第20話 9月1日 夜②

「それにしても、ずいぶん大胆なことを言ったわね」

「いや、正直そこまで強気に出るつもりはなかったんだが、なんかこう、感情が昂ぶっちゃってな」

 弁当は温めをお願いしていたのですぐに食べられるようになっている。がさがさと袋を鳴らしつつ、各々に買ってきたものと、必要なら箸を並べていく。

「俺も腹減ってたんだろうな」

「意外とそうでもないかもしれぬぞ、儂もいろいろな原因が桐谷家と知って、腹に据えかねておったし、あの社で出会ったお主の先祖からも、そういう感情を貰っておったのかもしれぬ」

「そんな感じかも――痛っ!?」

 ナリの言葉にうなずきつつも、弁当の中に入っている魚のフライをかじろうとして、先ほど殴られた箇所に激痛が走る。

「全く……後先考えないであんな挑発をするんだから」

「はは、面目ない」

 牡丹は「別に悪いとは言ってないわよ」とだけ口にして、ご飯を口に運ぶ。ナリもどら焼きを両手で持ってかぶりついていた。

 二人の姿を見て、俺も頬の痛みを我慢して弁当を食べ始める。あまりしっかりとは噛めなかったが、腹に食べ物があると、やはり思考がやや柔軟になっているのは自分でも感じた。そういえば、澄玲ちゃんのこともあって、昼はアイス一本しか食べていなかったな。

「ところでさ、今のうちに情報の共有をしておきたいんだけど」

 妙に鉄の味がするご飯を気づかないふりをして食べつつ、今日一日のまとめをしようと提案する。これから部屋の奥にある蔵書を読み進めるに当たって、いろいろと情報共有をしておきたかった。

「そうね、ただ私は宗真が寝ている間に稲荷様と情報交換したから、私がもう一度調べたことを話せば良いかしら」

「そうだな、そうしてくれると助かる」

 俺は牡丹の提案にうなずいて、続きを促す。俺の方はどうにも断片的で、ある程度の想像はできるが今ひとつ確証にかけるものだった。

 牡丹は一つ咳払いをして「これは宗真たちが集めた情報と併せて分かったことなんだけど」と前置きをしてから語り始めた。

「とりあえず、時系列に沿って話すわね――まずは平安時代、当時の鎮守特務庁は貴方がナリと呼んでいる稲荷神から剣による神霊調伏の技法を教えて貰って、そのお礼にここ、秋生町に社を建てた」

「うむ、そういう流れだったことは確かじゃ」

 ナリが頷く。この土地は、古くはナリのものだったというのは、俺もなんとなく理解していたことだ。

「そして鎌倉時代、桐谷氏がこの土地へやってくる。彼らはナリを祀っていた氏族を吸収し、桐谷大神を合祀することにより、力をつけていった」

 乗っ取った。というのは、佐恵さんと宗太郎のような形で、血を混ぜていったのだろうか。そのあたりは想像するしかないが、まあ大きく外れていることも無いだろう。

「そして明治維新で松鶴寺がこの土地に建立されて、今に至るという流れね。これは実家――本部に問い合わせても同じ事を教えてくれたわ」

「ちょっと待てよ、ナリがこんな目に遭ってる状態で、本部が知ってて何もしてないのか?」

 俺は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。話を聞く限り、牡丹たちの組織はナリに多大な恩義があるはずだ。それを桐谷に良いように扱われている状態で――

「志藤宗正」

「は?」

「その名前に覚えはある?」

 覚えも何も、この家で同居していたじいさんの名前である。忘れるわけが無い。

「そりゃあもう、中一までここで一緒に暮らしてた人だよ」

「あら、そうなの。彼が桐谷の傍流と言うことで、ナリの社を管理していた。そういうことよ」

「……」

 ということは、俺は一瞬で怖い想像をしてしまう。

「ほうほう、ソーマとこんなところでつながりがあったとは、儂の姿が見えるのも、その血筋によるものが――」

「なあ、これ、素人の考えだから自信ないんだけど、聞いて貰って良いか?」

「――ええ」

 牡丹は俺の雰囲気を察して、口元を引き締める。

「志藤家って、ナリの社を管理してたんだよな、そんな一族から殺人を犯した人が出たらどうなるんだ?」

「ソーマ、おぬし……」

「たとえば、世話係が世襲だとして、その人の子孫が居なかったとしたら?」

「……」

 重苦しい沈黙が横たわる。それは俺の問いが俺の想像通りの答えを持っている証左だった。

 つまり、桐谷はナリを完全に消滅させるつもりで動いていた。

「……話が途中で終わったわね。志藤が元々管理していた土地に、桐谷が同化、乗っ取りを行って、最終的には新興勢力である嶋田――松鶴寺がこの土地を管理するようになった。ここまでは良いかしら」

