第14話 まるでヒーロー

「山野井、はよー」

「おう池田。ちっす」

「山野井くん、おはよう」

「武田、おっす」


 朝一番で多田に報告をした後、その足で教室に向かう。

 教室にはすでにほとんどの生徒が登校していて、俺に話しかけてきた親友の池田と武田もまた、いつも通りに俺に話しかけてくる。


「山野井ってさ。たまに朝早く多田のとこ行くけど、何してんの?」


 そりゃあ、確かに定期的に職員室に行っていればそういう疑問が湧くのは当然。当然なんだが、これをどう説明したらいいものか。

 俺は隣の机の椅子に座る池田の方を見ながら、


「えーと、野暮用?」

「何よ野暮用って」


 武田が突っ込んで聞いてくる。


「いやその」

「何だよ、話せないのか?」


 おうおうおう、と石田に肘で突っつかれる。

 いやまあ、別に多田にも鈴野にも内緒にしてくれなんて頼まれていないわけで、だからといってこんなこと池田と武田に話した日には、鈴野に何を言われるか。


「鈴野さんってさ」

「いや鈴野の家になんか――」

「いや私まだ何も言ってないよ」


 お、おう。

 武田マジでピンポイントに鈴野の話題出すからてっきりカマかけてるのかと。

 いや、親友をだますのは俺だって良心が痛むけれども! だます気なんかない、本当は洗いざらい話してしまいたいけれども!

 それでも一応、鈴野の許可だけはとろうと思ったわけで。だってあいつ、極端に人嫌いだから、下手なことしてまたギャン泣きされたらたまったもんじゃない。


「で、鈴野がどうかした?」


 なるべく平静を装って。


「うん。鈴野さんって入学式以来来てないよね」

「え? 入学式来てたの?」

「は? 来てたでしょ。自己紹介、覚えてないの?」


 武田はまるで信じられない、と言いたげに俺の方を見た。

 あれだけ目立っていたのに? あれだけのことをしたのに? みんな鈴野のこと知ってるのに?

 そう、武田の目が語っていた。


「ちょっと待って。鈴野ってそんなに有名人?」

「いや有名ってわけじゃないけど」

「じゃあ何で気にしてんの?」


 リュックの中身をあらかた机に移し終え、俺は改めて体を横向きにし、武田の方をまっすぐに見た。

 反対側には石田も座っていて、どうやら鈴野が入学式に来ていたことを知らないのは俺だけのようだった。


「だって、あの子さ。自己紹介の時すごく訛り? 訛ってて目立ってたじゃん」

「え。マジで?」

「マジだよ。あの時クラスの女子がくすくす笑ってさ。鈴野さん真っ赤になってうつむいちゃったじゃん」

「そんなことが……」


 鈴野事件その二。

 鈴野は自分が訛っていることは誰にも言わないでくれと懇願してきた。確かにあれは、少し目立つ。で、いじられること間違いなし。

 なんとなく見えてきた。鈴野が学校に来ない理由。


「武田、サンキューな」

「いや何が?」

「こっちの話!」


 分かったからって何がどうなるわけでもない。

 だけれども。

 だけど、少しは力になるんじゃないかって思ったんだ(まるで正義のヒーローにでもなったかのような錯覚さえ)



「何よ山野井。今回は早かったのね」


 知るや、俺はその日の帰り道、鈴野の家に寄っていた。で、玄関先で一言。


「毎回思うんだけど、山野井はもう少し気を使った方がいいんじゃない?」

「気を遣う?」

「そう。だって山野井、何の報せもなしにうちに来るし」


 それもそうだ。いつも俺は鈴野の家に行くとき、一報すらしない。いや、手段がないのだ。

 二か月間ずっと。何の不思議もなかったが、それこそ鈴野にだって予定はあるわけだし。


「け、携帯の番号教えてあげてもいいわよ?」

「おう、そうしてもらえたら助かるわ」


 もはやツッコまない。鈴野琴音のツンデレには。

 だってよ、今時『教えてあげてもいいわよ』って。どこの女王さまだよ(いや、お姫さまって言葉の方がしっくりくるな)

