第21話 ぎくしゃく
だからといって。
俺が鈴野を好きだからといって。俺は学級委員として鈴野の家に行かなければならないわけで。でも、だけど鈴野にどんな顔で会えばいい?
今まで俺、どんな顔してあいつと話してた? 笑ってた? 怒ってた? しゃべってた?
ぐるぐるぐるぐる。
考え出すとあれもこれも不安になって、結局かれこれ三十分、鈴野のマンションの入り口で右往左往。
そろそろチャイム鳴らすか帰るかしないと不審者だぞ、俺。
監視カメラ、そう、マンションには監視カメラがついている。
ええい、チャイムを――
「あら、山野井くん?」
「げ、おばさん?」
思わず「げ」と言ってしまったが、どうやらおばさんには聞こえていなかったらしい。いつも通りふんわりと笑っている。
まさかマンションの入り口で偶然ばったりなんてこと。
「琴音に会いに来てくれたの?」
「あ、はい、まあ」
おばさんは買い物帰りなのか、エコバックにパンパンの食材を詰めて、それを二つ、両手に持っていた。
この細腕でよくまあこんな量。
「あの、荷物、持ちましょうか?」
「あらいいの? 助かるわ」
おばさんはにこやかに俺に荷物を渡し、そんで、ポケットから鍵を取り出してマンションのドアを開け、俺はおばさんの一歩後ろについて歩きながら、透明なドアをくぐってマンション内へと入っていった。
「今日は山野井くん来ないって琴音が言っていたんだけど」
「あ。ああ、連絡入れるの忘れてて」
「まあ、そうなの。あわてんぼうさんね、山野井くんったら」
ああー。まぶしい! まぶしいですお母さん!
あっ、お母さんとかそんなおこがましい呼び方を!
いやまあ、確かに俺と鈴野が結婚したらお母さんがお義母さんになるわけですけれども!
って、ちがーう。
落ち着け俺、動揺しすぎだ。
「エレベーターって、耳がツンとして嫌よね」
「あ。はい。俺もエレベーターは苦手です」
「山野井くん、今日はちょっと……」
まさか、ばれたか? 俺が動揺していることを!
いや、そんなはずはない。俺はこう見えて嘘がうまい男だ。演じきれる男だっ!
だから決して、決してお母さんが心配するようなこと……
「今日はちょっと、制服がきちんとしてるのね」
ですね! はい!
ちょっと今日は緊張のあまりきっちり制服を着こなしてみましたよ! いやほんとは普段と変わんないけどね!
相変わらずゆるふわなおばさんにどきりとさせられつつ。
俺は自分の気持ちを自覚してから初めて、鈴野に会いに来たのだ(因みにあの確信を得てから二週間が経っていた)
「お母さんお帰り――って、あれ、山野井?」
「よ、よう!」
「え? だって今日来るって連絡なかった……」
と、ここで鈴野がルームウェアを着ていることに気づく。あれ? えーっと。それってつまり。
「ちょっと私着替えてくる!」
「はいはい、ゆっくりでいいわよ。さ、山野井くんは上がって?」
「あ。お邪魔します」
もしかして。
もしかしてこれって脈あり、ってやつ。なのか。
いや落ち着け。
単なる同級生だとしても、ルームウェアを見られるのは恥ずかしいだろ。そうだ、俺だってパンイチで鈴野に出くわしたら恥ずかしさで死にたくなる(ただし俺はパンイチで生活したことはないが)
そうだ、変に意識しすぎなんだよ俺は。鈴野はただ単に。単純にだらしない姿を見せたくないだけ。
そうだ、そう。
……成長したなあ……
初めてこの家に上がったときなんて、キャラクターもののルームウェアだったもんな。髪もぼっさぼさでいかにも普段のまんま! って感じだったもんな。
それが今じゃちゃんと着替えるようになって(と、しみじみするくらいには長い付き合いになった)
リビングに通されて、おばさんがせわしなく茶菓子や紅茶の用意をする。俺は傍からそれを見て、まるでプロポーズをしに来た彼氏のような居心地の悪い緊張感を抱いていた。
「山野井、着替え終わったから部屋来ていいよ!」
と、おばさんが紅茶を準備し終わるより先に、鈴野が俺を呼びに来た。
うううううう。
正直に言ってしまえば、ここ(リビング)にいる方が何百倍何千倍も気が楽だ。
それなのに。
「どうしたの山野井」
「ドウモシナイデス」
それなのに。
いつも通りにしなければならない手前、鈴野の部屋に行かないわけにはいかなかった。
のはいい。
そこまでは何とか我慢できた。だがしかし。
「山野井、今日変だよ」
「変? そうか?」
「うん、ロボットみたい」
「へえ、ロボット……」
いやいやいや。ロボットどころか俺は正真正銘人間ですからね!?
この恋心というやつは紛れもなく人間の証ですからね?
これのせいで今俺がどれだけ緊張やらなんやらかんやらしているか分かりますか!? わからないよね!?
「おーい、山野井」
「……」
何か。
何か話題を探さなければ。
そうだ。もうすぐ文化祭がある。文化祭、鈴野の焼き菓子。それから、あとは。
「検便!」
「は?」
「検便はもう提出したかね?」
うわあああああ。最悪じゃね、これ。
何で開口一番う〇この話してんだよ俺は。
ほらもー! 鈴野がジト目で見てきてるし! うっわ、痛い。視線痛った!
