第6話 まあ、もうあいつに会うこともないだろうし

「鈴野はアニメから入ったの?」

「ん、一期から見てる」

「へえ、俺は本誌で連載当初から追ってる」

「えっ、じゃあ連載初期の巻頭カラーも見たの?」

「あーうん、一応」


 いいなー、と鈴野の顔が今度は一気に明るくなった。今泣いた烏がもう笑った。

 笑ったかと思えば、鈴野は立ち上がり、本棚へ歩く。そして本棚の中から一冊、少し大きめの本を取り出して、ローテーブルの前まで戻ってきた。


「これ、カラー画集」

「えっ、マジで? これ入手困難って言われてるやつじゃん?」

「へへ。だって私、これが発売された時も学校行ってなかったから、家のパソコンから朝一番で申し込んだんだ」


 忍忍帳画集、それは知る人ぞ知るレア画集だ。発売は予約制、しかも予約はネットのみ。で、おまけに予約時間が平日の十時からと来たから、それを手に入れられたのはオタクに理解のある親を持った子供か、その日ずる休みをした子供か、あるいは平日休みの社会人に限られていた。

 正直、羨ましい。


「見たい? 見たい?」

「もったいぶるなよ。超見てえ。なあ、描きおろしの超絶美麗カラーって何ページ?」

「ふふ、それはね……」


 鈴野は慣れた手つきでページをめくる。何度も見ているのだろう、画集のページは少しよれていて、めくる手も慣れた様子だった。

 なんだ。

 案外いいやつ。案外素直なやつ。案外普通なやつ。

 不登校だっていうから何かもっと深刻な顔をしていたり、もっとひねくれていたり暗かったり。そんな訳アリを想像していただけに、少しだけ、拍子抜けした(拍子抜けという表現ではしっくりこないが)


「これ! 小次郎超美人じゃない?」

「うおー! この構図すげえな! 躍動感っていうか」

「そうなの! ……って、べ、別に。別にあんたと話して楽しいとかそんなこと思ってないんだからね?」

「は? いまさらそのキャラに戻るわけ?」

「キャラ? ち、違うし! 私別にキャラとか――」

「あー、分かってるって。オマエはそういう性格なんだよな」


 もしかしたら。

 鈴野はもしかしたらただ単に不器用なだけで、本当は高校に行きたいんじゃないのだろうか。もしかしたら漫画のことを話せる友達が欲しいんじゃないだろうか。

 もしかしたら、本当はただ単純に素直でいいやつなんじゃないだろうか。

 そう思わせるには十分すぎる出来事が、この数時間の間だけでもいくつも起きた。

 


「それじゃあ、俺もう帰ります」

「ありがとう、山野井くん。琴音もずいぶん楽しかったみたいで」


 忍忍帳の話から始まって、ラノベ『俺の主張も聞いてくれ!』の話へと発展したその時間は、合計すると三時間ほど。自分でも驚きなのだが、これほどまでに漫画やラノベについて話したのは生まれて初めてかもしれない。

 それこそ俺は、鈴野と同じくらいのオタク歴だが、こうやって誰かとそれを語らったことはなかった(もしかしたら俺も鈴野と同じようにオタクであることを隠したかったのかもしれない)

 だから、俺にとってもこの時間はとてつもなく楽しいもので、言ってしまえば鈴野が女なのがもったいないくらいだった。ぶっちゃけてしまえば、男友達だったら唯一無二の親友にさえなれただろうと思ってしまった。それくらい俺と鈴野は、濃ゆい話をしたのだ。

 それこそ、三時間という時間では足りないほどに。


「気をつけて帰ってよね。怪我なんかして私のせいにされたら後味悪いし」


 時刻はもう午後七時。思ったよりも長居してしまった。

 語らったあとは鈴野とおばさんがわざわざ玄関まで見送ってくれた(鈴野は素直じゃないが、ちゃんと見送りに来る、やっぱりいいやつ)


「言い方! オマエほんと素直じゃねえよな」

「な……! 私が心配してあげてるのに何よその言い方」

「別に心配してくれなんて頼んでねえし」

「ふん、さっさと出て行ってよ」


 ぷいっと顔を逸らされた。が、短い付き合いの中でも、鈴野のこれが本音でないことくらいは分かる。本当に素直じゃないだけで、本当は別れを惜しんでいることも(俺の思い上がりでなければ)


「琴音ったら素直じゃないんだから。昔はもっと可愛かったのに。お姫さまになるんだーって」

「お母さんその話はやめて、黒歴史だから」

「黒歴史ってなあに?」

「あーもう、お母さんは黙っててよ!」


 どうやら鈴野のおばさんはオタクの知識はないようだ。黒歴史、それは俺たちオタクにとっては触れてはいけないある種の暗い過去のことだ。

 鈴野のお母さんは相変わらずふんわりしていて、隣に立つ鈴野とはまるで似ても似つかない。

 よくまあこんなお母さんからこんな娘が生まれたもんだ。よく見るとおばさんと顔も似ていない。もしかしたら鈴野はお父さん似なのかもしれない。今度お父さんにも会ってみたい、などと思うくらいには俺は鈴野と打ち解けている(一方的にだが)


「なあ、鈴野」

「……何よ」

「そのさ……学校、来てみねえ?」

「……はあ。やっぱり山野井もそういうこと言うんだ」


 幻滅、と。それから言い表せない絶望(だと俺は感じた)

 言ってはいけないことを言ってしまった、その事実に気づくには、鈴野の表情は十分すぎた。

 さっきまでの楽しかった時間なんて、一気に壊れた。俺の一言によって。


「鈴野、俺……」


 謝るべきか、それとも弁明?

 そのどちらもできなかった。鈴野が拒絶していた。これ以上何か言うつもりなの? どの面下げて?

 確かに、まだ出会って数時間の俺が言うべきことじゃなかった。


「ごめん、俺帰る」

「山野井くん、ごめんなさいね。もしよかったら、また来てね?」

「あ。はい。鈴野さえよければ」

「……別に。勝手にすれば」


 怒っていた顔が、少しだけ緩んだ。

 よ、よかった。

 思ったよりは嫌われていなかったようだ。

 俺はおばさんに頭を下げて、鈴野の家を後にした。

 すっかり日の暮れた家路を歩きながら、色んなことに考えを巡らせた。

 鈴野が学校に来なくなった理由って何なんだろう。学校に通えないってどんな気持ちなんだろう。


「まあ、もうあいつに会うこともないだろうし」


 そうだ、俺は今日、ただ単に鈴野にプリントを届けに来ただけだった。ただ、それだけ。その理由さえなくなってしまったら、今後俺が鈴野に会いに行くことはない。

 明日多田に報告しなきゃな。案外鈴野は元気だったって。案外鈴野は素直だったって。でも、ちょっと変わった人間でもあることはちゃんと説明しておかなきゃな、とも思った。

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