第2話:階段の踊り場にて

「古文の授業さあ、眠すぎてどうにかなりそうだよね」

「寝たらいい。僕はそうしてる」

「え、寝てるの? わるっ」

「生徒を眠りに誘うような教師の方が悪い」

「そんなこと言って、いつか怒られても知らないよ」

「あの教師が怒る姿、想像つくか?」

「……つかないかも。山口先生、仏様みたいに優しそうだもんね」

「めちゃくちゃおじいさんだしな」

「なんか私のおじいちゃんに似てるんだよなー」

「僕のじいさんにも似てるよ」

「そんなことある?」


 一ヶ月も経てば、休み時間に兼子さんと話すことはもはや、非日常から日常になってきた。少なくとも、これくらいどうでもいい話を自然体でできるくらいには。

 必然的に、スマホでアニメを見ることもなくなった。それが良い傾向なのか悪い傾向なのかは、分からないけれど。


 同時に彼女と過ごす時間が、『楽しい』と思い始めてしまっている自分が、どこかにいた。なにせ兼子さんは可愛い上に、話し上手であり、聞き上手でもある。いくらベテランぼっちの僕でも、その気持ちには抗えない。

 これに関しては、はっきり言える。


 悪い傾向だ。


 次の日、一限おわりの休み時間。僕はいつものように兼子さんと話す、ということはなかった。

 お腹を下し、トイレの個室にこもっていたからだ。期限切れの牛乳を朝、一か八か飲んでしまったことを後悔していると、個室の外からこんな会話が聞こえてきた。


「なあ。なんか兼子と坂下って、妙に仲良いよな」

「そうだな。妙にな」


 この声は恐らく、クラスメイトだ。兼子さんともよく関わりのある、男子のうちの二人。


「なんか変じゃねって思うの、俺だけかなー」

「安心しろ、全員思ってるよ。特に男子」


 迂闊だった。なぜ全く気にしていなかったのだろう。僕と兼子さんが休み時間の度に話しているのを、周りがどう思っているか、ということを。


「もしかして兼子ってさー。坂下のこと、好きなのかな?」

「ないな」


 否定するのはや。


「ばーか。冗談だよ。あの坂下だもんな」


 冗談かよ。そして、あのってなんだ。

 いや、本当は全部分かってるけど。『あの』に含まれているニュアンスも、先程の冗談が冗談として成立する理由も。


「でも気にはなるよな。最近特に、仲良さげじゃん? 兼子の方から話しかけてるような感じだし」

「だからそれはほら……前に言ってたやつだろ」

「兼子が坂下にこだわる理由?  ああー。いや、にしてもさぁ……流石に、じゃね?」

「まあ流石に、だよな」

原田はらだも最近イライラしてるしなー」

「ああ……兼子と中学一緒なんだっけ? あいつは絶対、兼子の事好きだよな」

「はは、間違いない」


 笑い声が、遠くなっていく。彼らの気配が完全になくなるのを確かめてから、僕は個室を出た。

 手を洗いながら、考える。途中話についていけなくなっていたが、とにかく、分かったことがある。


 今の状況――主に兼子さんの行動に、違和感を覚えているのは僕だけではないということ。そしてその事実は、決して僕たちにとって良い影響を与えてはくれないであろうということ。


 なにより、『兼子さんが僕のことを好き』だなんて、冗談でも言われてしまうのは、損でしかないだろう。もちろん僕ではなく、兼子さんにとって。

 


「……流石に、限界だよなぁ」

 

