第12話 感化されてる?

「ということがあってよ」

「ふーん、でも楽しそうじゃない、なんだかんだ」


 学校での愚痴を、鈴野に話すのが日課になっていた。

 もとより。

 もとより俺と鈴野はどういう関係なのか、いまだ決めかねる自分がいる。

 定期的に鈴野の家に行ってくれ、と多田に頼まれたのは二ヵ月前。で、そこから毎週平日の帰り道、或いは土日のいずれかを鈴野の家で過ごすようになったわけだが。


「何考え込んで?」

「いや。別になんもないけど」


 なんもないわけがない。

 俺たちってどういう関係なんだろうな。男と女が一つ屋根の下で語らいあって。時たま鈴野のおばさんすら家にいないことがあるから、それこそ本当に二人きりでだべる。

 別に俺は鈴野を意識しているとか好きになったとか、或いは好きになりそうだとか。そういうことではなく、ただなんとなく、この関係に名前が欲しかった(そうじゃなきゃなんとなくバツが悪い)


「なあ鈴野」


 例によって俺たちは漫画を持ち寄って、で、鈴野の部屋でそれをお互いに勧めあって読みあっていた。

 今日俺が持ってきた本はラノベ『こんなはずじゃなかったのに!』

 そして、鈴野が俺に読ませているのは漫画『王者街道まっしぐら』

 俺と鈴野はどうやらオタクの趣味の傾向が似ているらしく、この二カ月で紹介しあった本に今のところはずれはない。不思議な話だ。

 とはいえ、ひとつ屋根の下で黙々と。高校生が黙々と漫画にラノベに読む更ける光景は一種異様だ。

 だがしかし、俺と鈴野の仲ともなれば、読みながら声を出して笑うことすらできるのが現状で(だがしかし、きっとお互いに気持ち悪いとは思っている)


「なあ、鈴野。鈴野ってどこから漫画の情報仕入れんの?」

「私? えーとね。トゥイッテー」

「へー意外。オマエトゥイッテーとかやるの?」

「もちのろんだよ!」

「出たよその鈴野節」


 時々。

 いや、会うと必ず一度は耳にする、鈴野の独特の語彙チョイス。もはや慣れたものだから俺がツッコんでも鈴野は知らん顔だし、俺も深くは言及しない。

 言ってしまえば、これが鈴野琴音という人間の個性なのだ。


「でさ。山野井」


 鈴野は相変わらずラノベから目を離さないままに、


「体育祭って、私も見に行っていいの?」

「……いや見に行くも何も。鈴野も選手に選ばれてるから、出来るなら参加の方向で考えてほしい」


 あ。

 今何気にさらっと言ってしまったが、これは触れてはいけない部分であったに違いない。

 何せあの鈴野が本を読む手を止めてまで俺をにらむことなんてそうそうない。

 すまない、すまない鈴野。俺は悪気があったわけじゃ……!

 だがしかし、俺の弁明より先に、


「ヤだよ。参加なんかしないし」


 案外存外、あっさりとした返事が返ってきた。もっとこう、嫌味いっぱいにとげとげしい返事が来ると思っていただけに、少しだけ拍子抜けした(やっぱりいまだ俺は鈴野のことをよく知らないとも思わされた)


「何で?」


 思ったままに訊き返していた。あ、やばい。またやっちまった。

 鈴野は、ふう、とわざと聞こえるようにため息を吐き、で、ラノベにしおりを挟んでローテーブルに置く。一応俺からの借りものだから、きっと気を使ってしおりを挟んだに違いない(そしてテーブルに置く様子もすごく丁寧だった)


「あのね、山野井。体育祭ってただでさえだるいじゃん?」

「ああ、そうだな。だるい」

「そう。で、そこにいつもは不登校の生徒が参加するとするじゃん?」

「うん?」


 つまり何が言いたいのか。俺にはさっぱりわからない。別に、鈴野だってクラスメイトなんだから、体育祭に参加する権利はある。よな?

