第18話 パンケーキ
せっかく腹宿に来たんだから、と、鈴野はあらかじめ調べていたのであろうパンケーキ屋に連れて行ってくれた。
「ここは私のおごりだから、好きなの食べて」
「いや、好きなのって言っても……」
周りの客は、女子女子女子。
俺がいることが場違いに思えた。ていうか、場違いだよな?
しかも、だ。
女の子たちが頼んでいるパンケーキを見るに、そのボリュームはまさに殺しに来ているとしか思えなかった。
手のひら大の分厚いパンケーキが二枚。に、富士山より高いんじゃないかってくらいのホイップクリーム。
まさに殺人級。
「お、俺……甘くないやつが良いかな」
「いや、山野井。ここは甘いのしかないし、甘いのが売りなんだから甘いのにしなよ?」
甘い甘いと連呼されるだけで胸やけがした。
俺は決して甘いものが嫌いなわけではない(何しろ鈴野の作る菓子は今のところ全部完食しているくらいだ)
それでも、ここまで大きなパンケーキとホイップクリームを完食できる自信がなかった。
まあ、食べきれなければ残すという方法もあるが、それは俺のプライドが許さない。
出されたものは最後まで食べる、それが俺のポリシーだった。
「じゃあ、一番シンプルなこれで」
と、俺が指さしたのは、イチゴのパンケーキ。シンプルにパンケーキ二枚とホイップクリーム、そこに半分に切ったイチゴは数個。
「そう。私はこれかな。キャラメルチョコバナナ」
マジっすか。
俺絶対これ完食できる自信ないんだけど。パンケーキにバナナって、炭水化物オン炭水化物みたいなもんじゃね?
マジか鈴野、強えな。
「あ。注文お願いします!」
ここで鈴野は慣れた様子でウェイトレスさんを呼び止めた。そしてすらすらと注文を済ませる。
えーっと。
鈴野は人嫌いで不登校で、だから、だ。
だから俺は偏見で、こういう人ごみだとか、お店の人に話しかけるのだとか。そういうのは苦手だとばかり思いこんでいた。
だが、どうだ。
鈴野はどこからどう見たって普通の高校生。誰が鈴野を不登校児だと見分けられようか。
つまりはそうだ。
偏見というのは、恐ろしい。
この五カ月、付き合ってきた俺ですらそういう偏見がぬぐえないのだ。
クラスメイトなんかはそりゃあ、鈴野がいきなり学校に登校してきたら、ゲスト扱いにもなる、腫れ物に触るような扱いにもなる。
それはきっと、とても。
「何、山野井」
「いや別に……鈴野ってさ」
「何さ」
「だいぶ生きづらい世界に身を置いてんだよな」
「……急にどうしたの。今さら?」
「うん、今さら」
それはきっととても息苦しい世界。
学校に行かない(行けない)罪悪感。だけれど、行ったら行ったで特別扱いされる。
身の置き場がない。
「別に私は、自分で選んで学校に行ってないから。窮屈だとかそういうのは、ないよ」
「そっか」
「でもね」
鈴野はおしぼりの封を開け、指をきれいに拭きながら、
「でもね。たまに思う。ちゃんと学校に行っていたら、今頃私は何してたのかなって」
「……」
返す言葉なんか、見つからない。
「もしも。もしも私が不登校じゃなかったら、山野井は私の友達になってくれてたのかなって」
「それは……!」
「なーんてね。私がそんなこと思うと思った? 買いかぶりすぎ!」
そうやって茶化して誤魔化して笑うけれど、俺は知っている。
鈴野は右手でおくれ毛を耳にかけたから。だからこれは、少しの嘘が混じっている、と。
友達になったか、だって?
そんなの俺にもわかんねえよ。ただ、これだけは言える。
「でも、今は友達だ。現実、実際に、俺と鈴野は友達になった。それ以外何もないだろ」
「……何それ。山野井くっさいセリフ!」
「言っとけ!」
俺だって分かってるよ、こんなセリフ、漫画でしか聞いたことない。けどな、けど。
鈴野の前でなら言えてしまうから自分でも不思議なんだ。もしかしたら、俺はもう鈴野にだいぶ影響されるくらいには親友になっちまってるのかもしれないな。
「お待たせしました」
二人でしばらく黙りこくっていれば、ようやくパンケーキがお目見えした。
にこにこ顔の鈴野に対し、俺はと言えば……
「マジかよ。これ全部食べるの?」
「大丈夫だって。ここのホイップクリームは豆乳だから軽いんだって」
言いながら、鈴野は早速ナイフとフォークを手に取った。
かと思えば、何を思ったのかナイフとフォークをいったんテーブルに置いて携帯を取り出す。
あ、あれか。インストゥ映えってやつだ。と、瞬時に理解する。
「何だよ、インストゥでもあげんの?」
「インストゥはやってないよ。トゥイッテーにアップするの!」
かしゃり、きれいに画面にパンケーキを収めて、鈴野は改めてナイフとフォークを手に取って、分厚いパンケーキにナイフを入れた。
結果から言おう。
パンケーキ、おそるべし(そして鈴野の胃袋も!)
あれだけあったパンケーキを、鈴野はものの三十分で平らげた。で、俺はと言えば。
「残すわ。無理」
「えー、もったいない。あと一口じゃん」
「その一口が曲者なんだよ」
こんな華奢な体のどこにあのパンケーキが消えたのだろうか。まるで鈴野の胃袋はブラックホール。
男の俺でさえこんなに苦しいというのに。しばらく甘いものはいらねえわ。
「もう、じゃあ私もらっていい?」
「いや、いいけど……」
食べかけ。もとい、もしかしてそれって間接キスじゃね? なんて思う余裕はない。胃袋が苦しい。出そう、色んなものが。
だがしかし、鈴野は涼しい顔で俺の残したパンケーキをぺろりと平らげた。
マジか、鈴野。ここまでフードファイターだったとは……
「大丈夫、山野井?」
「いやマジで危ない。ちょっと食休みしてっていいか?」
「いいよ。私トゥイッテー見てるから存分にグロッキーになってていいし」
「グロッキーって……」
「前にお母さんと来た時もね、お母さんグロッキーになっちゃったんだよね」
「それ先に教えてほしかったデス」
もう周りの目なんか気にしない。
俺はテーブルの上の皿を端に寄せて、空いたスペースに顔を突っ伏した。
げっぷが甘いホイップの味がして、苦しくて苦しくて、結局食休みは三十分という長丁場にまで至った。
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