第17話 ミミちゃん

「遅いな。遅すぎる」


 翌週の日曜日、午前十時。

 俺は人でごった返す腹宿の駅で待ち人を探した。

 そういえば、鈴野と外で会うのは初めてだったな。あいつ、どいういう服着てくるんだろ。もしかして、ミミちゃんに会いに行くからあれと同じ系統?

 いやいやいや。それはない。いや、それだったらマジで隣を歩くの勇気いるんだけど?


「――い、山野井!」

「うへぇ!?」


 考え事をすると周りが見えなくなるのは悪い癖だ。

 いつの間にいたのか、鈴野の声に俺はびくっと跳ね上がった。しかも変な声出た。漫画じゃあるまいしっていう叫び方(もしかしたらそれは、鈴野に影響されたのかもしれない)


「何ぼーっとして」

「遅かった――」


 よくよく見て、固まる。

 あれ、眼鏡は?

 あれ、その服何?

 あれ、化粧なんかできるの?

 鈴野は鈴野であって鈴野じゃなかった。

 いつもとは違う、少しだけかわいらしい服(いつもよりほんの少し丈の短いスカート)、それから眼鏡はコンタクトに変えて、んで、少しだけ化粧をしてる。

 どき、どき。どき!

 え。待って。今俺、かわいいとか思った? いや思ってないよね? 鈴野は鈴野で鈴野なわけだから……


「な、何よ。私がおしゃれしたら変?」

「え。声出てた?」

「出てないけど、山野井分かりやすいから言いたいことは分かる。ねえ、客観的に見て今日の私は変なの?」


 なんて。

 なんて、そんな風に素直に聞かれてしまったら、素直に答えるしかない。もとより、この状況で嘘をつけるほど俺は器用ではない。


「変じゃない。最初の時よりはるかにかわいい」

「かわ、え。ちょっとそういうお世辞は良いから。ファッションとしてどうなのかって話」

「いや俺は男だから何とも」

「ちょっとなんで目ぇ逸らすの? だって山野井言ったよね? ファッションの相談に乗るって」


 そんな昔の事。

 確かに言ったよ、俺は美術が三だって。だからファッションアドバイスもできるって。

 あんなの、あの場のノリだろ。本気にするなよ!

 ていうか、男の俺が女の子の服のセンスの如何についてとやかく言える立場にないって、今気づいたんだよ。

 ぶっちゃけ、俺の個人的な意見、好みを言わせてもらったらそりゃあ、似合ってる。可愛い。変じゃない。

 だけど何分、俺は自分のセンスに自信がない。

 なのに。


「どうしよう家帰って着替えてきていい?」


 なんて、弱気になるものだから、


「いや、似合ってるんだからそれでいいだろ」

「似合ってる? 本当に?」

「俺は嘘は言わん」

「……怪しいけどね。まあいいや。家帰ってたら時間なくなるし、握手会、行こうか」


 ふんふんと鼻歌交じりに歩き出す。鈴野はご機嫌な時は大抵忍忍帳の鼻歌を歌う。が、普通の女の子って鼻歌歌うもんなのかな? 百歩譲って歌うもんだとしても、忍忍帳の主題歌はちょっとあれだよな……今更気づいたけど。

 だがまあ、今日は楽しいことが待っているわけだ、水を差さないでおいてやろう(ただし帰り道にそれとなく鼻歌がダサいと伝えよう)



 腹宿の雑踏はそれこそ雑踏という言葉がふさわしく、右も左も前も後ろもひと人ひと! だった。

 こんな街、何が楽しいのだろうか。今時の若者はよくわからない。とはいえ、俺も十分に若者なのだが、何分腹宿とは縁遠い世界に生きてきた人間なのでそこはツッコまないでいただきたい。

 腹宿の町をさまようこと十数分。


「鈴野、まだか?」

「うん、ちょっと待って、確かこの辺……」 


 鈴野は先ほどからしきりにぐーぐるまっぷを検索していて、どうやらミミちゃんの握手会会場はとてつもなく大きな書店の地下が会場のようだった。

 迷路のような裏路地を抜けて、人気のない(お化けの出そうな)道を進んで、つきあたりを右に。

 すると道が開けてきて、大きな書店のビルが見える。


「ここ! ここだよ、握手会場!」

「へー。腹宿にこんなところがあるなんてな」

「早く行こう! 開場十一時からなんだ!」


 鈴野は小走りに書店の中に入っていく。が。


「どっちだろ」

「右じゃね?」

「え。私左な気がする」


 何せ書店内も広く迷路のような作りだ。俺も鈴野も迷いに迷った(ちなみに鈴野は極度の方向音痴だった)

 地下に着くまでに十分かかり、そこから待機列に並ぶこと小一時間。


「もう少しだね」

「いやまだ先頭見えないけど」

「もう半分も進んだじゃん」


 鈴野は我慢強い性格らしい、俺とは正反対だ。

 俺はせいぜい待機列は十分までしか待てない。その点鈴野は何の苦もないようで、相変わらず握手券を握りしめて、今か今かと順番待ちをしていた。

 こういう様子を見ると、鈴野もただの高校生なんだなと、思い知る。

 何せミミちゃんは高校生のカリスマ的存在、嫌いな人間などいないに等しい。

 が、俺はどこかで思っていた。鈴野はオタク趣味があるから、ミミちゃんのような芸能人には興味すらないのだ、と。

 実際は鈴野は高校生らしくミミちゃんに絶大な憧れを抱いていたらしく、いよいよ鈴野の順番が来るや、


「わ、私足が震えてきた」

「おう、頑張ってこい。俺は外で待ってる」


 書店の地下の一角に、移動式の壁でできた間仕切りがある。その中に、ミミちゃんがいるらしい。外からは一切見えない。

 もしかしたらと。

 もしかしたら、俺もおこぼれでミミちゃんを見られるかもと少しの期待をしていたのだが、そうは問屋が卸さない。

 万が一にも芸能人が一般人の目に触れれば、騒ぎになる。故に、いつミミちゃんがあの間仕切りに入ったのかもわからないし、あの中にミミちゃんがいるのかすら俺には確かめようがないのだ。



 約十分。

 鈴野が間仕切りに入ってから約十分で鈴野は出てきた。

 ぽわん、と上の空の表情。それはきっと、ミミちゃんに会えたことを意味している。本当に中にいたんだな。


「お疲れ。どうだった?」


 訊けば、一気に鈴野は現実に戻ってきたようで、


「どうもこうもないよ。お顔小さいしいいにおいがした! で、お洋服も新作の着ていたし、お化粧もすごく上手! あとね、握手した手、柔らかかったしあったかかった! なんかもう存在が二次元な人だったよ! すごくかわいいすごくきれい!」


 一気に。

 機関銃のごとく喋った鈴野は、握手をしてもらったのであろう右手を、左手でぎゅっと握りしめて、


「私しばらく右手は洗わない」

「いやそれは普通に汚いだろ」

「いいの! だってミミちゃんのにおい消えちゃうじゃん」

「あーはいはい。妄信者みたいなこと言いだしやがって」


 とはいっても、正直に言ってしまえば羨ましい。

 ミミちゃんに会えたこともそうだが、そこまでミミちゃんを好きでいる鈴野自身が、羨ましかった。

 普段はやる気のない、辛辣なツンデレな鈴野が、この日だけはただの高校生にしか見えなくて、何だかほほえましくもあったのだ(鈴野の成長を感じたのだ)

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