記憶の真実 ― 愛と別れの軌跡 #21


気づいてみると、ネコサウルスは思わず口にフィルターをかけず、本音を吐き出してしまっていた。


その直後、この広い空間には重苦しい沈黙が長く続いた。



「は? 今、口が開いてるからって何でも言っていいと思ってるのか? この命知らずが」



トカゲくんの親は怒鳴りつけた。だがネコサウルスには、その言葉の裏に、ほんの少しの不安と何かの隠し事が混じっているのが分かった。



「トカゲくんは弱い......あなたとは違う。自分の軸だけで考えちゃダメ...」



ネコサウルスは負けないように強く言い返した。たとえ今、このドラゴンの怒りを買って命の危険にさらされるとしても、この場面だけは絶対に引き下がるわけにはいかなかった。


だが次の瞬間、不思議なことに、その言葉を聞いたトカゲくんの親の表情に、ほんのわずかな揺らぎが浮かんだ。まるで心の奥底が動いたような、微かな変化だった。



「この野郎......今、何を……」



トカゲくんの親がうなり声を上げたその瞬間、ネコサウルスは逆に自分から問いかけることにした。



「私はたくさんトカゲくんの命を救った。トカゲくんは弱い......でもなぜ、そんな彼をひとりにした?」



ネコサウルスの言葉に、トカゲくんの親は動揺を隠しきれなかった。



「……あ、当たり前だろ。俺の息子は強く育ってほしかっただけだ。それの何が悪い」



その声は確かに強がりだったが、どこか矛盾をはらんでいた。


なぜ、そんな無責任な理由で自分の息子を旅に出させておきながら、今になってトカゲくんの失踪の責任を自分に問うのか。


少なくとも、弱くて幼い息子をひとりで旅に送り出したのなら、今の結果は当然だとネコサウルスは心の中でそう呟いた。


ネコサウルスはその後、視線を逸らさず、大きな両目でじっとトカゲくんの親を見つめ続けた。これは相手に対する不満の表れだった。


沈黙が二匹を包んだ。


やがてトカゲくんの親の口から、低く、そして不意に笑い声が響き渡った。



「……はははっ……。すまない。君の言う通りだ。俺が悪い。確かにフランは弱いし、俺は自分本位で考えすぎたのかもしれない......」



その声は呆れにも似ていたが、同時に深い後悔がにじんでいた。巨大な影を落とすその顔が、ますます暗く沈んでいく。


彼の率直な言葉に、ネコサウルスは驚いた。自分の非を、こんなにもあっさり認めるとは思っていなかったからだ。


トカゲくんの親は、まだ続きがあるのか、さらに話を続けた。



「でもな……実はそこには理由があったんだ。すまないが、今から俺の話を少し聞いてくれないか?」



その声は、怒りよりもむしろ寂しさに満ちていた。


思いがけない言葉に、ネコサウルスは一応心の中にあった怒りを抑えて、小さく首をかしげた。一体何を語ろうとしているのだろうか。


だが、やがてゆっくりと首を縦に振った。



「……これは、ずいぶん昔の話だ。まだフランが生まれる前のことだ……」



トカゲくんの親は遠い目をしながら、過去を思い出すように語り始めた。


場面は少しずつ、昔の時代へと遡っていった。



---



あの時の彼は、一匹だった。


彼は世界で唯一無二のドラゴンで、誰も逆らえない存在だった。


無論、最初からそんなに強かったわけではない。だが、何千年も生き続けるうちに、気づけば世界最強になっていたのだ。


しかし、その裏には常に「強者の孤独」がつきまとっていた。彼は孤独だった。自ら望んだわけではないが、誰も彼と心を通わせようとはしなかった。


無理もない。少しでも彼の機嫌を損ねれば、相手は簡単に命を落とす。その恐怖の中で、誰が本気で近づこうとするだろう。彼自身もそれを理解していた。だから彼は、長い時間をただ一匹で生きてきたのだ。


