第20話 好きだ

六、文化祭、好きですか



 新学期、新しい空気、新しい席。

 二学期の始まりの今日、クラスでは席替えが行われた。

 俺は結構今の席が気に入っていたのだが(窓際の一番後ろという特等席!)やむなくその席とさよならすることになってしまった。

 その代わり、なのか。

 俺は鈴野と隣り合わせの席になった。まだ一度しか使われていない鈴野の机の、隣に。



「へえ。私山野井の隣の席なんだ」

「そうなんだよ、偶然って怖いよな」

「そうだね、偶然は怖い」

「だよなー」

「ん」


 なぜこうもたんぱくな会話が続いているのかと言えば。

 俺はローテーブルの前に座り、ルーズリーフに原価と売り上げ予想の数字を羅列していて、対して鈴野は、大量に焼くクッキーとパウンドケーキの分量計算をしているからだ。

 二人とも、数学に弱い。

 こと、こういう精密さを要するものは特に弱いようで。

 かれこれ三時間は、こんな感じなのだ。


「だー! 何で原価計算合わねえんだよ!」

「うるさい山野井! 計算式忘れちゃったじゃん!」


 俺に比べたら鈴野の計算は楽だと思うんだが(後で聞いた話、菓子作りの命は分量計算なんだそうだ)

 だが何分、俺も鈴野も不器用だ、うんうんとうなりながら計算を続けることそこから一時間。


「でき、た……!」

「私の方も計算は何とか。あとは実際に試作するだけだー!」


 わー、っと二人でハイタッチする。


「お疲れ私! と、あと山野井もねぎらわなくもない」

「はいはい。相変わらずだね鈴野は」

「何その雑な扱い」

「別に雑とかじゃねえし」

「雑だし!」


 解放感から、俺はその場に横になる。

 言っておくがここは鈴野の部屋で、今日は鈴野のおばさんが家にいるとはいえ、俺と鈴野は二人きりだ。

 それでも、俺はもう、鈴野の部屋で変な考えを起こしたり遠慮をすることはなくなった(意識しないようにするのも意識しているのと同じことだからだ)

 で、俺が寝転がると決まって、鈴野も寝転がる。


「あー、疲れた。脳が疲れた。こんな時彼氏がいたらな~」

「ハイまた出た~、鈴野の彼氏欲しい発言」


 寝転がったまま、お互いの顔は見えない。見えないながら、相手の顔がどんなものなのか、なんとなく予想ができてしまうくらいには。


「山野井その顔むかつく」

「いや、鈴野だって結構ひどい顔してんだろ。計算のし過ぎで」

「うるさいなあ」

「よっと」


 腕を振って勢いをつけて起き上がる。

 向かいの鈴野は相変わらず寝転がったままだ。

 鈴野はたまに、コンタクトをする。それは主に、街に出かけるときだけ。

 腹宿に行った後も数回、鈴野と遊びに出かけたことがある。その時は決まって鈴野は女の子らしくなった。

 メガネはコンタクトに変えて、服も少しおしゃれして。


「なあ、鈴野」

「何」


 鈴野はあおむけに寝転がったまま、天井のシミをなぞるように手を動かしている。

 リラックスしている、お互いに。


「文化祭、遊びにくんの?」

「行くわけねえべ」

「うわここで方言出すか?」

「ごめん素が出た」


 にへへ、と笑いながら鈴野は起き上がる。

 寝転がっていたせいで髪の毛が乱れていて、鈴野は手櫛で髪を整えながら、


「だって私が行ったらみんな、楽しいのが台無しになっちゃう」


 右手の人指し指と親指が、おくれ毛をつまんだ。

 ああ、そういうことね本当にわかりやすい。

 思わず笑いが漏れてしまい、


「何笑ってんの」

「別に。鈴野って嘘つくの下手だよな」

「え、別に嘘なんかついてないし」

「良いこと教えてやろうか」


 もったいぶっても仕方ない、こいつの無意識の癖、教えてやろう。俺は優しいからな! ふはは!