 俺はポケットから携帯を取り出す。


「番号教えて」

「ちょっと待って。部屋に行ってからでいいでしょ」

「あ。悪い。ちょっと色々あって」


 そうだ、色々。

 もしかしたら、もしかしたら鈴野の力になれるかもしれないんだ。もしかしたら。もしかすると……。



 だがしかし。


「ふーん。山野井は私が入学式に出ていたこと知らなかったんだ」

「いや本題はそこじゃなくて」

「分かってるよ」


 今日のお茶菓子はどうやら鈴野のお手製。確かパウンドケーキ、っていうお菓子だった記憶がある。

 いつもなら真っ先に食べて(鈴野が期待のまなざしで見ているから)、うまいうまいって言ってやるが、今日は何分話す方が先だ。


「そうだね、私が高校に行きたくなくなったのは、確かに入学式での失態のせいもある」

「だろ? でも、鈴野オマエ、方言は嫌いじゃないんだろ? 隠すことでもないし、堂々としてればいいんだよ!」


 まるで世紀の大発見をしたような。まるで初めて逆上がりができた子供のような。まるでお手伝いをした子供のような。

 きっと俺は今、そんな顔をしているに違いない。

 だが。


「山野井の推理は半分当たり。でも半分外れ」

「え? どういうことだよ」

「どうもこうも。確かに私は方言を笑われたことがきっかけで高校に行く気分じゃなくなったよ。でもね、本当の理由は別にある」

「なんだよ、本当の理由って」


 もったいぶるのはこいつの性格がなせる業。

 だとしても。

 鈴野が学校に行けない本当の理由って何だよ。いったい何が。


「だって私、学校行く必要ないじゃない? 今時学歴なんてバカバカしい。私は高校を出なくても就職先見つけるしね」


 ふん、っと鼻を鳴らす。

 ……何だそれ。何だよそれ、それって、それってただの。


「わがままじゃん、って思った?」

「……! そ、それは……」

「いいよ隠さなくて。山野井は分かりやすいね、顔に出てる」

「わ、悪い」


 本当は。

 本当はもっと、もっと鈴野にはちゃんとした理由があると思っていたんだ。こんなにいいやつで素直で(だがひねくれたところもあって)、こんなに気さくなやつ、他に見たことがない。

 だから。

 だから俺には何でも話してほしかった。だがその結果がこれだ。幻滅しないと言ったらうそになる。

 学歴がバカバカしい? そう思ってるならわざわざ口に出す必要はない。

 就職先を見つける? それが本当ならもうとっくに就職してるだろ。

 ちぐはぐ。

 鈴野の言い分はちぐはぐで、中身を伴っていない。いや、もしかしたら。


「鈴野」

「なにさ」

「今のって、本音か?」


 少しの、期待。

 鈴野は本当はこんなやつじゃない、少なくとも俺はそう思っていた。だから。だから、今のは嘘だと言ってくれ。


「本音に決まってんじゃん」


 右手でおくれ毛を耳にかけた。

 本音、か。

 いや、違う。


「そうか。そうだよな。悪い、変な話して」

「いいよ別に。……今日の用事はそれだけでしょ? じゃあ帰って」


 そうやって悪ぶったって。

 俺は知っている。

 鈴野には癖がある。

 嘘を吐くとき、嬉しい時、何かを隠そうとするとき。

 鈴野は決まって右手でおくれ毛を耳にかける。

 だからさっき、鈴野がおくれ毛を耳にかける仕草を見て、俺は安心した。

 あれは、嘘だ。

 本当の本当の理由は、別にある。


「それじゃ俺、帰るわ」

「うん。見送らないから」

「分かった。鍵だけはちゃんと閉めろよ」

「ん」

「またな、鈴野」

「……うん、また」


 どうやら。

 どうやら俺と二度と会わない、というような考えはなかったようで、『また』と返事を返してくれたことに少しだけほっとした。

 もはや自分の家のように慣れてしまった鈴野の家の廊下を一人、歩く。

 鈴野の家は、あたたかい。

 リビングには家族写真がたくさん飾ってあったし、鈴野のものなのだろう、表彰状が額に入れて飾ってあった。

 いつもきれいに掃除された家。だけど鈴野の部屋は時々汚い。女の子らしさが皆無の部屋。


「お邪魔しました」


 誰も見送ってくれない寂しさを噛み締めながら、俺は鈴野の家を後にした。



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