 持論に自信がなくなって、俺は鈴野から借りたマンガを閉じてローテーブルに置く。で、じいっと鈴野を見て話に耳を傾けた。


「不登校の子が来るとさ、皆余計に気を遣うじゃん? 例えるなら私はクラスメイトじゃなくてゲストさま、なんだよ」

「あ、あー。なるほど」


 口から出た言葉は本心だ。鈴野の説明でようやく理解できたそれも、鈴野にとってはきっと。


「でも、そんなこと言ったらずっと学校なんか来られないだろ」

「分かってないな、山野井は」


 鈴野にとってはきっと、それはずっと。長い不登校の歴史で培われてきたただ一つの真実。


「登校するようになったって、ゲストさま扱いされるのはよくても最初の数か月だよ。慣れてきたらみんな、私への扱いが雑になる。もしくは――」

「もしくは?」


 もったいぶるなよ。今さら俺と鈴野の仲じゃないか。

 前のめりになる俺がうっとうしかったのか、鈴野はしおりを挟んだラノベを開き、再びそれに目を落としながら、


「もしくは、『元不登校児』として腫れものに触るような扱いが続くだろうね」


 やっぱり。鈴野は自分の立場をよく理解している。

 もしかしたら、俺と鈴野の関係にさえ、どこか線引きしているかもしれない。

 まるで。

 まるで俺と鈴野は同じクラスメイトなのに、どこか違う場所にいるような、そんな疎外感すら感じているのでは。

 同じ空間にいるのに、見えない間仕切りがあるような。そんな不思議で、でも居心地の悪い、そんな空間。


「鈴野、悪い。変な話になっちまって」

「いいよ別に。みんなそうだから。私だって最初はこういう……なんていうのかな? へだたり? みたいなの、気づかなかったし」

「へだたり……ていうか、その口ぶりだと、一度は不登校から復帰したみたいに聞こえるんだけど」

「……あーもう、『こんなはずじゃなかったのに!』に集中できない!」


 パタン!

 鈴野は今度はしおりも挟まずにラノベを閉じる。そして俺の方をにらむように見て、


「私だってずっと不登校ってわけじゃないんだよ。中三に上がるくらいまでは学校行ってたし、不登校になった後に一回だけ学校に復帰したことがあるの!」


 ぺらぺらと、今日はよくしゃべる。

 感化されている?

 ふと、今日俺が持ってきたラノベが目に入る。

『こんなはずじゃなかったのに!』

 何気なくチョイスしてしまったが、確かこれはヒキニート男が異世界でなんやかんや頑張る話だった。

 もしかしたら、このチョイスはまずったかもしれない。もしかしてじゃなく、確実に。


「山野井さ、お節介だよね」

「ヨクイワレマス」

「あーもう。もう! もう!! 今日は帰って。もうラノベ読む気分じゃなくなった」

「お、おう……」


 いそいそと荷物を纏める。

 えーと。今日持ってきた『こんなはずじゃなかったのに!』の三巻までは置いていく、のか? 貸していくのか? このタイミングでそれを言って怒られないか??

 迷った時は無難な方を選べ。

 俺はひとまずテーブルの上のラノベも自分のリュックに詰め込むことにした。


「あ。山野井」

「ハイ」


 が、しかし。

 俺がラノベを手に取ったのが気に入らなかったのか、鈴野はにこやかに(でも凄みを乗せながら)


「これは借りるから。全巻置いて行って?」

「リョウカイデス」

「あ。あと、私の『王者街道まっしぐら』も貸すから。次に会う時までに読んで感想聞かせてね?」


 ごうごうと燃える炎が見えた。鈴野の背後に。

 怒っているのか、それとも楽しんでいるのか。それともこれが素なのか。

 もはや俺には何が鈴野の本心なのか、計りかねていた。

 ともあれ。

 『次に会う時までに』ということは、鈴野はまた俺と会ってくれるようだ。

 そうそう、二回目に鈴野の部屋に行った日、鈴野は『次に会う時までに漫画を貸す』って言ってたけど、あの時鈴野は俺が定期的に鈴野の家に来ることを多田に聞いていなかったらしい(鈴野は断じて認めないが)

 だから。

 だからきっと、今日のこの言葉、『次に会うときまでに』も、鈴野の本心だ(と、思いたい)


「それじゃあ、またね?」


 ともあれ、玄関まで見送りに来てくれたわけだから、思ったよりは怒っていなそうだ。きっと、たぶん、おそらく……。

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