「鈴野ってさ、嘘つくときとか照れた時、右手でおくれ毛を触るんだよ」

「え……!」


 言い逃れできない状況。

 なぜなら鈴野は今まさに、おくれ毛を右手で触っているから。

 が、しかし。

 鈴野はとっさに右手を膝の上に持っていき、誤魔化すように、


「知ってるしそんなの。わざとだもん」

「いやわざと相手にわかるような仕草する人間なんていないだろ」

「でも私のはわざとだもん!」

「あーはいはい、負けず嫌いだねえ」


 本当に全く。

 素直じゃないのはお互いさまかもしれない。

 俺だってたまに、鈴野に嫌味を言ってしまうから。まあ、鈴野に比べたらはるかにかわいらしい嫌味ではあるのだが(と、自分では思っている)


「山野井ってお人よしかと思ったけど、案外そうでもないよね」

「今頃気づいた?」

「はあ? 最初から気づいてたし! 何そのどや顔! むかつく!」

「はいはい、ソウデスネ」

「むきー!」


 いや、むきー、って。鈴野、俺は本当にオマエのそういうところが心配だよ。 

 仮に鈴野が高校生活に戻れたとして、友達の前でその中二的な発言が出てしまわないかと(過保護な親になった気分だ)


「と。そう言えば鈴野さ」

「なに」

「学校、やっぱり来ねえの?」


 ふと。

 本当にふと。時々、ふっと思い出す。鈴野が不登校だってことを。

 最初のころはその話題には触れずにいたが、今はもう昔の話だ。俺も鈴野もそんなやわな関係じゃあない。


「行かないよ」

「何で?」

「食いつくね」

「まあね。いつもはぐらかされるからな」


 ローテーブルをはさんで向かい合わせに座っている。鈴野は俺から目をそらすわけでもなく、


「だって今さら行ったって、留年に変わりはないじゃない」

「だけど、友達は作れる」

「要らないもん、友達なんて」


 あー、ほらまたひねくれた答え。どうせまた、『友達がいなくても寂しくない』とか言うんだろ。全然進歩しないやつ。

 だけど。


「山野井が居ればほかに友達なんかいらないでしょ」

「そうだ――へ?」


 面食らった。

 成長している、鈴野なりに。

 だが、今はそんなことを喜ぶ暇すらない。えーと。友達、って。

 初めて言われた気がする。鈴野に。友達、なんて。

 どう返せばいいんだろうか。「そうだな」それとも「何臭いこと言ってんだ」


「ぷふ、何て顔してんの、山野井」

「だ、だって……」

「その顔傑作。写真撮っちゃお」


 鈴野はローテーブルの上に置いてあった携帯を掴み、慣れた様子でカメラを起動する。俺はとっさに顔を隠すこともできず(じーんと胸が熱かったなんて)

 カシャ。

 鈴野のカメラは俺の写真をばっちりととらえた。


「山野井、抵抗してくれなきゃつまらないよ。私の方が恥ずかしくなるでしょ?」

「いや、だってさ、鈴野がそんなこと言うなんて俺……」

「あーもう、しみったれたのはやだからね!? それに私、学校に行くって言ったわけでもないんだから」


 しみったれた雰囲気にしたのは誰だ、馬鹿。

 鈴野は先ほど撮った写真を画面いっぱいに表示して、俺の方に見せる。


「ほら、山野井の顔、間抜け」

「いやそれ消せし」

「消さないし」

「いや消せよ」

「や」


 腕を伸ばして鈴野から携帯を奪おうとしても、案外それはうまくいかない、ちょこまかと器用なやつ。そんなに俺の間抜け顔見て笑いたいのか、ああそうですか。


「山野井、怒った?」


 携帯を取り上げることも諦めた、鈴野の方を向くこともしない。

 俺は今さっき仕上げた原価計算表に目を落とす。

 ふりをした。


「隙あり!」


 鈴野が俺の顔を覗き込んだその瞬間、俺は鈴野の手から携帯を奪って、


「消すからな」

「や、やだ返してよ!」

「やだじゃない。人の顔撮って何が……」


 鈴野の画像フォルダを開く。と、画像フォルダに一つ一つ名前がついていた。

 料理、お菓子、お洋服、家族。それから、


「『やまのい』?」


 画像フォルダ名、やまのい。

 って、俺のことだよな? 結構俺の苗字って珍しいし。

 だとしても、俺は鈴野と一緒に写真撮った記憶なんかないんだが? あれか、隠し撮りか? 隠し撮り……

 え、ええ? 鈴野ってまさかもしかして隠し撮りするほど俺の事……??