 牡丹の言葉に頷くと、彼女は話を続ける。

「松鶴寺との表向きは融和のため、裏としては嶋田から嫁を貰うことで、批判の勢いをそごうとした桐谷だったけれど、その中で二つの勢力に分裂した。表向きの意味をそのまま受け取って融和に努めた志藤をはじめとする傍流側と、なんとか桐谷の権力を再興させようとする本家側……もちろん傍流側は弱く、小さな派閥だったから、表向きは本家に従うしかなかったようね」

 その説明を聞きつつ考える。融和に努めようとした志藤側と、あくまで本家の再興が目的だった桐谷側、当然力関係は志藤側が不利で、おそらく強権を使えば従わせることもできただろう。

 だが、今の状況を考えれば桐谷はすでに衰退している。つまり、佐恵さんが殺されたことに何の意味も……

――だけど、それは意味が無かったの、周囲の流れは変えられない。貴方の先祖は桐谷の役に立たなかった。期待を裏切ったの。

「っ!!!」

 頭をがつんと殴られたような気がした。俺の親父が死ぬ間際、そう言われていた記憶が、急に今の言葉とつながった。つまり、親父の時の霊障と、今回の霊障が同じだとすれば……

「ソーマ?」

 俺を心配して、あるいは俺の身体からあふれる感情を察知して、ナリが肩に手を置いて声をかけてくれる。

「……いや、大丈夫、調べたことはそのくらいなのか?」

「ええ、それ以上は図書館の中に資料はなかったわ」

「じゃあ、飯を早く食っちまおう」

 俺は弁当のご飯を口の中に塊で放り込む。一時的な怒りで、頬の痛みは感じなくなっていた。

 どうする。原因が分かったところで、どうすればいいのか分からない。相手が人間なら、どこに居るかくらいは分かるが、相手は神霊だ。どこに居るかも分からなければ、どう対応するのかも分からない。

 それと、霊障の発生する条件だ。桐谷大神の本体をどうにかしなくても、条件さえ回避すればなんとかなるかもしれない。これ以上、桐谷に俺と俺の周りを好き勝手されてたまるか。

「っ、よし、ごちそうさま」

 両手を合わせて、プラごみとそのほかのゴミを分別する。ナリはどら焼きをもう食べ終わっていたし、牡丹もすでに食べ終わっていた。

「片付けは――」

「いい、いい、どうせゴミ箱に捨てるだけだし、麦茶でも持ってくるから、飲みながら本の山を崩そう」

 手伝おうとする牡丹を制して、俺は台所にあるゴミ箱に分別をして放り込み、グラスを三つ出して作り置きの麦茶を注ぐと、部屋にすぐ戻る。なるべく早く情報を知りたかった。

「よし、じゃあ早速調べようか」

「その前に、ソーマよ」

「ん?」

 神棚の近くから、数冊まとめて抜き出したところで、ナリが俺を呼んだ。

「……少し深呼吸して休んでおれ、どうせ古文書は読めないじゃろ」

「でも、それじゃあ――」

「落ち着けと言っておる。先ほどから、様子がおかしいぞ。やはり神霊との戦いの時に何かあったのか?」

「それは……」

 ナリのあくまで冷静な言葉に、俺は我に返る。そうか、俺は二人に親父の死の間際言われたこととか、俺しか知らない事情で突っ走っている部分があった。

 ナリの言うとおり、一度深呼吸をすると頭がクリアになってきた。

「……今まで話していなかったことで、分かったことがあったんだ」

 そうだ、俺が分からないからと言って、ナリが知らないわけじゃないし、牡丹も知らないわけじゃない。情報は共有して、相手にどう対抗していくかを考えなければ。

 俺は思い直して、自分の中の仮説を話した。

 澄玲ちゃんを襲う霊障と、親父が受けた霊障は同じ物で、桐谷の氏神である桐谷大神の祟りであると言うことを伝える。根拠は薄いが、俺が実際に見た直感だと伝えると、二人は納得してくれた。

「――それで、つまり桐谷大神を調伏するためにどうすればいいかを探るか、霊障の発生条件を知ってそれを回避する方法を探したいんだ」

「なるほどのう、ソーマが焦るのも頷ける。ではその情報を目当てに探してみるか」

 一人で突っ走ろうとしたことは咎めず、ナリと牡丹は二人で調査の方針を立てる。

「ありがとう。それと、ごめん。ちょっと冷静になれていなかったみたいだ」

 咎められないというのは、またある意味で咎められるのよりも効果的だ。俺は急に自分が恥ずかしくなって、二人に頭を下げた。

「ふん、父親が死んだ原因を知って、冷静で居られる奴の方が信用できぬ。当然の感情を責める気にはならぬよ」

「それに、こういう資料は目的を持って漁った方が効率が良いから、むしろ感謝したいくらいね」

 二人はさも当然という風に返して、古びた本の山を崩し始める。役に立てないし俺は――そうだな、戸棚にとって置いたちょっと高めのお菓子でもお茶請けに出してやろうか。そう考えて、席を立った。


