第16話 お願い
五、腹宿女子旅
期末テスト、があった。
聞いた話、鈴野は中間テストは自力でなんとかしたのだそうが、だがしかし、独学に限界があったようで……
「オマエって勉強苦手なのな」
「うるさいな。山野井の教え方が下手なんだよ」
「何だよ、教えてもらっておいて生意気言うな」
恥を忍んで、俺に勉強の教えを乞うてきた。とはいえ、あれは人にものを頼む態度じゃあなかった。
『勉強、教えなさいよ? 少しは人の役に立ったら?』
全く、どうやったらこうも生意気で(ツンデレな)発言ばかりが出てくるのだろうか、この口は。この口……口。
プルン、としていることに気づいた。鈴野の唇が。あれ、出会った時もこんなにつやつやしてたっけ?
これってあれか、今はやりの色付きリップ? こんなにぷるぷるになるもんなのか? いや、いつから?
「何見てるの、山野井」
「べ、別に見てねえよ」
「あーもう、山野井ってホントよくわかんないよね」
「そりゃこっちのセリフだ」
気づかなかったけど。気づかなかったけど最近鈴野のメガネが黒ぶちからおしゃれな赤色のそれに変わっていた。
いつから? 何で?
「あーもう、優しい彼氏がいたらよかったのにな~」
「な、何だよ藪から棒に」
「だってそうじゃん、優しい彼氏に勉強教えてもらえたら一石二鳥じゃん」
ああ、思い出した。
鈴野は彼氏が欲しくておしゃれを頑張ったり料理を頑張ったりするやつだった。だから、だ。
だからこうやって日々おしゃれになっていく。
うん、いいことだ。
けど。
「鈴野ってさ」
「何」
「鈴野って、出かけたりするわけ?」
「もう、藪から棒はどっちよ」
んー、と伸びをしながら、鈴野はその場にぺたんと横になった。いやまあ、ここは鈴野の部屋だから何をしようが自由ですけどね、ちょっとその……スカート着て無防備に横になられると太ももやら何やらが見えてしまうわけでして(だが決してやましい気持ちなど無い。断じて!)
「そりゃ、四六時中家にいたら疲れるもん、出かけるに決まってんじゃん」
「そっか」
「何、私の私生活が気になるって?」
にやり、笑いながら鈴野は起きあがる。
その瞬間。
ふわっと香ってきたのは鈴野のおばさんとはまた違ういいにおい。これはまさしく女の子のにおい。
あれ、どうしてだ?
最初に会った時はこんなことなかったのに。もしかして、香水をつけ始めた? シャンプー変えた?
いや、何て言うか。
「何その顔」
「何か俺、しみじみしちゃって。オマエも成長してんだなあって」
「は? 何それ?」
鈴野は本心から不服だったらしく、顔を不細工にゆがめた。まるで子供のように分かりやすい。
「だって、最初に会った時の服を考えたら、すごい進歩だよな」
「な……あれは黒歴史だから言わないで。東京に来たばっかで迷走してたんだよ」
「だとしても、だよ。ほんと最近おしゃれになって。これでコンタクトにしたらどこからどう見ても都会の女だね」
少し盛った。
都会の女、は言い過ぎだった。そこまで鈴野は洗練されてない(失礼だからはっきりは言わないが)
もとより、まだまだ高校一年生である鈴野なのだ、洗練されている方がおかしいというもの。
鈴野は今の鈴野が一番いい。かわいい、とは違うが。そこそこ見た目も性格も(ツンデレを除けば)東京に馴染んでいる。
「都会の女? や、やだもう、そんなに褒めたって何も出ないんだからね?」
「はいはい、わーってますって。お姫さま」
「姫……!? え、ちょっと何山野井、今日褒めすぎ!」
いや別に褒めてるわけじゃあないんだけどね。お姫さまってのはなんにも知らない世間知らずっていう皮肉だからね。まあ本人が褒め言葉ととるんなら否定はしないでおいてやるが。
鈴野はふんふんと鼻歌を歌いながら(因みに忍忍帳の主題歌だから、さすがは鈴野というところだろう)、俺のノートを書き写していく。
「山野井ってさ」
「なんだよ」
「案外、字、きれいなんだね」
「あーそれな。一応書道習ってたし」
「へー書道」
何気ない会話をしながら、鈴野はノートをすべて写し終える。で、ここからが本題なのだ。
「山野井、ここの文法なんだけど」
「あー。これか、えーと、これは――」
本題は、これ。
授業で習ったことを誰かに説明するという作業、これが難しいのなんのって。
それこそ、こういう経験がなければ教師への尊敬の念なんか抱かなかっただろうっていうほどに難しい。
多田、オマエはただの優男じゃなかったんだな。オマエの教え方は本当にうまいよ。鈴野のことも気にかけてるし、本当にオマエは教師の鏡だ。
「ねえ、山野井、ぜんっぜんわかんない」
「だーから。この場合の――」
だけれども。
できれば鈴野、勉強はせめて多田に聞いてくれ。俺じゃ限界がある。なにせ俺の成績はクラスでもびりの方、下から数えたほうが速いくらいだからな!
