第19話 9月1日 夜①

「あのさ、牡丹」

「何」

 帰り道を歩きつつ、牡丹に話しかける。彼女の返事は短かったが、それは拒絶と言うよりも、親しい間柄で気を遣う必要が無いという意思表示に思えた。それならばと、俺はさっきの夢から抱いた印象を彼女と共有しておくことにした

「澄玲ちゃんの霊障、さっきのでなくなったと思うか?」

「なんとも言えないわね。現れた原因も分からないし」

 何かスイッチになるものはあったんでしょうけど、そう言いつつ、牡丹は顎に手を当てて考えるそぶりをする。

「俺は……収まらないと思う」

 これは俺が直感的に感じたことで、俺しか知らない情報も加味した上での話だ。だから、納得して貰うのは難しいかもしれない。

「どうして?」

「まず、あの調伏した神霊だけど、俺の先祖だった。佐恵さんを口寄せしたのに反応して現れただけだと思う」

 アレが俺の先祖霊だった。と言ったところで、牡丹は明らかに動揺したようだった。

「理解したの? アレが何か、よく意識を持って行かれなかったわね」

「ああ――だけど、話はここからだ。俺の先祖は、澄玲ちゃんを祟る理由が少ない」

 いくら佐恵さんを殺したとはいえ、あそこまで後悔していた佐恵さんの夫――宗太郎が、その子孫を呪うはずが無い。俺はそう考えていた。

「だから、おそらく何かもっと根源的な物が、背後にあると思う」

――だから、貴方のお父さんが死ぬのは、霊障のせいよ。

 いつか言われた言葉が脳内で反響する。そうだ、澄玲ちゃんが体調を崩した時、親父と同じ感じがした。もしかするとこの二つは同じ……

「あ、そろそろ分かれ道だな」

 寂れた道から俺の家――桐谷家の石垣があるあたりまで戻ってきた。急派このあたりで解散ということになるかな。

「じゃあ、牡丹――」

「宗真の家に行かないの?」

 また明日、と言おうとして、心臓がはねた。いきなり何を言い出すんだこいつは。

「え、ちょっ……まずいでしょ!?」

「? 何がまずいの?」

 きょとんとした顔で聞いてくる牡丹に、俺はどうしたものかと思案する。だが、それは次の台詞で杞憂に終わった。

「貴方に憑いてる稲荷神から聞いたわ、家にも資料があるんでしょう?」

「あ――ああ、それを見ていくってことか」

 めちゃくちゃ動揺して損したな。俺はほっと胸をなで下ろした。


 家のドアを開けると、いつものように昼間の間に蓄積されていた熱気が顔に当たる。

「ちょっと待ってろ、エアコンつけるから」

 玄関に牡丹を待たせて、暗い部屋の中を薄明かりだけを頼りに進んで照明とエアコンのスイッチを入れる。冷たい風がすぐに吐き出されて、徐々に温度は下がっていく。

「さ、いいぞ」

「……意外と片付いているのね」

 興味深く部屋をじろじろと見る牡丹の行動にそわそわしつつ、奥の部屋にある神棚――そこの周囲に積まれている書物のあたりを指さす。

「鎌倉時代から続く神社のくせに、資料はこれだけ?」

「桐谷の本家に行けばもっとあるだろうけどな、こっちには最低限っていうか、じいさんが持ち出したやつしかここにはないんだよ」

 じいさんも、どういう基準で持ち出したのかとか、そういう肝心なことは教えてくれなかった。いや、聞けば教えてくれたのかもしれないが、興味が無かったので聞くことはなかった。