「山野井、それを女の子に言わせる?」
「鈴野って女の子だったんだっけ?」
「はあ? しょうもない男ね、山野井って」
はーもう、何とでも言ってくれ。う〇この話の方がまだましだ。
二人きりになって会話が続かないよりは。二人きりになって恋バナするよりは。二人きりになって俺の気持ちがばれるよりは。
鈴野はプリプリしながら、
「今日はいきなり来たから漫画の用意してないし」
「い、いいよ別に。俺も小説用意してないし」
「そ。あ、あとお茶菓子もないよきっと。さっき私全部食べちゃったんだよね」
「そ。お構いなく」
カッチコッチの俺が不自然だということに、さすがの鈴野も気づいたらしく、
「何かあった?」
「何かって?」
「……学校で、その――」
言い淀んだ。
何か言いにくいこと。学校で、俺が。何かあった?
何もあるわけがない、何も。
いたって今日も普通の木曜日。学級委員の起立礼をやって、職員室に多田からの手紙を預かりに行って。
いつも通り池田は部活に行って、俺は帰宅部(池田には俺が鈴野の家に定期的に行っていることはいまだに言っていない)
そんで、いつも通りではなく鈴野の家に来てあげてもらって。で、今さっきおばさんが紅茶を持ってきてくれた。
「何もないよ」
「本当に?」
「疑り深いな。何かあるわけないだろ? 鈴野は何を心配してんの」
何の気なしに。
本当に、彼女の心のうちなんかみじんも察することなく。何の気なしに返事をした。
なのに。
「ええ、なんで泣くの!?」
鈴野はぼろ、っと涙をこぼした。ええ、っと。
俺がよそよそしいのがそんなに嫌だったか? それとも俺が鈴野を好きだってのがばれて気持ち悪くて泣いたとか?
絶対に後者だな、絶対に。
「鈴野ごめ――」
「私のせいで山野井が笑われたんじゃないかってっ!」
俺の声は、鈴野の声にかき消された。
誰が誰のせいで笑われるだって?
「鈴野何言って」
「私。私、オタクって笑われようが訛ってるって笑われようが痛くもかゆくもないんだよっ!?」
何が、言いたい?
笑われるのは怖くない? それなら何で学校に来ないんだ?
痛くもかゆくもない? なら何が怖いんだ?
「私……」
大粒の涙が、赤ぶちのメガネのレンズにくっついて、鈴野の右目はよく見えなくなった。が、左目はよく見える。じっと、じいっと俺の方を見ている。
「私ね、中学の時クラスメイトにオタクってことがばれたの」
「……うん」
なんとなく。
なんとなく、話が見えてくる。鈴野が今の鈴野になった理由。学校にいけなくなった理由。
「でもね、クラスメイトは私じゃなくて。私の親友をいじり始めたの」
それはきっと、とても。
「『オタクと友達なんて恥ずかしくないの?』って」
とても、辛いこと。
友達を傷つけられるというのは、とてもつらいこと。自分が責められるより、もっともっと残酷なこと。
それを、された。
鈴野は、された。
「私、悔しくて。自分のせいで友だちが馬鹿にされてるのが申し訳なくて」
ぼた、ぼた。
鈴野の目からこぼれる涙は留まることを知らない。
眼鏡が曇るほど、涙の雫があふれ出し。
「だから、私なんかが友達だと、山野井もきっと、学校で笑われる……」
つまり。
つまり鈴野はずっと。ずっと俺のことを考えていてくれた。
自分のことじゃなく、俺の事。他人の事。友達の事。
そんなの。
「鈴野。俺は鈴野が恥ずかしいとか、そういうことは思ったことない」
「山野井?」
「だってほら、俺だって人に言えないオタク趣味あるし」
「でも、でも山野井は趣味このと誰にも話してないんでしょ? 私といたら、そのうちばれちゃうかも」
「ばれたらばれたでその時だろ。別に俺、自分の趣味も恥ずかしいと思ってねえし」
これはちょっと盛ったかもしれない。
確かにオタク趣味に関しては、誰にもばれないように生きてきた。
少なくとも、こういう趣味は恥ずかしい、そういう風潮はあったから。でもさ。
「俺、鈴野とおんなじ趣味があってよかったって思ってる。そのおかげで友達になれたし」
でもさ、これだけは本当なんだ。
鈴野が好きだということを抜きにしても、出会えてよかったって思えるんだ。
くっさいセリフだけど。だけど鈴野。
「別に鈴野が来たくないんだったら文化祭も、学校も来なくていいよ」
「……」
「だけど、自分のせいで俺に迷惑がかかるとか、そういう悲しいことはもう二度と言わないでほしい。俺は鈴野が好きだから」
って。
えーと。
え!?!?!?
ちょっと待って、言う予定のなかった言葉が思わぬ拍子にポロっと出ちゃったんだけど?
待った待った待った今のなし。今のは……
「ふ、ふふ」
「鈴野?」
「ふふ、あはは。山野井ったら。私も山野井のこと好きだよ」
「え」
「大事な友達だもんね!」
ああ、ですよね。なんかよかった、いい感じに勘違いしてくれて。
いやまあ、このタイミングであのセリフだったら勘違いする、っていうか、友達として好き、って意味に捉えるよな。たぶん、いや絶対。
ともあれ。
「文化祭は行けたら遊びに行く予定」
「マジで」
「マジです」
グーっと親指を立てる鈴野は、俺が知っている中二の鈴野だ。紛れもなく、俺が知っている、俺が恋している、毒舌でツンデレな。
「でも、学校は行かないかな」
「え。何で」
「だってほら、留年確定したのに行く意味ないじゃん」
「あー。まあ、そうだよな」
ということは、だ。
この口ぶりだと、来年(二度目の高校一年生)は行くってことなのかな。
まあ、まだ先の話になるけれど、その時は、たまに。たまに一年のクラスまで遊びに行ってやってもいいかもな。なんて。
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