期末テストで無事赤点を逃れた俺は、夏休みを満喫――
「はー何なんだよもう学級委員とか滅びろ」
夏休みを満喫する余裕なんか与えられなかった。それは主に、十月に行われる文化祭に原因がある。
例によって夏休み前に開かれたホームルームで、文化祭の出し物を決めることになった。のだが。
「えーと、何か意見がある人――」
「喫茶店でいいんじゃね?」
「そうだね、無難だし」
「学級委員長ー! 喫茶店で決まりでいいです! なんで俺たち、もう帰りますね」
「いやちょっと待って、役割を」
とまあ、そんな調子で適当に出し物が決まり、
「役割は学級委員が決めていいから~。あたしたちも帰るね~」
役割分担まで押し付けられ、結果的に夏休み期間を削って俺が喫茶店の詳細を決めなければならなくなってしまったわけで。
「山野井、何か最近つまんなそうだね」
「いや、俺にも色々あるんだよ」
それでも、だ。
それでも俺は、鈴野の家に足しげく通った。
もとより。
もとより俺にとっては鈴野の家で漫画を読むことが唯一の気分転換になりつつあったから、鈴野のところに行くのは苦ではない。んだが。
「何かよ」
苦ではない、が。どうしても鈴野の前だと愚痴が出てしまうのだ。鈴野はクラスメイトでありながらクラスメイトではない。客観的な意見をくれる貴重な人間なのだ。
俺は漫画を読む手を止める。
「十月に文化祭があるんだけどよ」
「へー、行ってみたい」
「あ。ああ、来てみろよ」
「うん、考えとく。それで?」
鈴野は自分が作ったババロアを食べながら、ケロッとした顔で俺の話を聞いていた。
いや待って、何気に今流されたけど、鈴野文化祭に行きたいって言ったよな? それっていいことだよな?
とは思っていても、俺は利己主義な人間だから、自分の愚痴を優先してしまう。
「喫茶店を出すことに決まったはいいが、役割分担しても誰ひとり集まらん。結局俺一人で原価計算やら値段設定やらしていて」
「うわあ、それだるいやつじゃん」
「だろ? はーもう。原価計算とかあったまいてえ」
すべて吐き出して、すっきりする。少しだけ、いや、結構かもしれないが。
こういうとき、やっぱり友達って大事だなって思う。特に鈴野のような客観的な意見をくれる人間は。
まあ、鈴野が客観的な意見を言えるのは、不登校がなせる業で、それはあまり好ましくないのも事実なんだが。だが今はそんなことは置いといて。
「でさ、さっき鈴野文化祭来たいって言ったけど」
「ありゃ? 覚えてた?」
「ちゃんと聞いてたからな」
「なんだ。案外冷静じゃん」
へへへ、なんて鼻の下に人指し指をあてて笑う鈴野。いやもう……もう何度目か分からないけどそういうのほんと外でやったら恥ずかしいからな? そういう漫画の影響受けやすい体質直した方がいいからな?
まあ、今日はツッコむ余裕がないからツッコまないけど。
「で、来るの?」
「どうしようかなー。喫茶店行ってみたいし」
「マジか。でも、クラスメイトいるけど大丈夫なのか?」
「あー。うん。文化祭ってどっちにしてもみんなゲストさま扱いだから別にいいっていうか……ていうか、別に山野井の様子見に行きたいとかそういうんじゃないからね?」
まーたこの子はこういうところでツンデレる。まったくどこでどうスイッチが入るか予想もできない。
「分かってるって。……ていうか」
俺は鈴野が食べているババロアを見て、ふとあることに気づいた。なぜ見落としていたのだろうか。こんな重要なこと、こんな簡単なこと!
ずいっと前にめりに、
「鈴野、喫茶店、手伝ってくれねえ?」
「え。それは嫌だよ」
思いっきり顔をゆがめる。あ、言い方が悪かった。
「あ。違う違う。ウェイターとかじゃなくて、裏方。オマエクッキーとか作るのうまいじゃん? 喫茶店に出す焼き菓子作ってくれよ?」
我ながら名案。
鈴野のお菓子がうまいのは俺の折り紙付き。
で、焼き菓子なら前日にでも焼いてもらって、俺が鈴野の家まで取りにくればいい。
さらにはこれは、チャンスだ。
鈴野がクラス行事に参加する、チャンス。
「え、ええ。どうしようかな」
鈴野は右手でおくれ毛を掴み、もじもじといじり出した。今までにないタイプの照れ方。
もしかしたらこの仕草は、最上級の嬉しさの表れかもしれない。鈴野は人にお菓子をふるまうのが好きだ。この五カ月でそれを痛いほど知った(何故なら鈴野は、俺がお菓子をうまいとほめると本当に心底嬉しそうに笑う)
「なあ、お願いだよ、オマエの力が必要なんだ」
ダメ押しの一言を添えれば、
「し、仕方ないなあ。お菓子焼くだけなら……別にいいかな。大したことじゃないけど!」
それきた、わっしょい!