 お茶請けを用意して、席に戻った俺は、なんとなくナリの本名である焔剣稲荷大明神と、そのご神体である刀――常世火安綱について調べてみようと思った。まあ調べると言っても、検索エンジンで名前を入力する位なのだが。

 まず入力した常世火安綱だが、それ自体の名前はどこにも存在しなかった。安綱というのは平安時代の刀匠というのはかわらず、常世というのは普遍の世界、つまり神域を指していて、そこに存在する火は消えることが無い。つまりは強い意志や浄化の象徴なのかもしれない。

 焔剣稲荷大明神の方も、あまり具体的な情報は出てこなかった。こういうのはネットに情報を流さないようになっているのかもしれない。ただ、少し気になる記述を見つけた。

 焔剣稲荷大明神は破邪・解呪と剣術を司る瑞焔剣命(ずいえんけんのみこと)と同一視され、瑞焔剣命は、籠目紋と共に描かれることが多い日本古来の一柱です。その起源は明らかになっていませんが、同じ炎を纏い、煩悩を断ち切る倶利迦羅剣(くりからけん)を持つ不動明王と一時期は同一視されることもあったようです。

 籠目紋――そういえば、ナリと出会う時はかごめ歌に惹かれて出会ったな、雄輝のトンチキなかごめ歌陰謀論に怒り出さなかったのは良かったが、結局あの歌はどういう意味なのだろうか。

「ソーマ」

「うん?」

 かごめ歌について色々と漁ってみようかと思ったところで、ナリが一つの冊子を持ってこちらへ振り返った。

「解決法ではないが、それらしい記述があったぞ、ほれここ」

 ナリがそのページを開いてくれた。古い仮名遣いでかなり読みにくいが、どうやらこれはじいさんの日記らしい。

「……」

「……む、読み上げた方が良いかの?」

「頼む」

 なんとか読もうとしたが、あまりにも突っかかって読むのに時間がかかるので、ナリにお願いすることにした。

 ナリは「では」と一つ咳払いをして指でなぞりながらじいさんの日記を読み上げ始めた。

「今年で七〇歳、桐谷様からの『責任』を取れという言葉は聞こえてこない。志藤の家は三六を超えたところで死を持って償わなければならないのだが、どうしてか、自分だけはその枠に収まっていないらしい。宗真という再従兄弟の息子を預かることになったが、いつまで面倒をみられるのか」

「……」

 それは、ちょうど母親が父の後を追うように死んだ直後の日記だった。

 三六歳で志藤家の人間は死ぬ、確かに、親父はそのくらいの年齢で死んだはずだった。だとすれば、「桐谷様から責任を取らされる」というのは、このことだろう。

 俺が咀嚼し終わったのを察すると、ナリはまたページをめくって別のページを開いた。

「桐谷様の怒りを買わずにいるには、嶋田家の人間に近づかせないこと、特に宗太郎と佐恵の再来となるような婚姻からは絶対に避けなければならない。だが、宗真は嶋田家の兄妹と仲が良いようだ。桐谷様の力が弱まっているとは言え、不安は残るが、宗真の楽しそうな顔を見ると、二人から離れろとは口が裂けても言えない」

 ナリはそこまで読んで、俺の方を向く。

 俺はと言うと、感情を抑えるために深く深呼吸をして、冷静さを取り繕おうとしていた。

 俺が三六歳まで生きれば、俺は霊障によって取り殺されるし、嶋田家と親しくなればなるほど、澄玲ちゃんだけではなく雄輝まで危険にさらすかもしれない。

「……無理だな」

 端的に、俺は結論だけを述べる。嶋田家――あの二人から距離を置くことは絶対にしたくないし、それを避けられても三六歳で俺の人生が終わってしまうなど、到底看過できない。

「どうやっても、桐谷の呪いから逃げることは出来ない」

「それはどうかのう」

 俺の言葉に反応して、ナリが口を挟んできた。

「その条件から逃れて生きている人間と、つい昼間に霊障から逃れた経験があるじゃろう」

 言われて考えてみる。昼間、たしかに澄玲ちゃんは、松鶴寺の敷地内に入ってしまえば霊障の影響を受けていないようだった。それと、その条件から逃れて生きていた人間と言えば――

「じいさん……」

 そうだ、志藤家の人間が三六歳で早世してしまう家系なのだとしたら、じいさんはどうなる? 何か、彼だけが満たしていた条件があるのではないか。

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