『肝試しの夜』
カトラス
『肝試しの夜』
【2022年8月16日】
なんかぁ、みんなで集まるのって久しぶり。楽しいな!
明美は、日が暮れかかった旧校舎の教室の中央ではしゃいでいた。埃っぽい空気に夕立前の湿気が混じり、窓ガラスに滲む曇りが重苦しい。電気は点かず、外から差し込む薄橙の光が机や椅子を長く歪な影に変えていた。
楽しいのも今のうちだからな明美。拓ちゃん助けて~って、泣きべそかくんじゃないの?
拓人が茶化すと、明美は口を尖らせて言った。
そんなこと、絶対に言わないだっちゅうの。
僕の名前は聡。小学生からの幼馴染である二人と、今は使われなくなった中学の旧校舎に来ていた。理由はただひとつ──このあと向かう肝試しのためだった。
僕たちが向かうのは街外れの【洞穴神社】。拝殿が洞窟の中に造られた珍しい場所で、夏の肝試しには格好の舞台。暗く湿った岩肌と、どこからともなく滴る水音が恐怖を引き立てるという評判だ。
夕闇が濃くなると同時に、僕たちは神社へと歩き始めた。参道は豪雨の影響でぬかるみ、足元は水を吸った泥で重くなる。
ねぇ聡って、高校で好きな人できた?
不意に明美が振り向いて問いかけてきた。その目は冗談半分、けれど探るような光を帯びている。僕は胸が詰まる。答えは決まっている。ずっと明美が好きだった。でも、口にできたのは──。
いないよ。
短い嘘だった。湿った風が頬を打ち、喉に貼り付く。
空は急にかき曇り、参道を抜ける頃には雷鳴が轟いた。稲光が木々の影を鋭く切り裂き、次の瞬間には滝のような雨が襲いかかる。
やばっ! 走って洞窟まで行こう!
拓人の声で僕らは駆け出した。泥水を蹴り上げる音が重なり、服は一瞬で肌に張り付く。視界は雨粒で霞み、息をするだけで肺に冷たい水が入り込むようだった。
だが拝殿へと続く石段の前で、拓人が突然立ち止まった。僕は危うく彼にぶつかり転びそうになる。明美は足を滑らせ、泥の上に倒れ込んだ。
僕は慌てて手を差し伸べる。だが──。
明美の手は、僕の指をすり抜けた。
あれ……?
何度繰り返しても触れられない。まるで水面を掴もうとしているように、手は空を切るだけだった。明美は青ざめて立ち上がると、拓人の横で嗚咽を漏らした。強がる彼も同じく泣いていた。
なぜだ……と震える僕の視線が、石段の脇に立つ石碑をとらえた。
【1985年 加藤聡、和泉拓斗、石橋明美 豪雨災害によりここに眠る】
石に刻まれた名前を見た瞬間、全てを思い出した。あの日もこうして肝試しに来て、同じように豪雨に襲われ、洞窟の中で崩落に巻き込まれて死んだのだった。
僕らは毎年この日、この場所に呼び戻され、同じ道を歩き、同じように泣いて、そして夜明けとともに消えていく。雨音と水の気配に縛られた、終わらない夏の輪廻。
身体が透明になり始める。指先から水に溶けるように消えていく。残したい記憶も、伝えられなかった想いも、次の年にはまた失われる。
明美の口が震えた。
……来年も、会えるかな。
僕は声にならない返事をして、夜の闇に溶けていった。滝のような雨音が、最後まで僕たちを包んでいた。
『肝試しの夜』 カトラス @katoras
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