おだてに弱い、というのを抜きにしても。
鈴野のお菓子はきっとみんなに喜ばれる。で、あわよくばこの菓子は鈴野が作ったんだとクラスメイトに教えてやれば、鈴野の株だって上がるってもんだ。
「それじゃあ決まりな。あ、そうそう」
と、ここで蛇足を一つつけなければならない。この事実を知ったとき、俺をはじめ、出し物は喫茶店でいいと言っていたクラスメイト全員が青ざめたとある事実を。
「喫茶店やるにあたって、検便が必須になるから、そこんとこよろしく」
「けんべ……」
案の定。
やっぱり女の子はそういう反応するわな。だってそりゃあ、便を採取して提出なんてどこの羞恥プレイだよって思うよな。俺もそう思う。
が、しかし。これをやらねば喫茶店は出来ない。
「わ、私やっぱり……」
「いやもうオマエが参加するの決定事項だからな? 言質も取ったからな?」
「やーだー! 狡いだましたでしょ?」
「だましてなんかねえし人聞きの悪い!」
「山野井のバカ。変態! えっち!」
「いや言い過ぎ、って、え。ぽかぽか殴るのやめろよ!? そういうの漫画の見すぎだから! え、マジ痛い痛い痛い!」
漫画のような殴り方。漫画だったらぽかぽかって音がつくんだろうけど、あいにく現実ではそんな音はしない。
ばしんばしんばしん。
鈴野はお構いないに俺を殴る。いや確かに検便が嫌なのは分かるけど、そんなに殴ることなくない? なくない?
まあ鈴野は出会った時から手が早かったから、仕方ないと言ったらそれまでか。全く本当に、三次元には適さない性格の人間だこと。
「あーもう仕方ないな山野井は」
ようやくバシンバシンと殴るのをやめてくれたかと思えば、鈴野は今度はニタリと笑い(にっこりのつもりだったのかもしれないが、俺にはニタリに見えた)
「その代わりと言ったらあれなんだけれど」
そのままもじもじと、両手を胸の前で絡ませた(言うまでもなくこの仕草は漫画の影響だ)
「代わりに何だよ?」
「うん。あのさ、今度一緒に腹宿に行ってほしいな、なんて」
「い、一緒に……?」
おーっとこれはもしかして、もしかして。
デート!
のお誘いですか? え、これもうバリバリデートだよな? マジで? マジか。
え、落ち着け俺、落ち着け。
ひとまず、俺と鈴野は友達で、だから、だから……!
「実はファッションリーダーのミミちゃんの握手会があるから。一緒についてきてほしいの!」
「アーソウデスヨネワカッテマシタ」
ミミちゃん。名前だけなら俺も聞いたことがある。
確か腹宿のファッションリーダーで、その洋服の独特のセンスは一度見たら忘れられない。
ふりっふりのぶりっ子ワンピースに、パステルカラーの髪の毛。ばっさばさのつけまつげに、不自然な色のカラコン。
正直男には理解できない世界だった(鈴野には申し訳ないが)
「で、そのミミちゃんの握手会のチケットがね、一枚だけ当たって」
「え、一枚? 二枚じゃないの?」
「いや、二枚も当たるわけないじゃん。何、山野井も握手したかったの?」
「そういうわけじゃ」
いや、少しだけ。すこーしだけ期待はしたけれどな! 何せミミちゃんはああいう格好はしていても芸能人、そんな人間と握手したとなったらクラスでも自慢の種になる。あれ、俺って考え方がゲスいかな?
鈴野みたいに純粋にミミちゃんに会いたいわけじゃないし。自慢のためとか……いや、ちょっと最低だわこれ。
「分かった。いいよ、ついてく」
「ほんとに?」
「ほんとだって」
「やった! あ、べ、別に用事があるんなら断ってもよかったんだけど……暇なら一緒に来てもいいし?」
面倒くさ! もう鈴野には悪いけどそういうツンデレほんともうおなか一杯何です結構です。
とは、はっきり言いだせるわけもなく。
「そうだな、暇だからついていくことにするよ」
「そう。じゃ、じゃあ。今度の日曜日の十時に、腹宿駅で待ち合わせね、いい?」
「りょーうかい」
なんて、軽い気持ちで約束したのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます