第10話 武田さん
四、体育祭、来ませんか
学級委員。この期に及んで俺はそのくじ運のなさを恨んでいた。
速いもので季節は六月。体育祭の季節が来た。
「えーと。じゃあリレーの選手は――」
慣れるわけがない、こんなこと。
やはりというかなんというか、この学校の生徒は積極的ではない。なにせ運動部の面々ですらリレーにも玉入れにも何の種目にも立候補しない。できるだけ自分の好きなことしかしたくない、そんな人間でいっぱいだった。
まあそれはわからなくもない、何故なら俺もその意見には同意するからだ。
「では、これにて選手の選出を終わりにします」
やっとのことでまとまったホームルーム。多田を除くクラスメイト達はみな、やる気なさげにだるそうに拍手をするだけ。
ううう、こんな損な役割、早く終わらせたい。体育祭なんて何のためにやるんだよ。ああ、嘆かわしきかな高校生活。
ひととおりの選手選抜を終えて、俺は体育祭のメンバーを箇条書きにまとめている。
まったく、学級委員だからって、放課後までこんなことをやらねばならないのははなはだ遺憾だ。
その、ひとり居残りする俺に、とある人物が話しかけてきた。
「よーっす!」
「うわ、石田。気配消すのやめて」
友人の池田だった。俺の真後ろから現れて、ぽすん、と肩を叩いてきた(本当に、ぽすんという音がするくらいの強さで)
石田は俺の隣の席に腰かけると、
「手伝うよ」
「え、何。いつもなら笑って帰るじゃん」
「いやあ、俺だっていつもそんなんではない。だって山野井、いっつもそうやって損な役回りばっかで、誰だって手伝いたくもなるよ」
ほら、と石田が顎で廊下をさす。俺はその方向に首を動かした。ひとりの女子生徒が廊下から俺のほうをちらちらとみている。ちょっとだけドキッとした(だからって、これが恋とかそういうのではないんだけれど)
「ほら、武田もこっち来て手伝いたいんでしょ」
「や、私は」
「違うって。誰が好き好んで手伝いなんかするわけないだろ」
俺が武田……さん、にお辞儀をすると、あわあわしながら武田さんが教室に入ってきた。それで、石田とは反対側の席に座って、俺の机の上の紙切れを覗き込む。
「これだと少し見にくいから」
武田さんが紙を手に取り、カバンからシャーペンと定規を取り出す。そのまま、今日決まった体育祭の選手一覧を表にして、そこに名前を書き連ねていく。とてもきれいな文字だ。丸っこくて女性らしい。鈴野とは正反対な文字だと思った(鈴野の字は、どちらかというと整いすぎていて、俺は武田さんの字のほうが落ち着く)
武田さんが俺を見てハッとしたように手を引っ込めた。
「ご、ごめん。余計なお世話だよね」
「いや。いやいや。こっちのほうが見やすいね。俺のは箇条書きにしただけだったし。表にするとやっぱり見やすい」
俺も一応、見やすく箇条書きにしていたつもりだったのだが、やっぱりこういう細かな作業は女の子の方が気が利くのかもしれない(これが世に言う男女差別の始まりとも知らずに)
武田さんがおくれ毛を耳にかけて恥ずかしそうにはにかんだ。とてもかわいらしいしぐさに、思い出してしまうのはどうしても鈴野のことだった。
本当だったら、ここに鈴野だっていたはずなのに。なぜ鈴野は学校に来ないのだろう。なぜ来られなくなってしまったのだろう。
「そういえば、山野井くんって、家、南駅のほうだったっけ?」
「え? 俺の家は北駅のほうだけど」
なんだ? 急に。え、もしかして武田さんって俺のこと……。
「え、この前南駅のほうに向かうの見たんだけど、人違いかな」
「そういえば、山野井って確かに、時々放課後挙動不審に教室出てくよな」
石田までもが俺に疑惑の目を向ける。ここでようやく、俺は自分の失態に気づいた。
そうだ、南駅と言えば、鈴野の家の方向だ。鈴野の家に通ってます、なんて言えるわけない。いや、言っても差し支えないはずだが(なにせ担任の多田に任された正式な任務で、他意はない)、それでも俺は、鈴野との関係を隠し通す道を選んだ。それは俺の単なる意地だったのかもしれない。俺だけが、鈴野とつながりを持てているという、驕り。
「えっと、俺あっちの方に行きつけの服屋があって」
「へえ、あっちの方って結構ファンキーな店多いけど。山野井ってそういう趣味あったんだ」
「や、あれ? ちがう。あっちの方向にあるスーパーの総菜が好きで」
「あ! それなら私わかるよ。いいもん屋だよね!? あそこの唐揚げとコロッケ、いつも揚げたてで売り切れ続出だもんねえ」
武田さんがにこやかに言う。見た目によらず食べることが好きなようで、武田さんの言葉が止まらない。
「あそこのお刺身もね、あのスーパーって魚屋さんが入っているから、ほかのお店とは違うんだよね。あとお肉もね、お肉屋さんが入っているから新鮮でおいしいの。私はね、特別な日の夕食はあそこおお惣菜寿司って決めてるの」
「へ、へえ。武田さんって詳しいね」
やや引き気味に答えれば、武田さんが顔を赤くしてうつむいた。なんだか悪いことをしている気持ちになって、俺は慌てて付けたした。
「俺の知り合いにも、お菓子作りが好きな子がいるんだよね」
「え? 本当に? 実は私ね、卒業後は調理師の専門学校に行こうと思ってるの。てか、そのお菓子作り好きな子って。うちのクラスの子?」
武田さんが食い気味に俺に迫る。傍ら、石田はくつくつ笑いながら俺たちのやりとりを見ている。
俺は石田に目で助けを求める。
「山野井って、そういうところあるよな」
「そういうところ?」
「そう。嘘つけない。その、『お菓子作りが得意な子』うちのクラスだろ?」
そわ、と目をそらす。
「え、やっぱりそうなんだ!」
武田さんにまで気取られてしまう。やっぱり、と言っていた。俺ってそんなにわかりやすいだろうか。……わかりやすいんだろうな。
けれど、そのお菓子作りの子が誰なのかは、絶対に言わない。言うもんか。せめて、鈴野に許可をもらわなければ、言えるはずがなかった。
「てかさ、さっさと選手表まとめて帰ろうぜ」
話題をそらす。武田さんも石田も、顔を見合わせて笑っていた。
「言いたくなったら言えよ」
「私も。またお話しできたらいいね」
俺にとってこの学校での生活は何の不満もない。だって、こうやって友達はいるし、教師にだって恵まれている。
なのに、ここに鈴野がいないことに、なんで悔しさを感じてしまうのだろうか。
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