

 意味ははっきり分かった。

 腹を満たし、衣を得た者は、安心して誰かに従うことができる。


(そうか……そういうことか!)

 僕は思わず顔を上げた。


「ただし――条件がある!」

 広場に声が響いた。

 獣人も仲間たちも一斉に僕を見た。


「獣人たちがルナール村の配下に加わり、水路工事を手伝うなら、僕たちが衣食を保障する!」

 胸を張って言い切った瞬間、獣人たちの笑い声がぴたりと止んだ。


「生活を……保障する?」

「ただの赦免じゃなく、正式に一員にするってのか?」

 彼らの視線に戸惑いと驚きが混じる。


 背後で舞夢が小声でぼやいた。

「ポンコツが急にカッコつけるにゃ……」

 でも尻尾は小さく震えていた。


 マサトは腕を組んで「やっと言いやがったな」と呟く。

 サトルは口を半開きにして僕を見ていた。


「……良いこと聞いちゃった」

 自分でも照れくさくて、そう口にするしかなかった。


 真優の条件に獣人たちがざわめいていると、親玉が腕を組んで前へ出た。

「……だがな。うめえ話にゃ裏があるという。お前ら、人間ども、何か隠してねえか?」

 鋭い眼光が突き刺さり、広場の空気が一気に張り詰める。


 僕は思わず息を呑んだ。

(ば、ばれた……? でも、隠し事なんて――)


 そのときだった。

 フィルがわずかに空を見上げた。

 ラーラはすでに頭上高く待機していて、手にした導雷器をきらりと光らせている。

 二人の間に交わされた合図は、僕には気づけなかった。


 ――バリバリバリ!

 空気が裂ける音とともに、白い稲光が走る。

 ズッドォ~~~ン!

 轟音とともに、砦の脇の地面が炸裂した。

 土煙が舞い上がり、獣人兵たちは悲鳴を上げて飛び退いた。


 僕は腰を抜かしそうになりながらも、とっさに口を開いた。

「う、疑われて……怒ってるみたいね!」


 その一言に親玉が目を見開き、言葉を失った。

 怒りに燃えていると思ったのか、それとも人間の“隠された切り札”を見せつけられたと感じたのか――。

 やがて彼は深いため息をつき、肩を落とした。

「……わかった。お前たちの条件、呑もう」


 獣人たちがざわめき、やがて大きな歓声に変わる。

「配下になるってことか!」

「衣食が保障されるなら、悪くねぇ!」


 僕は胸をなで下ろした。

「ふう……なんとかまとまったみたいだね」


 背後で舞夢が尻尾を逆立て、ぼそっと毒づく。

「いやいやポンコツ、全然違うにゃ……」

 マサトも呆れ顔で頭をかき、「まあ結果的に成功ってことでいいか」とぼやいた。

 稲光の余韻がまだ地面に残る中、交渉は思わぬ形で決着してしまったのだった。


 交渉がまとまったあとも、砦の広場にはまだ緊張が残っていた。

 獣人たちは互いに顔を見合わせ、戸惑いと期待の入り混じった表情を浮かべている。

 そんな中、マサトがゆっくりと前に出た。


「なあ……これからルナール村へ一緒に来ないか? 村でも灌漑の水路を広げる必要がある。水路工事に腕のある者がいれば力を貸してほしい」


 その声音は荒々しさを抑えた、優しい響きを帯びていた。

 親玉がわずかに目を細める。仲間たちがざわつく中、数人の獣人が前に進み出た。

「俺は石組みに自信がある」

「水路の流れを読むのなら任せてくれ」


 マサトは頷き、さらに言葉を重ねる。

「ありがたい。……うまくいけば、いずれ家族も呼び寄せて共に暮らせる。村に帰れば、もう罪人じゃない。胸を張って生きていいんだ」


 その一言に、獣人たちの肩が揺れた。

 目に光るものを浮かべる者もいる。

「共に……暮らす、か」

「そんな日が来るなら悪くない」


 僕は胸の奥がじんと温かくなるのを感じた。

(これが……僕が望んでいた形なのかもしれない)


 舞夢が尻尾を揺らしてにやりと笑う。

「やるじゃん、ポンコツ。ちょっとだけカッコよかったにゃ」

「ちょっとだけは余計だ!」と返すと、皆の緊張が和らいで笑い声が広がった。


 こうして数人の獣人技術者を伴い、僕らはルナール村への帰路についた。

 北風はまだ冷たいが、胸の内には不思議な温もりが宿っていた。

 正式村長への道、その第一歩が確かに踏み出されたのだ。


   ◇◇◇


※この物語は【土・日・火・木】の週4日更新を予定しています。 つづく

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