月光の時計台

カフェオレ

月光の時計台

 僕の住む町には古びた小さな時計台がある。

 その時計台は駅に程近い芝生広場の中央に建っている。大した遊具などがないので、公園ではなく広場と呼ばれている。

 元は金持ちの老人が趣味で自宅の敷地に建てたものらしい。老人は孤独で、亡くなった後土地を相続する者もなく、町のものとなり芝生広場として利用された。その際時計台は壊されることなく残され、今や広場の象徴となっている。


 *


 高校に馴染めず毎日が退屈だった。

 元々友達は少なかったが、多少なりとも気の合う人は中学まではクラスに一人や二人いたりした。しかし高校に入ると全くそんな人間はいなかった。

 誰それとなんとか先生はできているだの、くだらない会話が交わされる教室。話も合わず、クラスの輪に入れない。孤独だった。

 ある冬の日。学校が終わると、いつものようにすることもなく学校から離れて駅の周辺をぶらぶらしていた。

 日の入りが早く、照明の少ない広場は暗かった。しかしよく晴れた日で月光が眩しく時計台を照らしていた。

 その時、僕は見た。時計台の小窓からこちらを覗く美しい女性。

 目を奪われた。胸が今までにないほど高鳴っている。

 昔読んだ本に出てきた天女に似ていた。確か羽衣を奪われて天に帰れなくなったという美しい女性。そう、きっと彼女は天女だ。月光が降り注ぐ夜に時計台に現れた天女。

 彼女は揶揄うように小さく微笑むと、引っ込んでしまった。

 それからは学校が終わると、この時計台の前に来て夜を待つことが日課になっていた。

 彼女にもう一度会いたい。出来ることなら言葉を交わし、思いを伝えたい。そんな祈りを込めて僕はただひたすら、時計台の小窓に彼女が現れるのを待った。

 それから月光が時計台を照らす夜にだけ天女の顔を見ることが出来た。一瞬だけ、それも目線が合うだけだった。

 最初、彼女は微笑んでくれたが、回数を重ねるごとに困ったような顔をして首を振るようになった。僕達はこのまま会えない運命なのか? それを彼女は知っていてあんな顔をするのだろうか?

 しかしそれでもいい。僕は満たされていた。彼女と見つめ合う時だけは孤独や悩みを忘れ、幸福感が胸の内に溢れた。

 そして春が訪れ、夏になり、秋が過ぎてまた冬が来た。

 彼女との逢瀬ももう一年になる。相変わらず彼女は首を振り、ほっといて、もう来ないでと言わんばかりに哀しい微笑みを見せるのだった。

 そしてこの一年の間に気付いたことがある。時計台の裏側にある扉だ。この扉を開ければきっとあの小窓のある部屋まで行ける。

 だが決して開けてはならない。そんなことをしでかしたら何かとんでもないことが起きてしまう。そんな予感がした。しかしここを開けて塔を登り頂上まで行けば天女に会える。その誘惑に負けノブを捻ったこともあるが、扉は開かなかった。

 やはり天女は神聖な存在なのだ。これ以上近づくことは許されない。日中そんな現実に打ちのめされ、伏せっていることも多かった。

 そしてその冬のある日。まだ日の入りには早く、僕はなんとなく時計台の裏側に回った。扉への誘惑は抗い難い。天女に会いたい。そう思い、魔が差して扉のノブを捻る。すると、扉は開いてしまった。呆然とその先を見つめる。目の前には階段があった。この先はあの小窓のある部屋に通じているはずだ。

 僕は迷いながらも階段を登った。良くないことをしている気がした。でも引き返すことは出来なかった。天女に会いたい。彼女と言葉を交わしたい。そんな思いを噛み締めて一歩一歩、歩を進める。

 小さな時計台なのですぐに頂上が見えてきた。この先に部屋がある。そこには天女がいる。いよいよ会えるんだ。僕は心を落ち着かせると、頂上の小部屋に足を踏み入れた。

 そこには彼女がいた。こちらを振り返り驚いた顔をしている。夢に見た瞬間。手の届く距離についにやって来た。

 すると彼女は口を開いた。

「あー、しまった。鍵掛け忘れたか」

 急に現実感が襲って来た。先程の、いや、今までの夢のような時間からは想像の出来ないその言葉。天女は今までに見たことのない表情で、僕の背後に目をやっている。

「え……あの」

 僕は狼狽えた。天女はこんな話し方をするのか。これじゃあ、まるでただの人間じゃないか。緊張感と軽い失望を覚える。

「いつもいた少年だよね? 私はこういう者です」

 そう言って彼女は懐から黒い手帳を取り出した。

「警察……」

「藤咲といいます。ここで張込みをしてたの」

 警察? 張込み?

 僕は混乱していた。

「そんな……警察……張込み?」

 藤咲と名乗った刑事は僕を憐れむような表情で頷いた。

「ここはとある売春組織の取引の場所でね。その……君が来るようになってから全然やつらの尻尾が掴めなくてさ……」

 言いにくそうに彼女は語尾を濁らせる。

 その後藤咲刑事は遠回しにしばらくは来るなという旨を伝え、僕は回れ右をして階段をのろのろと下った。

 未練がましく時計台を振り返る。その冬の日、天女は消え去り、僕は居場所を失った。

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