 ある強い決意を胸に固めながら。僕はトイレを後にした。



「数学だるかったねー坂下くん」

「兼子さん」

「えっ?」

「ちょっと、話があるんだけど」


 次の休み時間、そこそこ勇気を出して、僕は兼子さんに切り出した。


「えっ、めずらし。なになに」

「ちょっと……きてほしい」


 僕は校内では比較的人が少ない実験棟の、更に人通りのない三階の階段の踊り場まで、彼女を連れ出した。


「こんなとこまで連れてきてなに? 怖いんですけど」


 と言いつつ、全然怖そうじゃなく、むしろウキウキとした表情の兼子さん。

 ……悪いがあまり楽しい話には、ならなさそうなんだけどな。


「もう、気を遣わなくていいから」

「えっ?」

「いやだから……無理に、毎日僕と絡んでくれなくていいよ」

「……どういうこと?」


 僕は少し気持ちを落ち着かせつつ、なるべく、彼女に目線を合わせるようにして、話した。

 流石にこんな話、目を逸らしてなんかできない。


「その……僕は別に一人で大丈夫だし。ほら、担任からなにか頼まれてるんだろ? 気にかけてやってくれ、みたいな」

「担任?」

「なんか担任からの評価が上がるとか、大学の推薦に繋がるとか、なにかしらメリットがあるっていうなら、まあ、続けてもらっても良いんだけど」

「……」

「でもそれなら、デメリットの方もちゃんと理解しておいてほしい。僕と関わりすぎることで、逆に君の評判も落としかねない。現に、変な噂も立ってるみたいだし」

「ふっ」


 笑った。

 兼子さんは口元を抑えて、


「あはははっ」


 いつものように、いや、いつも以上に楽しそうに、笑っていた。


「やっぱ面白いねー、坂下くん」

「えっ?」

「いや、そんな風に考えるんだなあ、って思って」

「違うのか? じゃあやっぱり、何らかの罰ゲーム中か?」

「なに、罰ゲームって。一ヶ月も? 坂下くんと仲良くするっていう、罰? はははっ」


 こちらの気も知らないで笑う兼子さんに、僕は苛立ちを覚え、


「じゃあ、なんだっていうんだよ」


 少し、声を荒げてしまった。


「普通に、意味わからないって。兼子さんみたいな女子が、僕みたいなやつに、こだわるなんて」


 正直この一ヶ月間、彼女と過ごす休み時間に、居心地の良さを感じ始めていた自分がいる。だけどどこかに、拭いきれない不安があった。

 それは中学時代の経験からくるものであった。そしてきっと、その予感は的中しているのではないかと、僕は感じていた。


「なあ。どうせなにか、裏があるんだろ? この際だから、はっきりーー」


 ハッとして、僕は顔を上げる。しまった。言わなくていいことまで、言ってしまった。これじゃあ中学の時と、何も変わっていないじゃないか。

 兼子さんの表情を伺う。すると、


「そっか。坂下くん、不安だったんだね」


 彼女は優しく包み込むような、穏やかな表情をしていた。

 予想外だった。もっと怒りとか悲しみとか焦りとか、負の感情に満ちた表情を、想像していたから。


「でもまあ確かに、冷静になって考えると、やっぱりグイグイいきすぎだったかも?」


 髪の毛先をいじりながら、バツが悪そうに彼女は続ける。


「そうだよね、私は坂下くんのことを知ってるけど、坂下くんは私のこと、覚えてなさそうだったもんね」

「……は?」


 引っかかる言い草だ。『私は坂下くんのことを知ってるけど』――とは?


「なかなか言い出せなかったんだよね。でもこれ以上不安にさせるのも申し訳ないから、ぜんぶ話すね」

「あ、ああ。話してくれ」


 僕の中で、妙な緊張感が走る。なんだ? もしかして僕はなにか、とんでもない思い違いをしていたのだろうか?


「私が坂下くんのことを、こんなにも気にかける理由はね。『あの時あった出来事』が、全てなんだよ」

「あの時……?」

「ほら、中一の頃さ。道端に、車に轢かれて死んじゃった猫がいたの、覚えてる?」


 それは、唐突すぎる質問だった。


「ね、ねこ……? 中一、だって?」


 まるでそれが共通の話題かのような口ぶりだが、そんなはずはない。

 そもそも兼子さんとの初対面は一ヶ月前、高校二年の新学期で、当然中学は別だった。はずだ。


「その猫を見つけたキミは、大事そうに抱えて、走って、それで近くの公園に、埋めてあげてたよね?」

「……えーと」


 中学時代の記憶を辿る。中一の頃……そうだ、確かにそんなこともあった。言われるまで、忘れていたけれど。


「それで、そこら辺に落ちてた大きめの石をおいて、花を添えて、手を合わせてたよね」

「ちょっと待て」


 おかしい。なぜそれを、彼女が知っているんだ?  なぜそんな、見てきたかのようなことが言える?


「ここまで言えば、なんとなくキミも、察しがつくんじゃないかな?」

「……まさかとは思うけど、兼子さん、あの時」


「うん、そうだよ」


 彼女は右手の人差し指を立て、それをくるんと返し、

 そしてまた、照れたように笑った。





「あの時の、猫です」






 ……あれ? 

 なんか予想してた話と、だいぶ違うぞ?

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