生きること自体は難しくなかった。誰も彼を邪魔しなかったし、その強大な力と能力があれば食べ物にも困らなかった。けれど、孤独だけは常に心の奥底を締めつけていた。


そんなある日、彼には事件が起こった。


それは何気ない、いつもと変わらぬ日だった。彼は大きな羽を広げ、広大な空を飛びながら、冷たい風を受け、この世界の美しさを眺めていた。


だが、その瞬間だった。黒い雲の中へと入った途端、稲妻が彼の羽を貫いた。


雷は羽に深い穴を開け、彼の体は制御を失い、そのまま地上へと落下していった。


目を覚ました時、そこは森の中だった。高くそびえる木々に囲まれ、彼が落ちた場所だけが大きくれていた。空を見上げれば、ぽっかりと穴が空いている。


頭を押さえながら起き上がると、体のあちこちに痛みが走った。羽は破れ、彼はすぐに飛び立つことはできないと悟った。


周囲を見回してみると、生き物の姿はどこにもなかった。彼はむしろ、それを当たり前だと思った。


そう思った矢先だった。


目の前に、小さな生命が立っていた。


それは少しピンク色をした、ごく普通の小さなトカゲだった。


不思議に思った。ドラゴンが現れたなら、普通ならすぐに逃げる。命を守るために背を向けるはずだった。


だが、そのトカゲは逃げなかった。むしろ彼に向かって、小さく笑いかけたのだ。


最初は「ただの愚か者」だと思った。


けれど時間が経つうちに、それが違うことに気づいた。


彼が飛べずに地上にとどまっていた間、その小さなトカゲはずっと側にいた。


傷を負った彼を見守り、まるで看病するかのように寄り添ってくれたのだ。


さらに、退屈そうな彼を笑わせるために、ちょっとした仕草や動きをしてみせるのだった。


そのトカゲは、彼の羽の真似をしてみせ、穴が開いていることを伝えるように身振りで示した。そして、「たくさん食べて、よく眠てね」とでも言うように体を動かした。


どうやらそのトカゲは言葉を話せないようだった。試しに声をかけても、返ってくるのは仕草だけ。


けれど、その身振りこそが唯一の言葉であり、意志を伝える手段だった。


そのトカゲは、彼に食べ物も分け与えてくれた。


無論、彼にとっては一口でなくなるほどの小さな量にすぎなかった。だが、その気持ちが何よりもありがたかった。


大事なのは「量」ではなく、「心」だった。


それでも、当時の彼には理解できなかった。


なぜ、この小さなトカゲが自分のためにここまでしてくれるのか。


そして、なぜ自分を大切に思ってくれているのか。


彼は自分の怪我が完全に治るまで、その小さなトカゲと共に暮らしながら、言葉を教えることにした。何もせずに長い時間座って過ごすわけにもいかなかったので、退屈しのぎも兼ねていた。


まず彼は、そのトカゲに名前を尋ねた。



「名前は?」



するとトカゲは顎に指をあて、少し考え込むような仕草をした後、にっこり笑って答えた。



「ロ…」

「ロ…?」

「ア!」

「ア…?」

「ロア…?」



彼の言葉に、そのトカゲは上下に首を振った。どうやら自分の名前だけは言えるらしかった。しかし、それ以外の質問にはまったく答えることができない。


彼はロアに言葉を教えながら理解した。ロアは頭が悪くて話せなかったのではなく、ただ今までそのような環境にいなかったために言葉を知らないのだと。


ロアはむしろ賢かった。教えれば教えるほど、飲み込みが早い。発音を覚えると、すぐに周囲のものと結びつけて言葉を学んでいった。彼女は彼の怪我が治る前に、もう会話ができるようになっていた。


言葉を手にした後、彼はロアにさまざまな知識を教え、互いに多くを語り合った。


その中で彼は、ロアの過ごしてきた生を知り、小さなトカゲたちの文化や習慣も学んだ。大切な者には「サウルス」と名を添えるのが彼らの風習だということも初めて教わった。


自分も同じ世界にいたはずなのに、気づけば長い年月が流れ、文化はすっかり変わってしまっていた。


彼とロアは、いつしか常に共に行動するようになっていた。そして、お互いに強く惹かれていった。


怪我が癒えて飛べるようになってからも、彼はすぐに帰ろうとはせず、彼女と一緒にいることを選んだ。理由は明快だった。孤独な家に戻るより、ロアと共にいる方が幸福だったからだ。


何よりも、ロアには彼にないものがあった。純粋さ。そして、孤独で惨めで残酷な自分をも受け入れてくれる優しさ。彼女だけは逃げなかった。それが彼の心を動かした最大の理由だった。


やがて彼は問いかけずにはいられなかった。



「どうして、俺から逃げない?なぜ、俺を選んだんだ?あの時、どうして助けてくれたんだ?」



その問いに、ロアは照れくさそうに笑いながら答えた。



「一目惚れだったの。こんなにかっこいいトカゲは見たことがなかったから。」



思いがけない答えに、彼の心は大きく揺れた。その瞬間、彼は思った。このロアという存在と、一生を共にしたい、と。理屈ではなかった。ただ心がそう動いた。まるで運命に導かれたように。


それから彼は、無意識のうちにロアに尽くすようになっていた。何かを求めているわけではない。ただ、どんな自分でも受け入れてくれる彼女の純粋さに惹かれたのだ。ロアは特別な見返りを望むことはなく、ただ「あなたがそばにいてくれるだけでいい」と言っていた。


その無償の姿勢に、彼はますますロアを大切に扱うようになった。彼女の存在そのものに、唯一無二の価値を見出したからだ。もし今ここでロアを失えば、長い生を生きる自分は永遠に不幸になる。そう確信していた。