「返しなさい!」


 画像フォルダやまのいに気を取られ、鈴野の存在が頭から消えていた。故に俺は、あっさりと鈴野に携帯を奪い返されてしまった。

 くっそ、画像フォルダやまのい、何が入っているんだ!


「あ。……山野井見た?」

「見たって何を?」


 そわっと落ち着きなく、お互いに。


「画像フォルダ」

「……見ました」

「うわー!」


 恥ずかしい時、鈴野は顔を隠す癖がある。雑誌で隠すことが多いが、今日は近くに雑誌がなかったので携帯で顔を隠していた。まあ、隠れてないけど。


「これね、山野井と出かけた時に撮った写真が入ってて」

「あ。ああ、そっか。そういうことね」


 だよねー!

 まさか鈴野に限って盗撮なんかしませんよね! しかも俺の写真なんか撮ったって何の得にもなりませんよねー!

 と、自分を慰めて、


「山野井とさ、一緒に撮った写真ないじゃん。だから、山野井の写真も欲しいなって……だからさっき写真撮った」

「うんそう――って、ええっ!?」


 ここにきて最大のデレ。

 いやまあ可愛くないって言ったら嘘になるんだけど、こういう場面で素直になられてもほんと困るだけだから! 

 え、何か気まずいじゃん。え、鈴野、それは他意はないんだよね? 友達として、だよね。

 落ち着け俺。


「別に。そうならそうと早く言えよ。写真なんて減るもんじゃねえし」


 いや、写真なんてもう何年も拒絶してるし。男友達同士でなんか自撮りしないし。親にだって写真撮らせないくらいなんだから。

 だとしても。


「いいの?」

「だから、いいって言ってんだろ」


 ほかならぬ親友のためだ(ただの言い訳だ)


「じゃ、じゃあ……」


 てっきり俺のピンの写真が欲しいのかと思っていた。んだが。

 鈴野はおもむろに立ち上がって、俺の隣まで歩いて座る。で、インカメラを起動して、


「セルフタイマー三秒ね」


 なんて。

 なんて、さも当たり前のように俺にくっついてきたのだ。

 ええと。えーと。えええええと!

 キャパオーバー。機能停止します。

 俺、山野井みことは確信を得た。


『三、二、一……』


 カシャ

 確信した。今まさに、確信した。

 俺は、鈴野琴音が。


 好きだ


 なんてこったい!

 マジで、マジなのか、俺。

 どくどくと心臓が破裂しそうなくらいに脈打っている。おまけに変な汗も流れ出す始末。

 落ち着け、俺。

 ひとまず落ち着かなければ、鈴野に変に思われる。

 平常心、平常心……


「ありがと、山野井」

「いや、別にいいってもんよ」

「なんか汗かいてるけど、クーラーきいてない?」

「あ、ああ。少し暑いかもな」


 少し、じゃない。

 とてつもなく、熱い。暑くてあつくてアツクテ、血液が煮えくり返りそうな、そんな感覚。

 体の中心から外に向かって、俺の熱という熱が噴き出してる感じ。

 とにかく、あつい。そして、心臓の音が耳に響く。

 まずい、まずい。

 一刻も早く、ここを立ち去らなければ。


「鈴野」

「なにさ」

「ちょっと用事思い出したから、俺帰るわ」

「……? 分かった」


 きっと鈴野はつゆほども思わない。そして気づくこともない。

 俺が鈴野を好きだってこと、この先どうしようかと悩んでいること。

 どうしよう、マジでどうしよう。

 悶々としながらの帰り道、俺は最寄り駅を乗り過ごすという漫画のようなベタな動揺を見せた。

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