「昔はいろいろ聞いてないのに教えてきたもんだし、自分が神職の家系だって分かった時は色々調べたりもしたんだが、やっぱ文字がなぁ」

 そう言いながら、手近な一冊を手に取って開いてみるが、そこにはにょろにょろとうねる蛇みたいな(多分)文字が書いてあるだけで、全く読み取ることは不可能だった。

 そういうわけで俺の知識は主にウィキペディアとかそういうネットに載っている物中心で、この土地の歴史とかは、全然詳しくないのである。

「ほう、昨日は全然気づかなかったが、そんな古い書物も有ったのか」

 修復が終わったのか、俺の身体からナリが飛び出してくる。彼女は俺が開いた書物を見て、感心しているようだった。

「読めるのか?」

「平安の世から人と関わっておった儂が読めないはず無かろう!」

 心外とでも言うようにナリが叫んで、俺の手から書物をひったくる。その中身をパラパラとめくり、牡丹と一緒に何やら話し始めた。

「――なるほどな、そりゃこんな本を本家に置いておくわけに行かぬわい」

 しばらく読んでいたナリが本を閉じると、牡丹にそれを渡した。

「しかし、どうしたものかのう。牡丹よ、儂は桐谷家を祟る権利があると思うのじゃが?」

 書物をパラパラと流し読みしている牡丹にナリがそんなことを言うと、彼女は珍しく顔を引きつらせた。

「え、ど、どんなことが書いてあるんだ?」

 出会って以降、どんな時でもほとんど表情を崩さなかった牡丹が、ここまで動揺するのは何かよほどのことが書いてあるのだろう。俺はそう直感してお恐る恐る尋ねてみる。

「これは焔剣稲荷大明神(ほむらのつるぎいなりだいみょうじん)から桐谷大神(きりたにのおおかみ)へこの土地の氏神を変更した記録ね」

「ほむらの……何?」

「焔剣稲荷大明神、つまりは儂じゃな、それから桐谷家の管理する氏神にこの土地が乗っ取られた記録じゃな」

「えっ――」

 なんか、すごくヤバい書物じゃないか? 特にナリには見せちゃいけない類いの……

「ふくく、なるほどのう、参拝客もほとんどおらんと思っていたら、こういうことか、一応祟りの類いを避けるために管理はしておったようじゃが……」

「お、落ち着いて、いちおう合祀する旨も書かれているから……」

「ほーう、それで鎮守特務庁殿は恩人である儂をそのまま放置しておったと」

「そ、それは、その、私には『放置された神社』としか教えられていなくて……」

 あ、これは見たことがある。ブチ切れすぎて関わる存在みんな傷つける奴だ。

「よ、よし! なんか大事な話っぽいし、一旦飯を食べてから詳しく読まないか!?」

 どうにかせねば、そう考えて口から出たのは、飯の話だった。腹が減っていては気が立ちやすくなるし、思考もネガティブになりやすい。それに一旦冷静になるためにも、それは必要だろう。

「む、それもそうじゃな」

「……そうしましょうか」

 ナリが一旦矛を納めたことで、牡丹もほっとしたようだった。

「んじゃ、コンビニ行くか、ちょっと遠いけど我慢しろよな」 コンビニで弁当二つと大判のどら焼きを買って家まで歩く。その道中はどら焼きを早く食べさせろとわめくナリと、空腹に気がつき始めた俺たちの三人で、なかなか賑やかな物だった。

 一瞬その楽しいやりとりで本来の問題を忘れかけていたが、家が見え始めてきた瞬間、俺は一気に現実に引き戻された。

「あれ、志藤じゃねえか」

「……桐谷」

 掘っ立て小屋の隣にある日本家屋、その門前で立ち尽くしていたのは、桐谷家の次男坊、桐谷次郎だった。

「今帰りか?」

「ああ――帰ってきたところで門が閉まっててよ、多分女中がうっかり閉めちまったんだと思うが、全く、使えねえ奴らだよ」

 桐谷は木製の重厚な扉をコツコツと叩いて、不満そうな顔をする。

「それで、お前は転校生と――見ない顔のガキを連れてどうしたんだよ? お楽しみだったか? 人殺しの血筋が良いご身分だな」

 明らかに嘲りの意図が透ける物言いに、俺の身体がカッと熱くなる感覚がある。

――人殺しの血筋。

 何度となく桐谷から言われた言葉だが、それの意味が分かった今、彼を相手にしないというのは、自分にはできかねる。

「お前こそ、そんな遊んでて良いのかよ」

「何――?」

 初めて言い返された驚きと、格下に喧嘩腰で話された怒りで、桐谷の表情が曇る。

「ああ、そうか、神社の息子ではあるけど、お前は期待されていないもんな――『次郎』くん」

 その名前を口にすると、桐谷は一気に顔を引きつらせて、怒りを露わにする。

「お前ぇっ!」

 彼は怒りにまかせて殴りかかってくるが、俺の方も頭に血が上っていて、殴られようが言い切ってやろうと心に決めていた。

「ぐっ……!」

「宗真!」

「ソーマ!」

 俺は「次郎」の拳を避けなかった。いや、避けようとして避けられる物ではなかったが……

 とにかく俺は、二人の気遣わしげな声を無視して、言葉を続ける。

「かわいそうだよな、長男が居るから二人目の男は適当で良いって、そういう理由でつけられたんだろ? その『次郎』って奴はさ」

 拳の当たった頬から、じんわりと暖かい感触がお触れてくる。内出血か、口の中を切ったか分からないが、今までこいつから受けた外傷で一番の深手だった。

「ふざけんなよ! ぶっ殺――」

「お前! 何をしている!?」

 二発目の拳が顔面に迫りつつある時、ゆっくりと桐谷家の門が開かれ、明るい照明が俺と次郎を照らした。

「――っ! お、親父……」

「もう夜も遅いんだぞ、一体何をそんなに騒ぐ必要がある」

 現れたのは、着物を身につけた壮年の男――桐谷清胤だった。俺自身、何度か会ったことはあったが、次郎以上に清胤は苦手だった。

「お前には何も期待せんからせめて家名を汚すなと言っているだろう……とにかく、さっさと家に入れ」

「っ……はい」

 次郎は俺への憎しみを露わにしていたが、それでも父親の威厳には逆らえないようで、何度もこちらを睨み付けつつも、家に入っていった。

「ふん、ただの予備でしか無いのだから、おとなしくしておれば良い物を……」

 吐き捨てるような言葉の後、清胤はこちらへ向き直って言葉を続ける。

「お前も、宗正がうまくやったから生きていられると言うことを忘れるな」

 その目は、あからさまに侮蔑の意思を含んでいた。

 俺はその言葉に返答はせず、じっと桐谷家当主の顔を見返す。過去を知った今、彼らに感じているのは畏怖や威厳ではなく、敵愾心だった。

「ふん……」

 俺がひるまないのを確認すると、清胤は踵を返して門を閉じた。それ以上関わるつもりはない。ということだろうか。

「……」

「ソーマ……無事か?」

 俺は閉じられた門をしばらく見ていたが、ナリが腕を引いたことで意識が戻ってきた。

「あ――悪い、俺たちも家に帰るか」

 なんだろうな、妙にあの二人に対して、怒りのような物を感じてしまった。確かに、佐恵さんと宗太郎があんなことになったのは、桐谷家のせいであることには間違いは無いのだが……

 ドアを開けて、居間に出しておいたちゃぶ台に袋をどんと置くと、俺たちはそれを囲むように座った。


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