日々が過ぎるにつれ、彼の心の中でロアへの想いはますます大きくなっていった。


そしてついに、彼は彼女に告白する決心をした。ドラゴンがトカゲに結婚を求めるなど、本来あり得ないし、非常識極まりないことだった。


それでも彼は勇気を出し、結婚を申し込んだ。


その時、ロアはまるで今まで彼の告白を待っていたかのように、涙を流しながら彼の求婚を受け入れてくれた。


断られるかもしれないと恐れていた彼にとって、その答えは信じられないほど嬉しいものだった。彼の胸の中にあった信念は、より強く固まり、「彼女を一生守る」と誓った。そして、この瞬間を、何十年、何百年、何千年が経とうとも決して忘れないと心に刻んだ。


結婚後、彼はロアを自分の住まいに連れて行き、共に暮らし始めた。


彼はロアのために、家の作り方や畑を利用した農作物の育て方、道具の使い方などを教えた。家づくりや材料の調達は彼が手伝ったが、ロア専用の細やかな道具は彼女自身が工夫して作った。ロアは驚くほど賢く、与えられた知識をすぐに吸収して、計画的に生活を整えていった。


やがて家が完成する頃、ロアは彼の子を身ごもっていた。


共に暮らし、愛を育んだ結果として、新しい命が宿ったのだ。


初めて父となる彼は、これまでに感じたことのない不思議な感情と喜びに包まれた。どうすればいいのか分からず戸惑いもあったが、「彼女と子供を守る」という役目だけははっきりと見えていた。


やがてロアは出産を迎え、小さな命がこの世に生まれた。


その子はロアにそっくりの顔をしており、緑がかった体を持っていた。二匹は喜びながらも、その子にどんな名前を与えるべきか悩んだ。彼自身に受け継ぐべき名がなく、事前に深く考えていなかった。


だが、その赤ん坊がくしゃみをした瞬間、小さな口から炎が迸った。


それを見た彼の頭にひとつの名が閃いた。



「トカゲサウルス・フラン」



“トカゲ”に、敬意と愛情を示す“サウルス”。


そして炎を意味する“フレーム”(flame)から取った“フラン”。


こうして名付けられたフランは、彼らの大切な家族となった。


フランが生まれてから、二匹は子の成長に全力を注いだ。


初めての子育ては大変だったが、家族で過ごす日々は何よりも幸せだった。フランは好奇心旺盛で、性格は母親譲りだったが、炎の力と勇敢さは父親に似ていた。


成長するにつれ、父となった彼はフランに世界の知識、道具の扱い方、そして炎の使い方を教えた。フランは母の血を継いだのか、飲み込みが早く、頭の回転も速かった。


それ以来、家族の幸福な日々は続いていった。


だが、この世の中に永遠はなかった。


出産後、ロアの体調は徐々に崩れていった。


彼が聞くたび、「大丈夫、すぐ治る」と彼女は言い張っていたが、やがて病は広がり、日常生活すら困難になるほどになっていた。フランの前では平気なふりをしていたが、彼の目にはその無理が痛々しく映った。


そして、彼は悟ってしまった。


その病の原因は、実は自分の体液にあるのではないかと。


最初は信じたくなかった。しかし、あれほど健康だったロアが妊娠を境に急激に弱まったことを考えれば、その可能性は否定できなかった。


なにより彼には彼女の病が発症した箇所が見えており、その可能性が高いと感じられた。


彼は結局、自分が原因でロアを蝕んでしまったことを受け入れるしかなかった。


これは、ドラゴンの子を身ごもったトカゲに対する、この世の呪いだったのかもしれない。


やがてフランがある程度成長すると、彼はひとつの決断を下した。


それは、フランを家から離し、一匹で旅に出させることだった。


理由は3つ。


ロアの病が進行していく姿をフランに見せたくないから。


そして、ロアを失い悲嘆に暮れる自分の姿を、息子に見られたくないからだった。


だが何よりも大きな理由は、もしフランが母の死の原因が自分にあると知れば、その痛みを自分は背負いきれない、という恐れだった。これは一種の“逃げ”だった。だが彼にとっては、それしか方法がなかった。


そして計画を実行した。


フランが眠っている間に催眠をかけ、「自分は親の許しを得て一匹で旅をしている」と刷り込み、さらに名を「トカゲサウルス」とだけ記憶させた。“フラン”という名を消したのは、母を想起させる記憶を思い出させたくないからだった。


その後、彼はフランを背に乗せて飛び立ち、かつてロアと初めて出会った森の近くまで運んだ。そこなら安全だと信じて。フランを木の穴に寝かせ、その場を去った。


これが、彼が抱えてきた記憶の正体だった。


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